エノカマの旅の途中

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旅と歴史と競馬のお話をします

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集合は嵐電嵐山駅前に9時。
9時1分発の清滝行きのバスに乗ります。
パッと見は1時間に1、2本に見えて「乗り遅れたら大変だな」と思ったんですが
休日の8~10時台は15分に一本ほどありました。
着いた清滝(鳥居本宿をトンネルでくぐってすぐ)は、料亭も見られる(紅葉のころがいいんだろう)けど
基本的に愛宕山の登山口(基地)って風情で、バスのお客さんもほぼ100%登山スタイルでした!

清滝
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この鳥居からスタート
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by enokama | 2011-04-30 23:18 | 私の好きな京都 | Comments(2)
先日のヒストリアは「江戸・名所誕生ものがたり」と言うテーマでした。

庶民の旅行(移動)って言うのは江戸時代の体制下では縛られているように見えて
「お参り」「湯治」と言った理由があれば、比較的自由にできたそうです。
ここで「伊勢参り」が紹介されてましたが、僕が旅行の試験を受ける時に買った
参考書なんかに書いてある「旅行業の始まり」ってのが、それこそこの「伊勢参り」でした。
「講」という組織を作って、みんなでお金を積み立てて、交代ごうたいでお伊勢さんにお参りする。
その旅行を営業(番組では「お札が降ってくる」ことを言ってました)から道中の宿泊
(宿屋はそれぞれの地域で提携関係があった)、渡船の便や到着してからの観光案内・土産屋への案内など
今とも遜色ないような至りつくせりの「一生に一度の旅行」が、一般庶民まで広がった「旅行好き」の日本人を生んで行ったのですよね。。。
(抜け参宮の話もおおらかなことです)
今回取り上げられた熱海や、東北でも農閑期の「湯治」あたりは、今のライフサイクルでは
ありえないじっくりとした滞在の骨休めであって
最後のオールコックの富士登山での一般庶民とのふれあいは、それだけ当時の日本人が
金銭面に限らない「豊かな」生活をしていた証拠で
幕末に外国が無理やり力で開国や文化を押し付けたのではなく、このオールコックにしろ
ペリーにしろ、プチャーチンにしろ、その当時の日本文化や人物に触れたことにより
大の親日家として、世界に発信していったのです・・・
昭和初期の「新日本八景」として「自然」の名所を募集したときは、当時の総人口以上の投書が
あったようです!
今はどこも新幹線や高速が通って、便利になったようですが
渋滞とかゴミや環境破壊の問題・・・ゆとりのある旅行ってのは、中々できなくなってる感もあります。


話は変わってJTBに「るるぶ」ってブランドがあります。
「見る」「食べる」「遊ぶ」の略称なわけですが、幕末にそんなガイド顔負けの記録を残した
人物がいました・・・

登山>>
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by enokama | 2011-04-29 23:21 | 私の好きな京都 | Comments(0)

メジロ牧場が解散

今週は盾ウイーク(天皇賞・春)です。
例年ならまず仕事(添乗)があるので、行けないんですが
この震災の影響で、かなりこの業界も打撃を受けてしまって
3、4日の日帰り二本ってことで、今年はメンバーも良さそうなんで行くことにしました!

この淀の坂を二回下がる長距離戦、秋の天皇賞が距離短縮された現在
G1、1週目スタンド前での歓声と興奮はたまらないものがあります!
その長距離戦に異様な執念を見せたのが、あの「メジロ」でした。。。

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by enokama | 2011-04-27 08:43 | 競馬 | Comments(2)
四月からNHKの大河ドラマと、もう一枠あった時代劇が時間短縮を経て
地上波から姿を消し、BSに移行してしまいました。。。
「若者の時代劇離れ」って以前の時間短縮(45→30分)の際にNHKのコメントがあったけど
潜在的な視聴層や歴史好きって、周りの若い人でも掘り起こせばいるんだけど
「戦はよくないとか」裏切りや袖の下なんて、歴史ほじくったら当たり前の人の姿だし
なんでわざわざ、戦国でホームドラマなんてしてしまうの?
人間の嫌な所を見せて、一方で正々堂々とした武士道を対比させて
ドラマチックに演出することで、深い話になっていくのがいいんじゃないのだろうか?

