エノカマの旅の途中

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大垣の事を書いていたら、ペリー来航時の浦賀奉行・戸田氏栄さんの事が気になって
思わず書籍を衝動買いしてしまいました・・・
戸田さんは最後、大坂奉行になって(栄転になるのかな)亡くなるんですが
いろんな書物見てても、その最後が「毒殺説」もあるってなってるんですよね。
そうだとしたら、なぜ殺されるような運命だったのだろうか?

結構、この時携わった人たちは戸田さんや香山栄左衛門(ニセ奉行役をした人)にしても
色々妬みなんかもあったようで、不遇になってるんですよね。
そのあたり具体的に書いている書物、探しています・・・


そして本題ですが円高が大概な事になっています。
僕のボーナスが減る要素にもなってしまうし(苦笑)
部品も外注さんにないてもらって、ますます海外調達に加速していかないと
本当にやっていけないです。
なんぼ工夫して製品を自信持って出したとしても、利益の目減りと海外他社との競合は
マイナス要素です。
本当に究極は工場ごと海外に移転してもおかしくない現実です。

電力もいろいろ言われますが、今の現状ならともかくこれ以上の発展には
やはり安定供給が必要です!
別に日々の暮らしで耐え忍ぶのは勝手だけど、産業界のことも実際に考えて構想を
構築していかないとえらいことになりますよ。
仕事や企業のこと、国際競争力の強化、それを今あえて手を付けないと
「復興にかかる増税」など、馬鹿げた考えにしか思えないし、復興の原資にもなりません。
金が回らなくなるから増税したとしても、その分逸走してしまいかねない。

それかもう原発止めて、日本での物つくりはあきらめますか?
そしたら農業って言っても放射能でしょう・・・
何が日本に残るって言うんや。

ちゃんと「未来のビジョン」を描いている人はいるんでしょうか。
まあ情報源は当てにならないマスコミなんで、伝えられてないってことかもしれないけど
ほんと知恵や意見を出し合えって言うんだ。
政府やらの対応って「場当たりしか見えない」
日本の企業って本当優秀なんですよ。政治があほでもやってこれた。
けどその政治が、とことんダメになって、本当に国をつぶそうとしている・・・

神戸の復興も「現状復興」はともかくとして
一番の売りの「港湾復興」がまずかった、町が何で持っているのか重要だったはずなのに。
それで何を考えたのかわからないけど、作ったのが「神戸空港」と誰も乗らない地下鉄。
町が寂れたから、無駄になっただけ。
港がさらに発展して、活力が出てからの話でしょう二つとも。
釜山港も仁川の空港も「日本の無策による自滅」で潤ったんですよ。
何が「関西三空港」や…狭い地域に三つも、世界中の人が笑ってるわ!
「県に一空港」みんな仁川で引き受けます…ほんまにアホ!
そんな事業も、うちは地元ローカル紙なんで「バラ色の未来」で開業を伝えたけど
採算取れないのはどう考えてもわかるでしょう。それで後出しで「問題、問題」言いよる。


あと言いたいことあるんですが、思いっきり悪口になるんで隠します。

売国テレビ局>>
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by enokama | 2011-07-28 23:30 | 総合 | Comments(0)
市立図書館にも行ってきたんですが、専門 の「歴史史料コーナー」があって
ここが大都市の図書館並みの蔵書だったので、びっくりしました。
かなりの貴重資料もありそうです。。。
今回の記事もコピッたもので、引用しています!

一方こちらはお城の南端あたりにある、松尾芭蕉「奥の細道むすびの地」であります。
ここ続けて江戸時代の詩人や旅の話をしてきましたが
なんと言っても、芭蕉は一番有名だし、各地に足跡をたくさん残していますよね!
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近くに資料館もあります。。。

水まんじゅう>>
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by enokama | 2011-07-26 23:55 | 尾張三河美濃 | Comments(0)

幕末の大垣藩と小原鉄心

大垣駅を降りると南口からは、まっすぐな通りがあり
大垣城外堀だった「水門川」を渡ると、元々の城郭地域で中心街となり

少し西側に入った所に天守閣があります(ただし平城で市街地からは眺められない)
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最初はレンタサイクルを借りようと思ったんですがなくって、観光案内所で尋ねると
「歩きで十分ですよ」とのことで、一番南寄りのポイント「芭蕉結びの地」あたりでも
20分あれば大丈夫でした。

ただし、大垣は戦前まで現存天守があったものの
こちらも空襲を受けて再建されたものであります。。。
付近には戸田家菩提寺の円通寺や藩校敬教堂跡の碑、小原鉄心邸跡の碑も見られます。

お城の南側には戦災を逃れた古い家屋も見られますが
全般に昭和30年代って感じの商店街が見られます、
ただ駅北口の工場跡が再開発されて、ショッピングセンターができた影響で
賑わいの中心はそちらに移りつつあるようです!

