エノカマの旅の途中

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旅と歴史と競馬のお話をします

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最果ての地で紅白を見る

今、ある半島の先端にいます!雪に閉じ込められて外出できない(泣)
で裏番組は面白いのないんで紅白見てます。

なんかまた時間が長くなったようで間延び感があって
もっとサクサク進めるほうがいいと思うんですがどうでしょう。
曲も昔のん歌ってるのが多いようで、昔の顔で出てる人も多い。
今年らしいってのはカエラと嵐ぐらいとちゃうかな…
(ちなみにリーダーらしい大野君って一週間前にはじめて知りました。ええキャラしてるね)

今さら津軽海峡やらチャンピオンなんてね…
永ちゃんは予告なしなんですか?よう承知したもんですね…(さすがの永ちゃんも緊張?で歌詞飛ばした
ようですが 笑)
最後は祭か。ちょっと違うではないかい。
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by enokama | 2009-12-31 23:18 | 総合 | Comments(2)
先日、記事にしました(→こちら)NHK「爆笑問題のもうひとつの‘龍馬伝‘」見ました!
内容的には坂本龍馬のした仕事って言うよりも、プライベートな人間性に迫るって感じでしたが
ほんと面白かったです。


近江屋に似せたセットで収録されていて、ゲストがノムさん!
龍馬のイメージはって聞かれて「野球で言うと長島茂雄で、自分は明智光秀だ」(中岡にはならんのね 苦笑)
とおっしゃってました。

続いて京博の宮川さんが出てこられて、龍馬の手紙の解説を。
まあ字はともかくとして。。。手紙一つでも本題に入る前のつかみ(安心させる)細やかさか絶品
だそうです。
やたら「キ○タマ」(眞鍋が反応しすぎで笑った)とか「おなら」とか出てくる手紙があるってのも、龍馬ならでは。
勝海舟や西郷さんと言った大物でも、すごく懐に入っていって後もかなり世話を焼いてもらってます。
そのあたりの「人たらし」ってのも、この時代に秀でた個性で活躍できた素地だったんでしょうね!

続いて龍馬の亀山焼(長崎の社中があったところ)の龍柄の飯椀を持って、下関・長府博物館の
古城さんがこられました。
出演されるとはお聞きしてたんですがVTRじゃなくって、スタジオでノムさんや爆笑問題と絡んで
じっくり話しされました。これがむっちゃ面白くって・・・
僕が長府に行った時は、五卿やら筑前勤王党(!)の事中心に聞いたんだけど
(普通、あんまりしない話やろけど 笑)
もっと龍馬の話も聞いてればよかったな。今度お願いします(笑)
でもほんと調べたら下関は龍馬とゆかりが深いんですよ。
そのあたり「龍馬伝」でどう取り上げられるか楽しみです!

後、前回言ってた「電話ボックスの画像」はコーナー自体がなくなってしまったと連絡いただいたんで
間接的に古城さんと一緒に番組に参加できなかったのは残念ですが、盛りだくさんだったんでよかったです。。。
なお見逃した方は年明け3日の夕方に再放送予定がありますので、ぜひご覧ください!

担当の大久保Dお疲れ様でした!
出演者の人選も僕みたいな歴史かじってる者から見ても、とても満足できるものでした。
今度はちょっとでもいいから、中岡の慎ちゃんをぜひ取り上げてくださいね(笑)


それでは年内の更新は今日で最後となります。
おかがさまで、あまりメジャーじゃないな人物を取り上げることの多い当ブログではありますが
最近は1日50アクセスほどいただきまして、ほんとに励みになっております。
まだ「高知レポ」「堺事件」「北垣国道」と言ったネタを持ってるんですが、まとめるまでに至ってません。
それと「龍馬伝」もいよいよ年明けから始まりますんで、この感想も毎週していきたいと思っています!
しかしながら、まだまだ至らない点・勉強不足の所もありますんで、ご教授いただければありがたいです。。。

