エノカマの旅の途中

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楽しみにしていた先日金曜日のBS歴史館。
まあ「開国についての展開経緯」をご存じの方にとっては、細かい突っ込みどころもあったでしょうが
これだけマニアックな内容って言うのは、地上波ではさすがにできない内容だし
よく知られる「勝者からの歴史観」から見たら、幕府のやった功績って言うのは
なかなか伝わらず誤解され、評価のされないことも多いと思うし、いい放送だったと思います。

加来耕三さんと磯田道史さんと、榊原って言う官僚上がりの人(去年、便乗の龍馬本を書いてたけど
やたら龍馬暗殺を西郷黒幕だってのを強調してた)が出てたけど、そのお互いの話が面白くって
楽しそうに見えたのが印象的でした。
中村・山内みたいな嫌いな人物を罵るだけの対談より、やっぱり好きな人物について
徹底的に語り合えるってのはいいですよね。。。

表題のペリーの交渉は「日米和親条約」のことで、実はこの時には「通商条約」は結ばれておらず
その時の条文の一言を取って、下田の領事として赴任してきたのがハリスであり
下田奉行・井上清直(川路聖謨の実弟)が対応し、岩瀬忠震とともに結んだのが交易を伴う
「日米通商修好条約」となります。
まあ、ここでも強調されてましたが「ペリー」で幕末の開国話がすべてってことはないんですよね。
ペリーのライバル・ロシアのプチャーチンもいたし(昔「ライバル日本史」って番組で紹介されたそうです)
ハリスももっと注目されるべきだと思います。

まあ今回の番組の内容がすべて納得して、解釈が正しいってことではないので
(番組として成り立たすにはしょうがいない面もあるでしょうが。時間もやっぱり足らない感があるし)
とりあえず放送内容だけ紹介します。

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by enokama | 2011-09-24 22:24 | 幕府東国諸藩 | Comments(2)
「歴史人」て言う雑誌があって(季刊の特別編集かと思ってたんですが、月刊誌のようです)
1周年記念ってことで「幕末維新」の特集でした。
ライターが桐野作人さん、青山忠正さん、町田明広さん、一坂太郎さん、家近良樹さんと
実際に講演を聞いたりお話して、知った方が多かったので購入しました。

これだけのメンバーなので、それぞれしっかりした文章だったんですが
今僕もブログで書いている「慶応3年の大政奉還」あたりの執筆者には
素人の僕から言うのもなんですが、怒りすら覚えました。。。
他の方がしっかりしているので、つられてこんな駄文を信用してしまう読者がいるんじゃなかろうか。
それと僕もいろいろ参考文献を、図書館で集めたりして突き合わせるんですが
「そんな解釈、どこの誰がしてるんだ」って言う、あいまいな文章の連続には閉口してしまった。
そら、大河ドラマも駄作で通ってしまうわ。
童門さんはこれだけ歴史ブームになってきたら、引くとこは引いてはる感じだけど
この人は「歴史研究家」って名乗って、講演もしてるんよね・・・
雑誌の編集者もミスキャストだし、家近さんもこんな駄文見て怒ってるだろうと思う。
なんでこんな文章が通ってしまうんだろう。

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by enokama | 2011-09-19 23:27 | 歴史全般 | Comments(4)

第29回 ローズS

3連休が二回続く9月中盤ですが、天気予報は1週間続けて傘マーク・・・
そんな中、日曜はいい天気だったので、久しぶりに阪神競馬場に行ってきました!
ローズSは阪神外1800で本番は京都内2000と、どうもこの設定は未だに気に食わないんですが
(2200か2400で外回りでもいいんとちゃうの)
今回も本番さながらの好メンバーでした!

写真をしっかり撮ってきました>>
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by enokama | 2011-09-18 22:00 | 競馬 | Comments(0)
秋山香乃さんの時代小説がすごくいいとは、よく聞いてたんですが
どちらかと言うと幕府側の人物が多くって、レビューを書けるほどの自身の知識も弱かったんですが
今回は倒幕側で、それもあまり見たことのない「大久保利通」ってことで
すごい所を付いてくるなって、即見つけて購入しました・・・

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by enokama | 2011-09-17 23:47 | 薩摩藩 | Comments(0)

板垣退助のヴィトン

「板垣退助のヴィトン」→こちら

高知市出身の自由民権運動の指導者・板垣退助の遺品が、都内在住の子孫から同市立自由民権記念館(松岡喜一館長)に寄託され、16日報道関係者に公開された。寄託されたのは、板垣が外遊先のパリで
購入したルイ・ヴィトン社製のトランクや百円札の肖像画に使われた写真、皇室から贈られた銀製の器など
41点で、同館では「どれも貴重な遺品」としている。一般公開は来月26日から。