この大垣は江戸時代、一貫して譜代大名の戸田氏(十万石)が治めました。
東西を結ぶ要地として重要視されたもので、幕末もその意向が大きく流れを左右しました。
また文化人を多数輩出したことでも知られ、松尾芭蕉の結びの地でもあり
「文教の町」として知られております。

お城の西側には戸田家代々の宝物を集めた「郷土館」があり、歴史史料が集められています。
代々の藩主の紹介がありますが「暗君」と呼ばれたような人物は少なかったようですが
飢饉や幕府からの普請など、各藩共通の財政問題には苦悩の跡が偲ばれます。
また学問では、庄内藩同様に「徂徠学」としていたことも特色であります。

もっと見る>>
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by enokama | 2011-07-26 23:18 | 尾張三河美濃 | Comments(0)
5月に行った大垣行きレポ(→こちらこちら)の続きです。
市内のレポは前回(2年前)と合わせてとなります。

大垣市と大野町のほぼ中間にある曽根地区です。
「曽根城公園」として整備された公園があり、花ショウブ(→こちら)で有名な場所です。

こちらには斉藤道三に仕え、西美濃三人衆と言われた武将・稲葉一鉄の居城「曽根城」がありました。
一説には姻戚関係でもある「春日局」の生誕地とも言われています!
稲葉氏はのちに信長→秀吉と仕え、江戸時代は一貫した豊後臼杵藩主として
分家筋は佐倉藩→淀藩(幕末の鳥羽伏見の戦いでの動きでも知られる)の大名として
幕末まで続きました。。。


こちらは大野町北方の牧村家住宅(国の重要文化財)です。
元々、稲葉家の縁者だった人物が帰農して土着したと伝わり、代々大庄屋として続きました。
その江戸中期の建物が今も残されています。
こう撮ると300年ほど前と、そう変わらない景色かもしれませんね・・・
ちなみに隣接した家屋では、今も当主の方がお住まいであります。
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こちらにも稲葉家の家紋があります!
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梁川星巌生誕の地>>
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by enokama | 2011-07-25 23:02 | 尾張三河美濃 | Comments(0)
歴史作家の桐野作人さんのブログ(7月17日付)の記事に載ってたんですが
下関市立長府博物館(館長になられた)古城春樹さんが、表題の「三吉慎蔵は坂本龍馬の非護衛説」に
ついての論考をこのほど書かれたそうです。
もちろん「護衛」って言うのは、司馬御大の書かれた作品でさらに協調されて
当たり前のように広まったとも思いますが
元ネタは長州の幕末史をまとめた人物が(萩本藩の人)長府藩の役割を知らないまま
安易に書いてしまったことが発端にあるようです。

まあ、平尾さんが書いた時点でもって、おそらく「誤っただろう解釈」で
龍馬の姉・栄の自決の件や「船中八策」が既成事実のようになって、その話の広がった解釈で
「五箇条のご誓文」になった話などは流布しすぎてしまって、今更直せないのかもしれません。
この三吉君の護衛説も「龍馬話」では、まず100%違った解釈がありません(→関連記事

中岡慎太郎(石川名義)から三吉慎蔵あての手紙について(→こちら)は以前に書きましたが
慎太郎が慎蔵に書いた「長府藩の行く道」についての時勢論などは
「護衛」としてだけで、京都に赴いた訳でなく「藩命を受けた京師探索」を果たしたからこそ
理解され、書かれたものであった証拠だと思います。
(余談だが「薩長同盟」が成ってからの慎太郎の上洛は、龍馬の寺田屋での負傷が原因ではなかろうか。
負傷治療で龍馬は静養を余儀なくされるが、その間に刻々と動く流れ「第二次征長」に対して
長州から薩摩への働きかけについては、やはり従来からの長州人の微妙なしこりもあって
緩衝的存在で具体的な「薩長同盟の遂行」の役目は慎太郎が適任であり、薩摩人とのすり合わせ・
龍馬からの引き継ぎが主目的であったのではないだろうか。そして事実、薩摩の長州への援軍の話や
龍馬の社中の海軍としての参加は、慎太郎の動きなしではありえなかったのではなかろうか)