いい伝統を持っていたのに、民放では時代劇はほぼ壊滅。
BSなんて「韓流」で埋めて喜んでる人もいるけど
それって日本の文化の衰退でしょうが。。。技術も伝承できなくなるよ!
ほんとやばいですよ。

いろいろと、今回この移行の含みも聞いてますが
その第一弾でアピールできるものとして、司馬御大の「新選組血風録」が選ばれたそうです。
もう自分的には「新選組」は研究の範疇からは抜けて、本も手放して行ってる状態で
記事にすることもないと思うんですが
この「長州の間者」(短編)の話は、一連の司馬作品の中でも一番のお気に入りでして
実はうちはBSは映らない状況なんですけど「NHKオンデマンド」で、200円の一本落としって
方法があることを教えてもらいまして、早速見てみました。。。
たぶん、このドラマの感想は今回限りかと思います!

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by enokama | 2011-04-26 23:03 | ドラマ感想 | Comments(2)

JIN完結編~第二回

今回は綾瀬はるかの咲ちゃんが中心のお話でした。
先日、浜村淳のラジオでも言ってたけど、映画の撮影でライトアップされた大阪城を見て
「お寺っていいですね。あっ神社でした」と真顔で話したことを暴露されて、「私、天然ボケ
ではなく、トンチンカンなんです」と言ったとか・・・

脚本もその天然振りが自然に出て、健気になけなしの自分の着物を売って
「仁友堂」の運営に充てていることを、おくびにも出さない表情に
仁先生を感動させていました。
芝居気ってよりもキャラを生かした自然な表情、男にとっては絶対悪い子じゃないって安心感
って言うか、慰めてほしいって言うのか・・・たまらんのです!

それにしても「薩摩の治療代」って出てたけど、西郷さんの治療代はさすがに
しっかり出してもらって足しになったようですね。
でもスタッフの給料も出てないんですか・・・
「仁術」と言って緒方洪庵先生もよく使っていた言葉だけど、お金は二の次で治療に当たるってことは
昔から実際あるようだけど、今でも報われないってことで厳しい条件下での勤務を
余儀なくされている方も多いようです。
本当にどうにかならないのかな・・・

和宮様が献上された「あんどうなつ」で毒を盛られて
仁先生が「胃洗浄」を良順先生に託します。
このあたりの当時の乏しい医療器具を使っての治療映像、お見事でした。
それにしても毒見前に食べたこともあるだろうけど、毒見役は無事だったんだろうか。

牢獄のシーンもそんなに映像では僕は見た記憶もないんだけど、迫力ありました。
いきなり連れて来られてお金はないよな・・・
次回はしっかり通じたようで「牢名主」になるようです?
原作は知らないんだけど、ほんとよくできた話です!
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by enokama | 2011-04-25 22:42 | ドラマ感想 | Comments(0)
例年通り、前日の日曜「中岡慎太郎誕生日オフ」の史跡めぐりに行ってきました!
結局、不参加の方があったりして、いつもお世話になっている方々との散策となりましたが
以下の通り、盛りだくさんの行程になって、ちょっと疲れてしまいまして・・・
最後の慎太郎墓参は行かずに解散となりました(まあ、今日は霊山の会員さんばかりだったので
いつでも行けるからってことでね・・・)
お天気も良く、桜もまだきれいでして、いい散策になったと思います!
皆様お疲れ様でした。。。


今回の行程(各地名をクリックすると詳細が出ます)

