エノカマの旅の途中

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彼らの遺骸は、本当ならば妙国寺に埋葬したかったらしいが
皇室勅願寺と言う位の高さと「罪人である」との意識があったことで、その埋葬は憚られた。
(伊達宗城の指示だったとも伝わる)
そして、北隣にあった宝珠院に埋葬されることとなった。
その後「土佐藩十一烈士」の話は各地に伝わり(当時はこの手の「残念さん」の話も多かった)
墓前には花・供物は置き場所もなく立て並べ、賽銭は山のごとく、寺へ至る道筋には露店が並びその雑踏は幾列も続いた。。。
このあたりは司馬遼太郎の「俄」(ライフログ参照)と言う作品に面白おかしく描かれています!
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十一烈士の墓>>
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by enokama | 2010-02-27 23:44 | 大坂発見 | Comments(0)
2月23日、二十士の切腹の日となった。
彼らを預かり、切腹の場・妙国寺まで警護の任についたのが、西国の雄藩である肥後細川家と芸州浅野家。
中でも細川家はあの元禄・赤穂浪士や幕末の井伊大老暗殺犯の水戸藩士を預かり、丁重に武士道を持って接した実績もあり、新政府の配慮も伺いしれる。

妙国寺は堺きっての皇室の勅願寺であり、由緒ある大寺であった。
立ち会ったのは土佐藩家老で元来勤王家であり、その領地・佐川からは多くの勤王志士を輩出した深尾鼎。
かつては武市半平太の土佐勤王党に同調し、その獄の際は山内容堂の逆燐に触れ、「苗字帯刀召し上げ」の限りなく極刑に近い処分で長らく謹慎していたが、時勢の変転で再び大目付の職に返り咲いていた小南五郎右衛門。あと一人が小目付・谷兎毛。
そして細川・浅野家重役、外国事務局判事だった五代才助らの姿があった。
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ハラキリ>>
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by enokama | 2010-02-27 23:03 | 大坂発見 | Comments(2)

独眼流・清岡道之助

関連記事→こちらこちら

(2009年9月取材)
田野について触れたので、昨年の田野探訪についてのレポです。
今回は北川村スタッフの方のご案内で、清岡道之助旧邸に行ってきました!
前回(二十三士温泉に泊まった時)も行きたかったんですが、土生の台地上にある地形ゆえの
急勾配と少し奥まった位置だったこともあって断念してました。
けっこう登った場所にあって、確かにちょっと車以外では行きにくい感じがありました(→こちら
今回は本当にお世話になりました。

清岡家は郷士でしたが周辺の土地を多数所有し、比較的裕福な家庭に育ちました。
道之助は「独眼流」と言われているように左眼が見えず、学問で身をたてようとしました。
始め、安田の高松順蔵(坂本龍馬の義兄)に学び、高知城下の岡本寧浦、さらに江戸に出て
のちに幕府最高学府・昌平黌教授まで勤め、儒者の最高峰を極めた・佐藤一斎の門で学び
その学識を買われ、土佐勤王党の東部・安芸地区の首領格となります。
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六部屋ある母屋、便所と土蔵、質素な庭で構成された標準的な郷士住宅で
こちらはのちの復元された建物です。

続き>>
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by enokama | 2010-02-23 22:37 | 土佐藩 | Comments(0)
今回は江戸に出て、安積艮斎門下に学ぶ弥太郎が父の奇禍を聞き、救おうと急遽帰国する
よく知られた立身出生のエピソードの一つなんですが
30日かかる所を16日で帰ったとか(実際に伝記に書いてあろのかな?)
安芸奉行所への落書きの話もしっかり盛り込まれていて、リアルに楽しめました!
鈍刀が鞘から出せないと言うベタなネタ(笑)があって、斬りに行くって言う弥太郎に
やたら冷静な説得の龍馬・・・しまいには刀、売ってましたけどね。
もうこれからは学問に生きるって言う表れでしょうか。