明日からは例によってしばらく、旅に出ます。。。
更新は携帯からいい画像が取れたら送りたいと思ってます!
それでは皆さん、よいお年を!!
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by enokama | 2009-12-30 23:29 | 歴史全般 | Comments(4)
正月休みは一応9連休なんですが、お蔭様で年末年始に添乗が入ったり
地区の掃除とか、何んやかんや用事があって(今からも夜警に行きます)あまりゆっくりする時間がありません。。。
でも1本ぐらいは正月映画を見ときたいなと思って、今日昼前から見てきました。

「のだめ」は原作を見てるんでテレビもそうだったけど、これほど忠実に原作に沿っているもの
はないですね。
なぜ映画館で見たいかというのは、やはり実際にオーケストラのシーンを大音響で聞いて見たいからです。
(ネタばれになるので以下は閉じます)

感想>>
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by enokama | 2009-12-28 19:53 | 書籍・ライブ・映画 | Comments(0)
やっと年賀状ができて、今日は有馬記念が終わって、もう年末だな~って感じです!
仕事は昨日でおしまいで、帰って競馬の結果見たら阪神でなんと1000万馬券が・・・
高橋成先生のケイエスは前日の新聞読んでて、頭もあるかなとは思ってたんですが
朝出勤途上でゆっくり考えて買うこともできず、ヒモが和田と藤田(1着が哲三で騎手だけだったら買えるぞ!)
前走とかそれなりに人気してたやん。。。なぜに1000万になるんだ?
現場行ってじっくり検討してたらな・・・1000万がそこまで来てたかも(悔)

今日の有馬記念はいいレースでしたね。
がんがん思い切ってみんな行ってくれた方がやっぱりレースは面白い。
ドリームジャーニーは屋根が池添固定になったからこそ、最近の手の内に入れた好成績につながってる
んでしょうね。
僕の◎エアも勝とうと思ったら、もう少し前に付けられたらと言いたいけど、現状はこの形がベストなんでしょうか。。。
ブエナビスタも先行してスムーズだったし、今回はいい刺激になったでしょう。
8着のイコピコは屋根を固定して、形をしっかり作ったら(いい脚あるし)もっと良くなると思うんだけどな。
厩舎所属の酒井学君でもいいと思う。彼は本当に乗れてきてる(尾張Sのヘッドライナーはお見事でした)

今日はNHKを録画して、関テレの「ドリーム競馬」を生で見てたんですが最終回でした(ドリームはサイン!?)
司会のお姉さん(名前思い出せない)が玉の輿結婚するそうなんで、辞めるのはわかってたけど
杉本さんと大坪さんも卒業なんですね。。。
大坪元雄さんは僕が幼稚園ぐらいの時から出てたの覚えている(TTGの時代です。僕はグリーングラスが好きでした 笑)
けど40年出てたんだって・・・
それに関テレ以外の小倉も中京も出てたから、年中出ずっぱりでした。
いっつも本命サイドの予想だし「穴っぽい」って言うのは4番人気ぐらいだし(穴とは言わんでしょ)
けどパドックとか、やはり安心感がありましたね(フジだったら御大・大川慶次郎先生のポジションです。
実況だったら東の盛山、西の杉本・松本ってとこでしょうか)
さすがに感極まって大坪さん、あいさつの途中で言葉が詰まってましたね。。。寂しいです(泣)
大坪さんのいない競馬中継ってちょっと考えられない・・・来年からいったい、どう変わるんだろう。
杉本さんもお疲れ様でした!
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by enokama | 2009-12-27 21:14 | 競馬 | Comments(0)
最近は「龍馬伝」絡みの記事を出すと、びっくりするぐらいのアクセスがあります。
関が原の時もそうでしたが「歴史ブーム」なんでしょうね。。。
僕も数年前までは、一人でいろいろ動いてましたけど(みんなで旅行行っても、行きたいとこ行けないし)
最近は同志や仲間が増えてきたようで、うれしいです!