京阪出町柳駅10:00集合++(叡電・260円)++岩倉駅10:30・・・岩倉実相院(10:45~11:10)@500
・・・岩倉具視幽棲旧宅(11:12~11:35)@300==(京都バス・170円)==国際会館駅<食事>13:00
+++(地下鉄烏丸線・250円)+++鞍馬口駅13:15・・・長州人首塚・・・阿弥陀寺・・・薩藩戦死者墓・・・
薩摩藩邸跡
・・・猿ヶ辻・・・大久保利通旧邸碑・・・清浄華院(しょうじょうけいん。姉小路公知と玉松操の墓)
・・・新島旧邸・・・横井小楠殉節の地碑・・・堺町御門・・・中沼了三先生講書の所碑・・・梅田雲浜邸跡碑16:10

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by enokama | 2011-04-20 21:41 | 私の好きな京都 | Comments(2)

JIN完結編~第一回

それにしても萩ってすごい心の広い人がいるんですよね→ここ

会津若松市を始め、当事者の方はほんとに感謝されてると思うんですけど
今更ながら「仇敵」「恩讐」とか、今回の一連の萩の援助についてくぐったらニュースも
なんぼでも出てくるんですよね。
でも僕にはこの機会に、まだ蒸し返すのかよって(また新聞やらの報道は今回の本題じゃなくって
過去の長州が一方的に悪いって印象を改めて植え付けている感じがする)
実際に、もちろん地元の人じゃないだろうけど「わざわざ他の被災地に送りゃいいのに
会津に送るのはあてつけか」って、今更書いたりしてる人がいるんだ。
たくさんの被災者が、同一県内の会津に避難しているってことも知らないんだろうか・・・

僕は好き嫌いはあっても、どっちが悪いとか、悪人を悪いと決めつけるのがいやで
歴史は公平に見ていきたいとは常々思ってる。
まあ偏向した作家連中が焚き付けたこともあるだろうけど、なんで長州だけ目の敵にするんだろう。
僕もちょっとは調べようとしたんだけど、それは明らかにおかしいんだよね。
会津の戦争だったら、薩摩も土佐もだろう・・・意図的にぐずぐずといつまで経っても
文句ばっかりいいやがってとしか思えない!
僕もまたそのことに、もっと深く突っ込めないのは高い壁があって(…これ以上、言えない)
そんな中で萩は本当にひどい一方的な言われようで、無視すりゃいいやんって僕なら思ってしまうんだけど
姉妹都市になろうと言ったり(蹴られたけど)今回の件でも頭の下がる思いです。

今回の内容>>
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by enokama | 2011-04-19 23:49 | ドラマ感想 | Comments(2)
来春と予告したペリー再来に向け、幕府は警備体制の変更や応接掛の任命、応接地の検討
そして防衛面では江戸にお台場を作り防御にも乗り出す。。。
また老中・阿部正弘は朝廷から庶民に至るまで幅広い層の意見を求めている。

そして1854年(嘉永7年)1月、予想よりも早い艦隊の再来に幕府も慄く…
(太陽暦と太陰暦の解釈の違いですんで、アメリカから見たら予定通り)
艦隊は9艦に増し、今回は測量を済ませた金沢沖まで入り込んでいった。
ここで交渉に入った中島三郎助は、その休憩時に再度、機関室を見学させてもらい
すでに浦賀で建造中の船(→ここここ)に生かすべく、今回も駆けづり回った。
ここまで来ると、前回は「密偵か?」と疑われるほど、怪訝な態度だったアメリカ人らにも
さすがに感心されたと言う。
そして今回の応接地について、日本側は浦賀もしくは鎌倉、米側は神奈川を主張。
結果的に神奈川の向かいにある細長い半島・横浜を提示、沖合に艦隊を集結させて威容を見せられ
上陸地が艦船の砲弾の届く距離にあることを確認したペリーはこれを了解する。
そして浦賀に準備していた応接所をこの地に移築し、2月10日ペリーは将兵500を率いて
横浜に上陸する。