そして吉田東洋との対面。
おそらく東洋が映像化されるって今回がほぼ初めてでしょうけど
ほんと期待にたがわず、イメージ通りでうれしいです!
「わしは天才じゃきに、そんな人間は何をしてもいいんじゃ・・・」
それでこそ(笑)容堂公も東洋の弟子ですからね、怖いもんないんや。。。
ここでは下士だから相手にしなかったように見えますが、目上の者に対しても厳しく臨む人物で
たとえ門閥家であっても無知や能力のない者を憎み、のちの参政時には下士の登用も認める
実力重視の思い切った人事を行ってます。
しかし、この性格であっての改革者とも言えますが、上からも下からも恨みを買うこととなり
非業の死を遂げることとなるのです。
証拠に弥太郎には「おんしは何を持っちゅう?何も持ってないやつはだまってるしかない・・・」
突き放してるようだけど「何かを持っている自信があったら行動を起こせる」って示唆してるとも取れる。
てっきり弥太郎は「学問だけは誰にも負けません」って言うかなとも思ったんですがね。
まあ、そのあたりは次の弟子入りのシーンにとってあるんでしょう!

今回は一応安芸が舞台で、安芸郡奉行所も現在の安芸市じゃなくって、さらに遠い東の
田野になるんですね。
この一画には田野学館(学校)もできて、武市半平太も出張して剣術を教えることもあり
中岡慎太郎も学んでいた場所です。
今でも高知城下から車で1時間ぐらいかかるところで、距離も50キロぐらい離れてる。
当時は歩くしかないのに、龍馬も饅頭屋(あちこち出没しちゅう!)も気軽に高知城下からよく来られるな(笑)
後免ぐらいだったらわかるけど(それでも歩いて10キロあるから、大変だろう)
一応、突っ込んでおきます(笑)

江戸留学事情>>
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by enokama | 2010-02-22 23:39 | ドラマ感想 | Comments(0)

北野天満宮の梅花 2010

20日の午前中は百万遍の京大あたりに行って、幕末の史跡の場所を確認に行こうと
JR円町駅から今出川回りのバスに乗って行ったんですが
西大路から今出川に曲がったところで、いっぱい人だかりができてたんですね!
あ、そうか北野天満宮の梅が見ごろなんだな・・・(菅原道真の伝説もありますし)
ちょっと迷ったんですが、せっかくだし「上七軒」のバス停で降りて急遽、梅花を見てきました。

上七軒は古い茶屋街です!老舗「老松」
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北野天満宮の梅花>>
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by enokama | 2010-02-21 23:08 | 私の好きな京都 | Comments(0)

2010 京都記念

2月20日(土)
昨年末の有馬記念、1・2着馬が出走する京都記念を見に行ってきました!
さすがにいつもの土曜日と比べて観客も多かったです(3万人近かったらしい)

昼から行ってたんですが、京都10R の吉田兄のお陰で(彼の遠征時の先行馬は買いです)
交通費+歴史本2冊分+今日のフェブラリーSの分、浮きました(笑)

この日の画像多目になりますんで、久しぶりに今日の競馬予想を先に書いておきます!

フェブラリーS
◎エスポワールシチー
○サクセスブロッケン
▲グロリアスノア
△レッドスパーダ
オーロマイスターも買ってたんだけど除外になってしまった・・・
結果人気サイドで恐縮ですが(笑)

その他のレースは東京遠征の西園勢を買う
7R エーシンビートロン・・・対抗は河内さんの馬。
9R タムロスカイ・・・追っかけてます。強い相手にもそれなりに走る!
12R  ヤマニンリュバン・・・叩き2走目。得意コースでプレミアム配当にも期待!

こぶし賞と京都記念>>
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by enokama | 2010-02-21 12:30 | 競馬 | Comments(0)

「龍馬伝」第七回

香川弥太郎、やはり振られました(鶏が・・・笑)
けれども加尾の取り成しで、豪商の援助で江戸行きができることに(来週、微妙に展開ありそうですが)
この商人役(多賀屋って言ってましたっけ)がレッツゴーじゅん!
(松竹芸能のトリオ漫才・レッツゴー三匹、わかるかな?。俳優の時は「逢坂じゅん」となってます)
一応、土佐弁の役なんやけど、もともとじゅんさんって大阪弁以上に「船場言葉」って感じだから
土佐商人って言うより「なにわのあきんど」になってしまうんで、ちょっと違和感があったかな・・・
出演自体はうれしいですよ!阿部正弘・升毅にしろ関西系のコアな人選だ 笑。

