エノカマの旅の途中

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大宰府に帰還後、しばらく孝明帝の喪中でもあって
慎太郎は本来の「五卿付き」の任務も講義受講や読書、三条実美らとの話し相手と
穏やかな日々を過ごし、英気を養っていた。
日記中で変わったところでは、2月2日に新選組・伊東甲子太郎が訪れたことが記されている→こちら。
また2月には坂本龍馬とともに、いわゆる君主の慈悲による「超法規的措置」として脱藩罪を許され
時勢の移り変わりにつき、必要な人材として両人に接触するようになった容堂の側近らの
とりなしも大いにあっただろう。

19日には大宰府にほど近い、二日市温泉・湯町堺屋に投宿。
しばらくの間、湯治滞在する
20日の記述には「入湯六度」とあり、これだけ入っているとフヤケテしまわないのだろうか(笑)

慎太郎の薩摩行き>>
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by enokama | 2011-06-30 23:33 | 中岡慎太郎関連 | Comments(0)
慶応2年(1866)「四境戦争」の終わったころ
中岡慎太郎は西郷従道とともに、約半年ぶりに(「薩長同盟」の後を見届けて以来)上洛する。
京師の状況視察のためで、薩摩二本松藩邸を根城とし
7月に将軍家茂の急死を受けて徳川家督を相続し、幕政をリードし
12月には、正式に十五代将軍となった慶喜の動き。
そして蟄居中に倒幕派に転向した、岩倉具視の下での朝廷の倒幕勢力の動き。

そんな中、行行筆記という11月16日からの慎太郎日記には
伊地知、小松、西郷、吉井と言った薩摩要人との会談の様子が再三にわたって書かれている。
そこには土佐の意外な人物との接触もあった。。。

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by enokama | 2011-06-29 23:55 | 中岡慎太郎関連 | Comments(0)

JIN完結編~最終回

前回はちょっと賛同できないなって話だったので、レビューは書かなかったんですが
今回の最終回で、うまく「修正」をしてきたな・・・って思いました!

もうてっきり、「戦争はいかんぜよ」って言ってきた龍馬が死んで
「非戦派」がいなくなってしまって、望んでいなかった「戦争の悲劇」が始まったって感じの
お決まりの話になるのかなとも思ってましたが
さすがに今回のJINは、そのあたり「武士の本懐」も盛り込んで奥深い話でもあり
脚本家の方も、しっかり「当時の歴史」を読み込んでいます。。。

ここ数年のNHK大河の脚本家は「いらない色をつけない」とか言って
当時の歴史を認識しないままだったので、レベルの低下が著しいばかりなんですが
「変に当時の事情を知ったら面白い話にならない」ってのは、絶対うそ。
それを今回は証明されたと思います。

今回は全部見終わってから、改めて前半の幕末部分を見直すことで
つながりを見直すこともあったので、なかなか奥深かったです!

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by enokama | 2011-06-27 23:05 | ドラマ感想 | Comments(0)
土曜日は(この業界にとっての)悪夢の二年だった、高速ETC割引廃止明けの週で
たくさんのツアーが出てましたので、若狭方面に添乗に行ってきました!

やっぱり道は流れていましたね。。。
まあ旅系のブログなんか見ていると「ETCの恩恵」でどこか行ったって
いいことづくめのように、書かれていることも多いけど
報道でもあったように、いろんな業種で実際に廃業したりってことが、本当にあったのよ…
僕らからしたら、ただ一定日の混雑に拍車をかけるだけで、果たして観光した
気分になるのかなと思ってました。
「無料化実験」も1年ほどやったんだから、総括と経済効果(マイナス点も)
しっかり出してくださいね。お役所さん・・・

ちなみに僕の最寄JR路線(JR宝塚線と嵯峨野線)に新車の特急(→これ)が入っています。
投入が決まった時点で、もろに「高速無料化路線」に当たってしまって
担当の方は真っ青だったとも聞いてたんですが、僕も話のネタに乗ってきました。
まあ新車はいいんだけど、編成が少なくなってないか?(3両とか4両編成も多い・・・)
上りだと自由席はもう福知山ぐらいで一杯ぽくって、結局1両か2両では乗れないから
さらに指定(+500円)取らないと乗れないんだけどね(まあ始発駅からの下りだったらいいけど)
綺麗な車両で加速もスムーズって感じで、車両のカウンタースペースっぽい空間もよかったです!
でも乗りにくいな…南海の特急みたいに普通車に指定席車(2、3両)つなげる感じにしたら
乗りやすいかなと思うんだけどね。あんまり快速と停車駅が変わらないんだし。。。


宝塚記念は天気がよかったら、現場に行こうと思ってたんだけど
昨日の暑さと、日本海側も急に雨降ったりとか天候不順もあって
もうクタクタになってしまって、朝が起きられずに断念してしまいました(泣)

予想は枠順発表の時点で、一枠と二枠の四頭で勝負と思ってBOX気味に馬券を買ってました。
勝ったアーネストリーは1000円分、単勝買いが当たりました(もっと付いててもよかったような)
相手はいつものごとく、ヒモ抜けてしまいましたが(苦笑)
改めてブエナビスタの底力も思い知らされました。。。

それにしても完勝でした。
いつ見ても、このコンビはいいですよね!