この時の水深深さもあって、翌年江戸湾を測量「江戸湾海底深浅測図」を著した佐藤政養は
その横浜の開港地としての可能性を実証し(のちの条約上での)神奈川開港だと攘夷派の
妨害の影響も危惧し「横浜開港」を早くから主張していたと言う。
実際、横浜は開港地として大発展することとなるのです!
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現在の横浜開港資料館の立っているあたりで、交渉は行われました。
3月には「日米和親条約」がこの地で結ばれ
下田・箱館の開港と外国人遊歩区域の設定、米船に対する薪・水・食糧の提供、漂流民の
保護など初めて日本が結んだ国際条約として、文字通り「開国」国際社会に踏み入れて行ったのである。
引き続き、8月には英国と、そして安政元年12月21日(旧暦)に、この「日露和親条約」(→こちら)が結ばれる。
(翌年にはオランダとも結ばれる)
この時点ではまだ「不平等」だと、のちの攘夷派を怒らせた「○○修好通商条約」は結ばれていません。
まだその前段階でありました。。。

締結後の交歓会では、米側は実際に軌道を敷いた蒸気機関車の模型の運転や
電線を引っ張り電信機(電話)の実験を行い、日本人を驚かせましたが
一方で日本人の好奇心の高さや、進取性についての驚きも記されています!

こちらの資料館も各地での展示でもよく見られるように
お宝が多い施設です!
今回は時間がなかったんですが、書籍の閲覧やコピーも可能となっています。
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by enokama | 2011-04-16 22:08 | 幕府東国諸藩 | Comments(0)
「ヒストリア」が高杉の特集でした。
萩城のCGと戦闘のシーンは気合が入ってたし、それぞれの役者さんも様になってましたよね!
まあ内容は西郷さんや木戸さんの回の感想でも書いたけど、やっぱり時間が足らないよね。
剣術修行でコテンパンにやられた日の日記が真っ白だったり、周布さんの長州候から拝領した
刀の話(家紋削ったんだ)は知らなかったんでよかったです。
稔麿の他の人物評ってのも知りたいな・・・
でも高杉だけがやんちゃではなくって、はみ出したような連中ばっかりだから
(松陰先生にしろ周布さんにしろ)ある意味長州は、すごすぎるんですよね!
その中で確かに山縣は異質よね。
もちろん功山寺のことが出てたけど、萩の俗論派との妥協の動きは赤祢武人の方針だと思う。
山縣はこの話を聞いて、赤祢の態度を誹謗した(明治になってからの回顧録)ことになってるらしい。
まあ長く生きてればどうにだって言えるし、そのあたりの信偽のほどを探るのが肝心なんでしょうけどね…
一坂太郎さんもテレビで久しぶりに見たような気がする。
長府博物館の古城さんも出てました。。。
それにしてもあそこは本当にお宝がまだまだあるんですね。
番組全体としては楽しく見られました!

生野終焉地と墓所>>
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by enokama | 2011-04-15 23:18 | 長州藩 | Comments(0)
副奉行と名乗って司令官への面会を求めた三郎助だったが
司令官は日本政府最高位の者としか会わないとの米艦の強硬な態度で
こちらも副官のコンティーが対応した。
「我が国の租法では外国人との交渉は、長崎以外ではできないのでかの地へ回航されたい」
しかし艦隊側では「あくまで最高位の高官に会った上で、江戸にて国書を渡したい」と突っぱね
面会はできぬと見ると、江戸湾に力づくで侵入するとの態度を取った。
そうなると戦闘になってしまう可能性もあり、三郎助は「重大事項ゆえ正奉行と相談の上」と
一旦は退いた。しかし外国人が日本人を一方的に追い払ったとの形にはならずに済んだ。

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by enokama | 2011-04-11 23:42 | 幕府東国諸藩 | Comments(0)