で、、このブログも最初の思惑とはだんだん外れて行って、歴史系に特化しつつあるんですが
一応「旅と歴史と競馬のお話をします」ってことで・・・今日は競馬の話題をします(笑)


まず、今年で競馬歴15年ほどの僕ですが(ナリタブライアンの頃からです)
競馬場に行ったのが5回だけで、G1もライブで見たんは宝塚記念と菊花賞だけなんです。
そんなレースも今年のG1見ても、そうですが「折り合い、折り合い」って言うか知らないけど
前残りで足余してってのが多すぎるんやね。
力信じて思いきって乗ったらいいのに、強い馬が強い競馬ができないってのは歯がゆいです。。。
馬券の売り上げ落ちたのもそれが原因ですよ、僕もそうだし。
ウォッカもJCだけでも勝ててよかったですね。秋の印象はこれぐらい・・・
春はやっぱりブエナビスタかな。ダービーは良馬場で、できていたらまた違っていたでしょうしね。

馬券の回収率は80%ぐらい。でもお気に入りの飯田騎手馬券は無条件で買っているんで
それがなかったら、トントンぐらいには持ってこられたかもしれない。。。
そいいやホッコータキオンの故障も痛かったな。
同じような騎手・同じような厩舎ばかりでやるのと違って、思い切って澱みなく乗れてたら
面白かっただろうな・・・


まあでも最後の有馬記念はやっぱり楽しみですね!

予想>>
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by enokama | 2009-12-26 22:52 | 競馬 | Comments(2)
まずは業務連絡です。
私を通じて「中岡慎太郎先生顕彰会」入会申し込みされた方。
手続き完了したそうですので、また北川村の方から案内等送られてきますのでご確認ください。
改めて、これからもよろしくお願いします!


やっと、やっとキャスト発表されましたね!!(→こちら
上川隆也だったら、単なるチョイ役で終わるわけないでしょう(嬉)
発表はここまできたら春ぐらいで、出演は9月か10月。
龍馬と桂小五郎が待つ下関に、泣きそうな顔の慎太郎が「西郷さんは来んかった」(→記事
と言うシーンがてっきり初登場かと思ってました(笑)
もう少し早くなるんでしょうね。どこからかな?楽しみです!

後、慎太郎のボスの三条実美役も発表されてました。
意外かなとも思ったんですが、平井加尾や土佐との縁もあるので出演も早い時期かもしれませんね。
三条役と言えば「飛ぶが如く」の(白豆)角野卓造。公卿きっての過激攘夷派も、維新後「征韓論」政変では
優柔不断さを西郷さんらに責められて、寝込んでしまうと言う軟弱さが印象的でした(笑)
この時は江藤新平が最高だったな!
「天地人」の笹野・秀吉にも言えますが、主役を食うぐらいの勢いの脇役も欠かせません。
今回は強烈なキャラの後藤象二郎か、意外にさわやかな(上川さんだし)中岡慎太郎か・・・?

話は変わって今週の「週刊ポスト」に「龍馬伝」にまつわる記事と、関連する人物の紹介
がありました。
けっこう面白かったので(珍しく買ってしまった・・・)
慎太郎関連の一部、抜粋します!

末裔が語る慎太郎最強伝説>>
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by enokama | 2009-12-23 17:25 | 中岡慎太郎関連 | Comments(11)
万延元年(1860)3月。桜田門外の変で大老・井伊直弼が斃れ
文久元年(1861)11月。和宮降嫁が実現し、公武合体派が幕政の大勢を占め
文久2年(1861)7月には、こちらも公武合体論を取る薩摩藩父・島津久光の後押しもあり
将軍後見職に一橋慶喜・政事総裁職に松平春嶽の政権が樹立する。
もちろん開国論を取って、進んで西洋の技術を導入し幕軍も洋式化。
徳川幕府の象徴的な制度で、諸藩支配の一つだった参勤交代制度の緩和を図り(隔年から3年ごとに)
その浮いた費用で海防に充てさせると言う、思い切った改革も行っている。
容堂も文久2年4月に謹慎が解かれ、慶喜・春嶽の幕政改革にも積極的に協力。
もちろん改革により不利益を生ずる保守派から庶民(参勤の緩和でお金が落ちなくなった商人ら)
まで不穏な動きもあり
この年には土佐勤王党の有志が、容堂の護衛を名目に「五十人組」を作って江戸に入ったこともあった。