土佐に帰国した龍馬。
早速、武市道場に行くと何か取りつかれたように、皆の目の色が変わっていた。
(「攘夷」の道場の墨書が細かい!)
以蔵君単独のシーンは今回が初めてだったんじゃないかな。
やはり若いし、さわやかですね。
だから、以蔵君も恋に落とさせるのですね(臼田さんは好きですよ!)
でも、前作の「篤姫」「天地人」はそのへんが、ちょっと嫌味だなと感じたこともあったんですが
今回のメーンだった「家族」にしても、今作ではすっと入ってくるような気がします。
やはり脚本が男性・女性の違いもあるんでしょうか?
僕は今作が断然、過去2作よりいいと感じるんですが、視聴率的にはあまり変わりないんですね。
女子の方が弱いのかもしれない・・・
まあ「皆様のNHK」だから、しっかりと(スポンサーのある)民放よりも反響・意見は反映させて
行きますからね。
ひょっとして中岡慎太郎と、その愛人のシーンなんかも出てくるかもしれないし(見たくない・・・?)

あと今回は河田小龍先生の登場で、時間もじっくり取ってありました!
僕的には、龍馬ってあまり巷に言われるほど河田先生の影響って受けてないと思うんですよ。
(実際、記録が乏しいので2回ほどしか会ったことないとの説あり)
意外に実学的な面は間崎哲馬先生に教わってるんじゃないかと・・・
(江戸で接触してますし。今回は間崎さんはスルーっぽい?)
河田小龍の絵は京都・蹴上の「琵琶湖疎水記念館」に、まとまった数の疎水関連のスケッチが展示
されています。素晴らしい絵ですよ!
絵以外の事は正直、あまり知りませんので、また機会あれば調べてみます。
近藤長次郎はまだ町人姿で「饅頭屋」で苗字を名乗ってない設定でしたね。
ここから武士になり、武士になったからこその死につながって行きます。。。
大泉洋の長次郎、期待してます!
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by enokama | 2010-02-19 23:15 | ドラマ感想 | Comments(0)

「龍馬伝」第六回

第六回は黒船の衝撃で剣術に身が入らなくなった龍馬。
桂小五郎はもっとやつれているし、作った黒船の模型は精巧すぎるし(笑)
美術さんも細かい所をしっかり作ってる今回の大河はいいですね!
生瀬松蔭先生は金子君と気合の注入(笑)
「失敗がわかってても、行動を起こすことが大事」
さすがのインパクトでした。

剣は確かに攘夷のための道具ではないですね。
その思いを実現するための自己修練の物なんです。。。
実は僕も中学だけ剣道やってました。
やはり精神的な面を鍛える所をよく言われるんですよ!
昔から某宗教が学校体育で剣道があっても、できないとかほざいてますけど
あいつらはまったくわかっとらんのです。

土佐では半平太が東洋と対面してました。
その前のシーンでは容堂公がいい調子で飲んでました(笑)
まあ、半平太があっさりの判定負けなんですけどね。。。
土佐の従来の幕末史観って武市=土佐勤王党が正義って、田中光顕が作ってきたんだけど
今回ばっかりは吉田東洋門下をしっかり描かれる予感です!
幕末期は容堂・春嶽の路線が終始、正論なんですけど・・・
革命や変革って、そうも行かないなのが常なんですよね。
結局「下士」だからと括ってしまう半平太・・・
そっからして東洋とは絶対、相容れない関係になってしまう。
段々、大森さんも表情が変わってきましたね。

ラストは香川弥太郎が加尾ちゃんに告白してまいた。。。
「おまっさんと呼んどくれ」の得意満面な顔は最高でした(大笑)
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by enokama | 2010-02-19 22:21 | ドラマ感想 | Comments(0)

上げます!

日曜日についカッとなった記事あげてしまいまして・・・
心配のメールもいただいたりして、ありがとうございます!