今回の遺品は板垣が没した後、娘2人に受け継がれ、戦前は板垣の四女・千代子が嫁いだ浅野泰治郎
(旧浅野財閥)の自宅地下倉庫に収蔵されていたものの一部。東京大空襲で浅野宅は全焼してしまったが、地下倉庫の遺品だけは奇跡的に傷一つなく残っていたという。その後、子孫が大事に遺品を受け継ぎ
昨年5月に板垣のひ孫に当たる小山朝和さん(東京都稲城市在住)が、板垣の生まれ故郷である高知で
遺品を活用してもらおうと同館へ打診していた。

当時から欧州貴族に親しまれていたヴィトンのトランクは木製。現在のような「LV」のモノグラムではなく、縦じま模様になっているのが特徴だ。板垣は1882年から元土佐藩士の後藤象二郎と欧州を外遊中に購入し、帰国する際にはトランクに政治思想にまつわる書籍を積み込んでいたという。

松岡館長は「自由民権運動という歴史的な事実だけを知るのではなく、数々の遺品から板垣の生きていた時代を想像してほしい」と話した


日本でヴィトンを初めて使ったのは後藤象二郎ってのはちょっと有名ですが
板垣も持ってたんですね・・・
まあ、この後藤と行った外遊もその旅費を巡って疑惑が起きてしまった因縁もあるんですけど(苦笑)

高知で置かれるのは非常にいいことだと思います!
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by enokama | 2011-09-17 22:07 | 土佐藩 | Comments(2)
うちもBSが見られる環境になって、1月ほど経ちました。
野球中継なんて最初から最後までできるから、そりゃ地上波ではやらないよな。。。
BSイレブンの競馬中継は、なんでスタッフが競馬場に赴いてやらないのってのが
どうもまだなじめません。
たんぱ(今はラジオ日経っていうのか?)の実況アナもひどいのがいるし
それに比べたらKBSや関テレを見ていた時分は、すごい恵まれていたんだなと懐かしんでしまいます。

あと専門的な分野で歴史番組がいくつか見られるのもいいことで
夏の編成から定時時間割になって、お気に入り番組が少しずつできてきています・・・
BSTBSの月曜10時「NO2」の放送は、これまたマニアックですね。
たいがい戦国時代の武将を扱っているようですが、ファンの方には嬉しいでしょうね。
地上波の数字狙いのベタなヌルイ内容とは大違いで、この放送局もやればできるんですね。。。
その裏になるんですけど、BSジャパンの池上彰さんの「現代史」講演シリーズは
従来の史観にとらわれず、池上さんのわかりやすい説明はすごくためになります!

そして「BS歴史館」はさすがにNHKらしい重厚な番組で
2週続いたヒトラー関連も釘付けでした。
今日は「シリーズあなたの常識大逆転!」で徳川綱吉。
生類憐みは本来は人間も憐れむ狙いで、しっかりとした法令で統治しようとした理想主義者でした。
でも、結局「犬公方」って印象が残ってしまったんですね。
僕も定説のような見方で、その人物のことを一方的に悪口を言わないようとは心がけているつもりですが
(文句言ってるのは間違った解釈で、自分の都合のいいように言いふらしている作家連中です)
なおさら思った次第であります。
それにしても磯田道史さんはさすがによく知ってるわ。隣りのさすがのDさんも全体に圧していたからね


そして予告を見て、僕が一番望んでいたテーマで来週はやってくれます!!

(BSプレミアム 9月23日(金) 午後9時00分~9時58分)
BS歴史館 シリーズあなたの常識大逆転!(2)「幕末・日本外交は弱腰にあらず」

黒船来航。アメリカの圧力に幕府は無力だったと言われる。だが実際は現場の交渉責任者は、知恵と決断と交渉力で日本の主張を通していた!知られざる男たちの戦いの真実。

僕もこっそり開国関連の記事をたまに書かせてらってるんですが
絶対、列強に屈したとか「弱腰外交」とか、どこの誰が今まで言ってきたんだろうと不思議に思います。
阿部正弘の姿勢でも批判する人はいくらでもいるけど、決して失敗じゃないんです。
もっと良策は結果論からしてあったかもしれないけど、あれだけの対応をできたんだから十分だったと思います。
その方策でもっと悪くなっていたことも十分考えられますからね。
今のクソ政府のやる気も主張もない、へたれ外交に比べたら雲泥の差ですよ。

町田明広さんの顔も見えたし、専門の方もたくさん出られるようです。
今から非常に楽しみです!
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by enokama | 2011-09-16 22:53 | 幕府東国諸藩 | Comments(0)
ライフル銃の持ち込みは、大坂に行く予定の芸州藩船「震天丸」に途中、土佐に寄港するよう手配。
九月十八日、龍馬は菅野、陸奥、中島らと共に長崎港から乗り込んだ。
そして二十日には馬関(下関)に到着する・・・以下は佐佐木日記より。