三吉君が龍馬らの手紙をしっかり保管していたことで、意外とわからない「龍馬が何をしたか」
ってことを知る手ががりが、長府にはあるのです。
あと僕は最近、萩本藩と長府・岩国等の支藩の関係ってのが少し気になってまして
ひとくくりに「長州」で区切った考えでは、捉えられない部分があるかなとも思っています。
(そのあたりは結構、古川薫さんが書いてるんですけどね)
また図書館での調べも含めて、長府に行きたいもんです!


関連書籍
「龍馬とお龍の下関」(→こちら
古城さんの書かれた本で「龍馬と下関」について、わかりやすくまとめてあります。
長府博物館所蔵のお宝写真と、古川薫さんの序文も素晴らしいです!
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by enokama | 2011-07-21 23:23 | 長州藩 | Comments(2)
大きい台風がやってきましたが
ニュースでもあったように、高知県あたりでゆっくり動いていたので
馬路村では1日に800ミリと言う驚異的な雨量を記録しました。

中岡慎太郎の故郷・北川村も、昔から山がそのまま奈半利川に落ち込むような地形ゆえに
災害との繰り返しだったんですが、今回は
北川村温泉付近より上流の道が完全に流されてしまったそうです。

けが人等はなかったと言うことで何よりですが
上流から馬路方面に抜ける道は当分、通れないかもしれませんね。。。

ちなみに度重なる水害等で田畑が再三、被害にあったこともきっかけで
大庄屋だった慎太郎は、領民に柚子の栽培を奨め
今の名産品につながったと言います。

1日も早い復興をお祈りしております!
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by enokama | 2011-07-20 23:52 | 中岡慎太郎関連 | Comments(0)
先週金曜日に霊山歴史館に行ってたんですが
その時に学芸員さんから、武市半平太の発見の話をお聞きしました。

こちらも佐川・青山文庫名誉館長の松岡司さんの発掘です。
ニュース記事→こちら

幕末の土佐勤王党盟主・武市半平太(瑞山・1829~65)が、切腹直前に「恨(うらみ)無限(かぎりなし)」
などと無念さをつづった漢詩の書。獄中で記したとは思えないほど立派な書は、信頼していた
牢(ろう)番に贈られたものだった。1世紀半を経て初めて世に出たことに、14日発表した
高知市立龍馬の生まれたまち記念館や専門家らは「よくぞ残ってくれた」と驚きを隠さない。

武市は獄中で漢詩を詠み始め、約50首を「メモ書き」した雑記帳が残されているが、作品としての書は現存
しないとされていた。贈られた牢番・門谷貫助(1843~94)は武市に心酔し、武市も信頼していたと伝わる。

書を保管していた高知市の植田夏彦さん(故人)が残した由来書によると、門谷が
「一生の記念、一家の宝に何か書きて給(たま)はらぬことを乞ふ」と武市に頼んだという。
夏彦さんの父、重治さんは、門谷と同じ同市春野町西分に住んだ富農で、門谷と交流があり
何らかの形で家蔵したらしい。

夏彦さんに受け継がれた後も、奇跡的に残った。戦前、単身で朝鮮半島に渡った際には書を持参し
日本人学校で教師を務めた。終戦後の引き揚げで、食料や衣類を手放しても、この書だけは
「危急の折といへども放棄するに忍びず、表装を外し一巻となしてリュックサックに負ひて帰るを得たり」と
辛うじて守り抜いたという。

書を鑑定した松岡司・前佐川町立青山文庫館長は「改革を果たせなかった無念さは、武市が
何よりも言いたかったこと。最も信頼した門谷だから託せたのだろう。海を越え、代々大切に
されるに足りる、残すべき作品」と感慨深げだった。