取りあえず、今度の土曜は淀にブエナとドリジャニを見に行くことにしたし
中々組めなかった5月の旅行プランも、やっと納得して形ができてきた。
また先に楽しみができたら、気も晴れてきますよね!

龍馬伝の6&7回もやっと見ることができました。
感想はまた明日にでも・・・
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by enokama | 2010-02-16 23:31 | 総合 | Comments(0)

霊明神社のお話

2月7日(日曜日)
この日は大阪龍馬会の講演を聞きに行ってきました!

題目が「洛東霊明神社と草莽の魂 龍馬・慎太郎・藤吉の神道葬祭の社」で
神主の村上さんのお話。約2時間強でしたが、それでも時間が足らないような
盛りだくさんの話と、僕らからしたら、すごいお宝の遺墨がたくさん霊明神社に残されている話で
ほんとに行ってよかったなと思いました。

幕末に幕府の影響力の低下、外国からの圧力もあって各地で「尊皇」の動きが広まりますが
その先端を行く長州藩士が「神式」により祀られる地を、霊明神社にその場所を求めたのが始まりで
その仲立ちをした伊藤俊輔らの書簡も残されているそうです。
そして文久2年(1862)12月に、在京尊王派志士たちにより「招魂祭」が行われ、のちの靖国神社に先立つ
初めての私祭で、そのメンバーは長州はもちろん、会津3名(秋月悌二郎もいた)二本松3名
そして天誅組の藤本鉄石らと・・・ちょっとありえないメンバーですが、そのころは彼らの思いと言うのは
共通の認識だったのだろうと言えます(この名簿もあるそうです)
そして「禁門の変」もあり、彼ら同士でも対立することとなり、その経緯で「霊山」には薩摩はいないと言う
のが僕らの常識なんですが、もう一つ寺院の勢力が強く神式がなじめなかったと言う面もあったそうです。
後、明治になって「神仏分離」があったり、靖国神社から各地に護国神社ができたりして
(このあたりはちょっと勉強不足でうまく説明できないんですが)
元々「霊明神社」の墓所は上知され 「霊山護国神社」に取り込まれるような形で、現在に至っているのです。
今の墓所の中腹右端にフェンスがあり、別のような社がみえますよね。そちらが霊明神社なんです。

その経緯があるので、当時の志士たちの遺墨がたくさんあるのです。
平野國臣の歌の短冊(これはすごい!)やら頼三樹三郎の書や、パークスが京都・花見小路で襲撃された
時に護衛の後藤象二郎・中井弘に斬られた攘夷志士・朱雀操の刃こぼれした刀やら、まだ解読できず
意味がわからない書簡がごろごろあると・・・
今の神主さんが継いでから萩出身で歴史に興味があると言うことで、史料を解析し公開の場も設けて
行きたいと言うことで、こうして講演もされるようになったそうです。
また題目の「龍馬・慎太郎・藤吉」の葬祭の文書もあるんですね。そこには実葬と書かれ
実際に埋葬されているのがわかります。
史料を探ると近江屋・井口家が、今でも代々祀られておられるのは知られていますが
菊屋(鹿野さんと言う姓になったそうです)の名も明治のころはたくさん見られるそうです。
菊屋は峰吉ですね。商売が本屋で中岡慎太郎の寓居ともなっていた場所です(暗殺のころは白川にいる
ことも多かったようですが・・・中岡慎太郎寓居跡碑が立ってる所です)
実葬については、禁門の変やら池田屋事件でも、遺体の行方ってわからなくなっている事も多いし
墓標だけと言うのも多いようですから300柱あるうち、実葬なのは3分の1ぐらいではないのかと言う
お話でした。

最後に村上さんは「慎太郎もぜひ世の人に知ってもらいたい」とおっしゃっていました。
藤吉もしっかり祀られていますよとも。
また、こう言った神式の墓所の話は高杉晋作と慎太郎の話から始まったかもと・・・
長州の桑山・桜山招魂所もそこからできたんでしょうかね。

この後、今日もアフターで5時間近く話ししてきました(笑)
また話も聞きたいし見に行けたらなと、また次回の機会があればいいですね。。。
どうも、ありがとうございました!
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by enokama | 2010-02-10 01:05 | 歴史全般 | Comments(0)