一方、京に入っていた武市半平太らは、薩長の過激な尊攘派らとともに「天誅」とするテロも辞さない
強い態度で、薩摩・樺山三円や長州・久坂玄瑞と提携し、三条実美・姉小路公知といった強硬尊攘派公卿
らの下、姉小路の雑掌・柳川左門として暗躍していた。
一方、平井収二郎を中心とした朝廷工作では、青蓮院宮からの勤王・攘夷の令旨をもって
藩父で影響力を持っていた山内豊資を動かし容堂の論を退け、藩論を尊攘論に持っていこうと画策した。
のちこの行動が三士の切腹の悲劇へとつながるのだ。

文久3年(1862)8月の「八一八政変」で公武合体派は尊攘派に勝利。
この年4月に八年ぶりの土佐帰国を果たし、藩政を再び握っていた容堂は
勤王党の弾圧にかかり、半平太も逮捕。
数名の切腹・斬首者を出し、逃れ脱藩し他国へ流れた者も多く「土佐勤王党」は瓦解し
土佐の政権は保守派と東洋の門人らの改革グループの連立となった。
再び藩政を握った容堂は中断していた、亡き吉田東洋の開化政策を復活させ推し進める。

この新しい政権で容堂に信任され、吉田東洋の開化政策の遺志を継いだのが直弟子で
義理の甥だった後藤象二郎で
(そのころ、かねてから勤王党と通じていた竹馬の友、乾退助は反発し江戸へ望んで行ったとされる)
その象徴となる開成館は、この城東・九反田(くたんだ)の地を中心として慶応2年(1866)2月5日に発足する
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軍艦・貨殖・勧業・捕鯨・税課・鉱山・火薬・鋳造などの各局が設けられ
軍艦局には機関科・航海科・乗組員教育を置き、上士・下士身分を問わず修学生募集を始めた。
貨殖は殖産やそれに伴う貿易を行い、大坂と長崎(土佐商会)に出張所を置く。
こちらは土佐名産の樟脳・木材が主な取引商品となり、新たな商品生産も試みられた。
また医局、訳局も作り西洋医学や洋学の研究もされた。
この「開成館事業」は非常に多岐に及ぶもので、薩摩の名高い「集成館」も視察し模範にしていた。

>>後藤の長崎出張と坂本龍馬への接近
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by enokama | 2009-12-21 22:42 | 土佐藩 | Comments(0)
幕末風雲を告げるころ、度重なる飢饉や外圧など、200年以上続いた幕藩体制は揺らぎはじめていた。
土佐でも12代藩主・山内豊資のころから藩政改革に着手し、それを引き継いだ13代・豊熈の時に
(1843年(天保14年)3月~)登用されたのが、学者でもあった吉田東洋である。
彼自身の刃傷沙汰や酒席での失策などで幾度かの免職・蟄居を受けながらも
飢饉のために米を備蓄する済営倉の整備に始まり、人材育成のための文武館の設置。
開化(開国)政策のため箱館(1857年(安政4年)に二士を派遣)そして薩摩、
長崎(1859年(安政6年)に岩崎弥太郎を派遣している)の視察。
兵制の近代化・洋式化、文化面では藩史「海南政典」の編纂など数々の藩政改革を推進した。
それらの改革を担ったのが免職・蟄居中の1854(安政元年)6月ごろから始めた彼の私塾「少林塾」の
門下生で甥にあたる後藤象二郎、福岡考弟、神山左多衛ら。郷士でも間崎哲馬、地下浪人だった岩崎弥太郎
と言った身分に捉われず、能力のある者を抜擢し「新おこぜ組」と呼ばれた彼らが中枢を担った。