高名な政治犯に対して、心酔した牢番がなにかと便宜を図ったと言う話は
幕末でも結構あるわけですが(牢番自身が身分の低い者が多いため、境遇の近い彼らを遇した)
半平太に対しても、牢では比較的恵まれていたそうで、その礼として彼らに得意の絵を送ったり
このように書を送っていた。
それにしても牢で書いたとは思えない、確かに立派な書です。
そして、この文言を選んだのも、長い獄中での壮絶さを感じます。。。

「主君の命に従う」とは表向きであって、左向き右向きの藩方針のぐらつきで犠牲になった家臣らは
結構、長州などを見ても決して納得して「死を賜る」ってことはなかったようです。
「~の獄」で切腹などと、あっさり文章で片付けてしまいがちだけど
一つ一つのその犠牲にもドラマがあったんだろうし、そんな面の伝わる今回の発見はとても貴重な
物だと思います。。。
この書の残った経緯を見てもドラマチックですね!

それと未だに、去年の大河を引きずってる人やら(あんなデタラメ話を)
相変わらず半平太をテロリスト呼ばわりする輩がいるけど
結果論だけで物を言うなってんだ。
その道が間違ってなかったって思いがあるし、結局は主君に受け入れられなかったんだ。
「わしがまちがっちょった」そんな思いで死んだのではないってことは、はっきりわかるでしょう。。。

今回の記事はたくさんの新聞に載っていたようです。
松岡さんのこれからの活動も期待しています!

慎太郎の死を伝えた手紙>>
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by enokama | 2011-07-18 23:19 | 土佐藩 | Comments(0)
庄内本「七星旗 白雲の間を動く」(→こちら
たくさんの方にお読みいただき、ありがとうございます!

今月の霊山歴史館の会報にも、関連記事を載せていただき
ご意見もいただきました。
これからも、もっと「庄内藩」を普及して行かねばと、改めて思った次第であります。。。

後、出したからこそわかった問題点も出てきまして
これからの参考にさせていただきます。。。
その他感想ありましたら、お気軽にお寄せくださいね。

また私の受け持ち分は残部些少になってきましたので、まだ申し込まれていない方は
早めにお願いします!

藤沢周平映画>>
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by enokama | 2011-07-17 21:53 | 庄内藩 | Comments(0)
今日は有休を取って京都に行ってきました。
祇園祭は、いつも暑い最中ではあるけれど
やっぱり半端じゃありませんでした。。。

いろいろ仕入れたネタもあるんですが
明日が添乗で朝早いんで、後日にします

こんな中、残念なお知らせが・・・

時代劇の灯が消える>>
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by enokama | 2011-07-15 22:30 | 総合 | Comments(4)
少し更新、間が空きました。。。

もうこの猛暑で、参ったこともあります。
ボーナスも・・・やったし(泣)
節電やら言うけど、体は持ちません・・・冷房はさすがに必須です。
電力は足らないのか?余ってるのか?どっちなんだ!

無理して体調崩すより、しっかり維持して、しっかり仕事して税金を治めることが
今は一番、大事でしょう。
何が何でも「脱原発」で、我慢する人は勝手にしなはれ・・・


しばらく時事ネタはしてなかったんですが
テレビや新聞はもう強い所には逆らわず触れず、後ろ盾のない弱い者ばっかり責め立てる。
ひどいもんだし、信用できない。
報道すべきことをせずに、どうでもいいことを執拗に伝える。。。

あと震災以後に、特に目につくようになったんだけど
朝からK国の整形機械人形のゴリ押しなんて気分悪いわ。
どこがいいのかわからない…感情が伝わってこないって言うか。
番組もあいつら出てたら、俺はすぐ消すけどおかしいですか?
また自国の歴史を学ぶべき時代劇はまともにしないくせに、K流で昼のほとんどの番組
を埋めてる所もある。

日本にこれから、しっかりとした有望な俳優っていますか? 
作曲家って職業は無くなったのですか?
太秦の時代劇の技術伝承なんて、できているのでしょうか?

自国の文化を育てるのも彼らの役割だと思うけど、何にも見えてこないです。


表題は、去年「空前のブーム」だったらしい人物の決めゼリフです。
もっと幕末を知ってもらうチャンスだったのに、このセリフで何もかも台無しにされた・・・

もっと見る>>
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by enokama | 2011-07-13 22:34 | 総合 | Comments(2)