WIN5は2億ですか~
よっぽど、しっかり点数買わないと取れません・・・
グループ買いってのも多いようですね。。。


あと「JIN」最終回よかったです。感動した…
レビューはまた改めて。。。
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by enokama | 2011-06-26 23:44 | 競馬 | Comments(0)
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仕事中なう。
涼しい〜
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by enokama | 2011-06-25 17:33 | 旅行 | Comments(2)
中岡慎太郎年表→こちら

慶応元年正月、中岡慎太郎は諸隊の陣中にいた。
「五卿動座」と「征長軍解兵」慎太郎が大きく関わった、交換条件の伴う二つの問題が片付くのを
見計らった高杉晋作は、俗論派政権打倒のため前年12月15日、わずかな兵を率い決起。
年が明けて、諸隊を始めとして同調者も増え、決戦の時が迫っていた。
そして1月7日「太田絵堂の戦い」を皮切りに、優性に戦いを進め
やがて長州藩は「正義派政権」となって「武備恭順」の方針が定められる。

10日に慎太郎は高杉と奇兵隊総督・山縣狂介に下関で会い
互いの健闘をたたえあい、今後の進むべき途を論じた。
慎太郎は14日に決まった「五卿動座」に従い関門海峡を渡海、拠点を大宰府・延寿王院に移すも
「薩長融和」に向け、京都への再三の超人的な往復移動を伴う激動の1年を過ごすこととなる。

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by enokama | 2011-06-22 01:33 | 中岡慎太郎関連 | Comments(2)
中岡慎太郎年表→こちら

禁門の変で負傷しながらも、中岡慎太郎は八月初頭には三田尻に帰還している。
そして長州に集まる浪士を中心とした忠勇隊は、隊長・真木和泉を天王山で失い
再編成を行って、慎太郎は幹部の一人に任命されている。

八月四日、野山獄から出され親類預かりとなっていた謹慎中の高杉晋作の下に
藩からの使者がきた。
前年の長州藩「攘夷決行」での外国船に対する砲撃に対する、四か国艦隊の報復攻撃が起こり
各砲台は壊滅的な被害を受けて「止戦講和」が必至となっていたのだ。
その講和の使者として高杉に白羽の矢が立ち「英国の密航留学」(→こちら)から急遽帰国した
井上聞多・伊藤俊輔を通弁に従え、講和の場に向かった。。。
家老の養子・宍戸刑馬を名乗った高杉は、外国船の海峡での安全通航の保障を認め
外国、特に英国との接近のきっかけを作った。
一方、賠償の件に関しては「幕府の攘夷実行命令」を盾に一切を被せた。
また下関の彦島割譲を求められた要求に関しては断固として断ったと伝わる。

元来「攘夷」を叫びつつも高杉は長崎・上海滞在にて、すでにその西洋文明に触れていて
その行為が無謀だと悟ったこの機会に、その生の海外体験を持った井上・伊藤の言葉も入れ
きっぱり「攘夷論」を捨て去っていた。

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by enokama | 2011-06-19 23:00 | 中岡慎太郎関連 | Comments(0)
久しぶりに映画に行ってきました!
大阪のご当地作品になります。。。

まずオープニング、綾瀬はるかが無人になった大阪の街を走り回ります。
思わず目のやり場に困った(笑)

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by enokama | 2011-06-18 23:10 | 書籍・ライブ・映画 | Comments(0)
中岡慎太郎年表→こちら

元治元年は、長州及び長州を頼った尊攘派にとっては最悪の年であり
「池田屋事件」引き続く「禁門の変」によって、多くの有為な人材が命を落とした。

この年、前年に脱藩し「七卿」の下に身をよせるようになった慎太郎は
新年早々「形勢挽回」を図る尊攘派の一人として、京都に上り
長州藩邸を根城として、行動を起こす。

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by enokama | 2011-06-17 23:44 | 中岡慎太郎関連 | Comments(2)
再来年の大河ドラマが決定ってことで→こちら
こちらのブログにも「新島八重」のワードで、アクセスいただいております(→記事記事2

震災がらみで「東北から」ってようですが
正直、関西人だとよっぽど同志社絡みでもないと知らない人物でしょうね。
僕も「薩摩藩二本松屋敷跡」(薩摩藩邸跡) の碑を見に行ったのが、同志社に行きだした始まりで
そこから幕末明治の面白い流れを、教えてもらったのがきっかけでした。
兄の会津藩士だった山本覚馬が一旦、薩摩に捕らえられて(まあ扱いはよかったようですが)
元々その人物を評価していた西郷さんが、そこで覚馬が論文を書いたこともあって
(目が不自由だったので、口述を写してもらった)役人として、岩倉具視の推挙も得て
京都府に採用されたのが始まり。
京都復興や府政の基礎固めをした後に、キリスト教学校の設立を目指していた新島襄と知り合い協力し
薩摩藩邸跡に「同志社」を設立し、その縁で妹の八重が襄に嫁いだ。
そして初期の生徒にキリスト教を容認したとして暗殺された、横井小楠の熊本の弟子たちがいて
小楠の息子と覚馬の娘が結婚したと言う、興味深い流れがあります!

福島では「保科正之を大河に」って運動は聞いてたけど
あまり実現しても僕にはわからなかったと思うし、西の人にはも一つピンとこなかったかもしれない。
他に「会津の幕末大河」って言ったら、例の作家連中を見ても
怨念やら怨恨やらばっかりになってしまいそうで
引いてしまいそうなので、後半が京都舞台になるだろう人物はバランスはいいかなとも思います。
でも去年の大河あたりみても、容保や幕府側の人物の描き方はちょっとあんまりだって
ところもありましたんで、ある程度の偏りは許容できる心構えでいたいなと思っています!

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by enokama | 2011-06-14 22:48 | 歴史全般 | Comments(4)