1853年(嘉永6年)12月に山内家の連枝から藩主となった15代・豊信(容堂)には、さらに高くその見識を買われ
豊信自身が東洋に師事したと言われるほど、彼の諸政策に大きな影響力を及ぼした。
仕置役(参政)に東洋、側用役に小南五郎右衛門の改革派の両名を置き、門閥打破や能力主義
を打ち出し「富国強兵論」や「開国論」を目指した。
この土佐の目指す政策は福井藩士・橋本左内の知ることとなり、左内を通じて幕末きっての賢候とされた
藩主・松平慶永(春嶽)とも同じ方向を目指す同志としてよしみを結ぶこととなり、さらには「公武合体」を
打ち出した幕政改革にも乗り出すのである。
しかし慶永・豊信らは「慶喜継嗣問題」に破れ失脚、江戸にて謹慎となるのだ。
(1859年(安政6年)2月~1863年(文久3年)4月になって土佐に帰国がかなう)


この間、土佐には3つの派閥があった。
東洋らの改革派、東洋らの門閥打破・能力主義の世襲制限も伴う急激な改革に反対する保守派(守旧派)
は小八木五兵衛・寺田左右馬がいて「小八木派」と呼ばれた。
そして武市半平太を盟主とする「土佐勤王党」は尊皇攘夷を掲げ、東洋の政策とは真っ向から対立していた。
この不安定な勢力の中、東洋は参政として政権をにぎり(1858年(安政5年)1月~文久2年(1862年)4月の暗殺まで)改革政策を推し進めた。
海防の重要性を説く東洋は海岸線が多く、城下の武士団を派遣すると非効率になるため民兵を募集。
これには百姓や庄屋・地下浪人もOKで、商人も一旦農民となれば応募できた。
応募に応じた彼らは教練所で指導を受けたが、その場では帯刀も認められた。
さらに技量を認められたものは郷士に取り立てられると言う思い切った政策を取った。

また身分制度も思い切った「職階五等」と呼ばれる役職の整理を行い
文武諸芸家とされる「槍・剣・弓・馬・砲」と言った技術職の世襲は廃止し、完全実力主義に移行
それに伴い「軽格職陛」と呼ばれた、軽格でも才能のあるものはどんどん士分に取り立てていき
ゆくゆくは「完全能力主義」へと考えを持っていたのであろう。

もちろん、その階級打破を図る政策を喜ばない保守派、開国論に反対する攘夷派・勤王党からは抵抗され
政策実現のための徴税の強化で庶民からも人気がなく、彼自身の豪華な邸宅や財政危機の時に
教育施設などに経費を投ずる時節ではないなどの批判を受けていた。
しかしながら自身の能力で破格の抜擢を受けた彼には自負の念も強く、他人の批判・意見にも容易に
受け入れない。学問上の交流があった水戸の藤田東湖は、その高い学識には評価しつつも
「あの気質では平和には死ぬまい」と評していたといい、図らずともその予言がやがてくるのであった。
半平太も尊皇攘夷を必死に東洋に説くが、彼の論(維新後の日本から見たら正論)に屈服する
ことも多く「一藩勤王」を説く藩論転換には至らなかった。

そして、その時がきた・・・
文久2年(1862年)4月8日、勤王党の那須信吾・安岡嘉助・大石団蔵の3人の刺客は
帯屋町にて東洋を暗殺、首級は雁切橋のたもとに晒された。
しかし、この暗殺は勤王党だけでなく、同じく改革路線に反対する小八木派もかんでおり
容堂(隠居後に称す)の実弟・豊誉も周知の犯行であり、のちの容堂らの暗殺犯の検挙の妨げともなった。
東洋と同じ時期に「航海遠略策」を説く長州の長井雅楽も、藩内の久坂玄瑞らの尊攘派に迫られ切腹をしている。
尊攘派の思いは狂気となって、やがて暴発に向かうのだ。