其時一汽船の煙を挙げて東航するのを見て、才谷等も大に不審した。
丁度伊藤俊輔が京都から帰って来たのに問うた。
伊藤は京都の形勢を告げ、また其汽船に就て「実はあれは薩摩の船で、大久保一蔵が下関に来て
長藩の木戸と謀り、長藩に末藩の岩国長府清末の兵は下関に集合し、薩兵は小倉に進んで
時機を待って、緩急事に応ずる約束をして帰ったのだ」と云ふ。

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by enokama | 2011-09-14 23:55 | 中岡慎太郎関連 | Comments(0)
佐佐木は後藤・由比らとともに英公使・パークスとの須崎での談判に当たった後
本来の海援隊管轄等にあたる長崎出張官・後藤は前記のように本国での政務に没頭せざるを得ず
代わりに長崎に龍馬と赴き、事件の現地談判に対応することとなった。
長崎では一向に海援隊士の犯行の証拠が出ないまま、彼らは長崎奉行所の取り調べに粘り強く耐え
九月十日になって「お構いなし」との評決が出て、とりあえずの解決となった。

そんな中、土佐では乾退助が着々と兵制改革にて藩兵の操練に余念がないころだが
しかし土佐の地元での大多数の現実は、結果的に後藤が兵を連れられなかったことに見られるように
薩長と同調し、いざとなれば共に武器を持って立つ覚悟には到底遠いように思えた。
長崎の佐佐木と龍馬はここで一策を講じることとなる。。。


佐佐木高行(維新前は三四郎)は上士ながらも
国学を学んだ鹿持雅澄門下であって、同門の土佐勤王党盟主・武市半平太らと交流を持ち
小南五郎衛門・谷干城(守部)らと共に早くから上士「尊攘派」として行動し
文久2年(1862)の勤王党全盛時のころにも、その名が再三登場している(「維新土佐勤王史」)

藩主・豊範の下で保守派と尊攘派が連合した上で、改革派(吉田東洋一門)を暗殺と言う手段を
使ってまで追い落としたが、容堂の謹慎が解け復権した後は勤王党が弾圧となり
佐佐木の行動も限られたものになっていた。
その後、薩長同盟の風説が流れ風向きが変わったころから、容堂は佐佐木を各地の情勢探索に当たらせ
今回のような旧勤王党とも近い人物とも渡り合える折衝役として存在感を示すようになり
龍馬亡きあとの海援隊の指揮や、長崎奉行所の逃亡劇における「長崎会議所」の成立にも一役買い
維新後は初代司法大輔として(江藤新平の前任者)多発した暗殺事件等の対応に
比較的公平な目線で当たっている。

一方、幕末から維新政府の成り立ちまで、長期間に渡って綴った日記「保古飛呂比」は有名で
幕末維新を語る上で一級の史料とされている(日記と謳ってるが、のちに編集はされている)
それでは今回の記事は佐佐木の一文から

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by enokama | 2011-09-13 22:42 | 中岡慎太郎関連 | Comments(0)
中岡慎太郎の薩長同盟以降の行動は
さらなる西国勤王雄藩の結集により、幕府に対抗できる力を構築することで
大村や鳥取と言った勤王派の強い藩への遊説や、急速に対幕に傾く芸州との提携はその一例であるが
最も懸念されたのが出身藩・土佐の動向で、ここで親幕になるか対幕となるかで
師・武市半平太の掲げた目標「薩長土」の同盟が課題となっていた。

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by enokama | 2011-09-10 23:41 | 中岡慎太郎関連 | Comments(2)
元治元年(1864)初頭の参与会議瓦解の後、慶喜は禁裏御守衛総督・摂海防御指揮という役職を
朝廷から受け、江戸から独立したいわゆる一会桑勢力の後援・兵力の後盾を以て以後
京都での幕政機関として存在感を表していた。
従来の譜代藩主からなる老中らの幕政運営から「公武合体」たるべき、朝臣としての政権でもあって
一方で朝廷の意向を無視できない時代に変わってきていたのである。
それは慶喜が水戸の出と言うことでの、常に幕府からの警戒を受ける立場にあって確固たる信頼を
得られなかったところで、逆に朝廷の信任を得ることによって、自身の立場を高める意味も持っていた。

この年夏の禁門の変には、禁裏御守衛総督として「御所に弓を引いた」形となった長州を迎え討った。
当初は長と一会桑の私闘として慎重な姿勢だった薩摩も長州の進軍ぶりを見て
「御所侵攻を防ぐ」と言う立場で参戦している。

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by enokama | 2011-09-09 23:55 | 中岡慎太郎関連 | Comments(2)