16代藩主・豊範(豊資の実子)は豊誉らと共に勤王党に理解があったとされる。
政権を握った半平太は東洋暗殺後に豊範を動かし、土佐藩は参勤で江戸まで上らず
薩長と同調して500人の兵を擁し京に入り、皇居の警備に当たった・・・
しかしこの情勢も勤王党にとって、再び暗転する。
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by enokama | 2009-12-20 23:37 | 土佐藩 | Comments(0)
ここ3週ほど歴史関係の方との忘年会・飲み会が続いています。。。
今週末は勤め先と、前の会社の人との忘年会2件。
考えて見れば趣味以外の飲み会って、超久々かもしれない。
逆にしゃべれるネタがあるんだろうか、ちょっと心配です(苦笑)


そう言った飲み会では、やはり「龍馬伝」の話題になります。
先週、撮影風景を少しNHKでやってましたが、寺島しのぶ@乙女姉さんがごっつい役つくりで貫禄十分だったり
大森南朗@武市半平太や、宮迫@平井収二郎も、初期はかなり出番ありそうで
大泉洋@近藤長次郎も「商人から武士(志士)へと変わる姿をお見せしたい」との意気込みで
とてもわくわくしてます。。。

一方「中岡慎太郎は出てくるのかな・・・出ないとおかしい」って言ってくださる人も多くて、心強くもあるんですが
出てくる本は龍馬単独が多いし、今回の設定だと岩崎弥太郎や後藤象二郎・吉田東洋あたりの
解説した本って出てもおかしくないのに(ほぼ見られるのは平尾道雄さんの著書しかありません)
相変わらず吉田東洋が保守派のように書かれていたり
(実は半平太よりも東洋の方が正論で、明治維新は東洋の目指した世そのものになっている。
何度討論しても東洋の方が勝っていたので、本来の保守派と結託して暗殺を図った)
薩長を結んだのは龍馬の力だし、岩倉を説得したのも龍馬、その平和主義に対抗する武力討幕なのが
西郷と中岡なんだ(とりあえず有名なY村T也氏の新書の内容です。それと似たものも相変わらず多し)
まあ、とりあえずは滑り出しが肝心でしょうか。既定の概念と違った解釈も出てくればと、わずかながらも期待します!

ライフログに何冊か追加しました・・・
龍馬本は霊山歴史館の木村武仁さんと(中岡慎太郎多目。本人談!)佐川・青山文庫の松岡司さん
(肩の凝らない内容ですが面白くて貴重な内容です)
あと、最近出てるものでこれって言うのは正直ないです・・・

また、こちらのブログの過去記事も新たに調べて知ったことを随時追加して行ってます(長州・土佐あたり)
中岡慎太郎関連では後は、彼の論文の解析をしていきたい。
そしたら「中岡慎太郎の明治維新」(仮)として、まとめていきたい(あくまで予定です・・・)
と思っております!
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by enokama | 2009-12-17 21:14 | 中岡慎太郎関連 | Comments(0)
今週後半から、いよいよ寒くなりそうですね!
関西でも雪が降るかもしれません。。。
僕の車もスタッドレスに履き替えました。

天気予報、山形・庄内地方も雪だるまになってました。。。
会津が好きな人にもお聞きしたんですけど、北国で一番来てほしい、いい時期って意外に冬だと
言う人も多いですよね。
僕の旅行記事をみてもらえればわかりますが、いつもレンタサイクルの機動性を駆使して
体力任せで回れるとこは、地図でしっかり漏らさないよう・悔いのないようにいつも
びっちり回ってきます。
でも冬だったら雪で滑ったりするだろうし、そんなせかせかした行程ってのは組めないんで
やはり季節的に敬遠してしまいます。
でもじっくりゆったり過ごせるなら一度、なんせまだ体験したことのない雪国の冬のことですから・・・
またいつか機会があれば、行ってみたいです。

今日は庄内の話題をいくつか>>
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by enokama | 2009-12-14 21:52 | 庄内藩 | Comments(0)