エノカマの旅の途中

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今年も11月15日がやってきます(詳しい内容→去年の記事
行事的(→HP)には昨年から始まった「龍馬よさこい」・イラスト展、3時過ぎから「旧土佐招魂社祭」
3時半ごろから「龍馬・慎太郎墓前祭」となります。
もちろん北川村の軍鶏を使った軍鶏汁も境内で振るわれます!

ただし去年の土曜日もすごい人出で、墓参は12時過ぎぐらいからは1時間以上の待ち時間
が出ていたようで、その列は上記の墓前祭の時間の間はストップとなりますので大変な混雑と
なっていました。
来年の大河もありますし、空前の人出になるかもしれません。
早めの参拝がお勧めです(9時には開いているそうです)
霊山歴史館でもこちら(→HP)の行事がありますので、興味のある方はお越しください!

また例年、中岡慎太郎の故郷・北川村からも境内でテントを出されているのですが
今年は「北川村ゆず王国」の物産など、バス1台で大挙してこられるそうです。
この機会にぜひ、中岡慎太郎のことをもっと知っていただけたらなと思います。
私も9月の北川村行きで慎太郎ハッピを買ってきましたので、それを着てお参りしてきます!
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by enokama | 2009-10-30 23:34 | 中岡慎太郎関連 | Comments(4)
(板垣退助の記事は→こちらも

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全国の板垣退助ファン及び自由党支持者の皆様、お待ちかね・・・板垣さんが勝者(かな?)で
「名将の決断」シリーズに登場です。。。

土佐上士であった(当時は乾)退助はかねてから、尊王論を抱いていたが
山内容堂~後藤象二郎の藩政は第一次征長後、幕府寄り(公武合体)に傾き勤王党の弾圧に乗り出した。
退助はそんな最中、江戸へ左遷(自ら望んだもよう)
また、旧勤王党の実力者で脱藩後は過激派公卿・三条実美の下に身を寄せ、長州人や西郷隆盛
(のちに岩倉とも)とも太いパイプを持っていた中岡慎太郎と結び、のちの薩長土の勢力につながる
土佐軍の軍制を整備し、戊辰戦争ではその秀でた戦術に加え、柔軟な交渉をもって
(三春藩への説得、日光を戦塵から救ったなど)最高に近い成果を上げ、栄誉を受けた。

維新後は土佐藩政において「人民平均の理」を説き、全国に先駆けてほぼ「士農工商」の身分制度をなくし
のち新政府の参議となるが、所謂「征韓論」を巡るとされる政変では、西郷らと同調し下野。
幕末期は武人としての評価が高かった彼は、一変して言論による野党としての活動をし「自由党」党首として活躍。
西南戦争で事実上、西郷が身を持って終わらせた士族反乱は終結し「民権派」と呼ばれる彼らの行動は
一般市民の支持も得て、議会開設後も大きな勢力となって行った・・・

正直、少しお尻がかゆくなるぐらいの板垣伝説になってます(笑)
火坂さんが板垣を知ってるとは思えないし・・・
まあ、原典となる自由民権関連の資料はどうしても誇張気味になってしまいます(これだけとも言えませんが)
んでしょうがないかな。
でも、維新前までの反政府や抗議行動って絶対血を流すものだっただけに、一連の士族反乱後の
より処となって、選挙次第では政権交代も可能な政治が実現するようになったのは評価できるでしょうね。
人材も片岡健吉、中江兆民、大江卓、植木枝盛と輩出して、真の近代国家へとつながって行きました。。。

後藤象二郎との友情論は、中江兆民が語って「私情に絡まるのは政治や公党の公ではよくないに違いないが
私交上ではむしろ美徳である。板垣は政治家としては資質に欠けるところはあっても、個人としての美しい
徳を持っていたことでは近世の偉人である」
信念にまっすぐな板垣と心変わりしやすい後藤は、仲たがいをすることがあっても板垣の方で
許して折り合いをつけたので、終生変わらない友情で結ばれたのだ。
なるほどね・・・板垣は決して卑怯なことはしなかったし、非情さって政治家としては少しは持ってても
いいと思うけど、そのあたりは半面、板垣らしい良さかもしれません。。。


最後にもうこの文みたら、はらわた煮えくり返って、ほんまに・・・
もう80超えたおっさんやから、どう言っても無駄やけど慎太郎の名誉に関わることだから言わせてもらう!
編集者もこんな戯言は二度と載せんといてくれ!

この本の監修者が、いつも文章書いてるんですが
板垣がなんで、坂本龍馬と結び付けられないとならないの?
僕は人よりはこのあたり調べてるつもりだけど、マジで関係まったくないの。
「自由民権は坂本龍馬以来の流れだろう」・・・え、龍馬と関係ない民権派活動家は土佐から何人もいますが
「土佐の藩論は坂本龍馬の平和革命であり、中岡慎太郎の武力革命である」
このおっさんは、分け方おかしいねん・・・

ある書では、土佐藩は坂本龍馬の「共和路線」に傾き大政奉還と言う平和変革を提言していた
だから武力によって成立した薩長中心の政府では立場が弱かった。
武力討幕を主張した中岡慎太郎は新政府内では名高かったが、反対した坂本龍馬は知られなかった。
あれ・・・共和路線って、幕府が倒れたあとの新体制で、議会政治などの国民の幅広い意見が
取り入れられることを言うんでしょう。
この分け方だったら、慎太郎は武力で幕府を倒した上で強権政治でも行いたかったわけですか?

大政奉還論は論文にもしっかり残っているけど、慎太郎の方が具体的な行動は早かったんです。
そこで、慶喜を含めた四賢候の会議も西郷と図って行われている(「長州の名誉回復」「兵庫開港」が議題)
ここで慶喜ら幕府側は、あくまでも自身らの主導権を主張した。
大政奉還によって徳川が「一諸侯」に収まるとは、とても思われなかった・・・
ここで「武力討幕」も選択肢の一つに、薩摩は切り替えるのです(小松帯刀もはっきり同意してます)
話会いは慶応元年あたりからずっとやっている。最初から武力ありきではないねん。
このあたりは、幕末の修羅場を多くの仲間を無くしながらも、生き抜いてきた志士たちは信念を持った
ことで、久坂や高杉の考えとも一致している。

土佐の共和路線ってのも、龍馬の考えばかりではない。
早くから山内容堂、首相格の後藤象二郎も英国流の議会政治は知っていて、興味を持っていた。
薩摩浪人の中井弘って人物を英国に密航させたりしてるねん。
だからむしろ龍馬に接近していったには容堂・後藤の方。
開成館の事業なんかは「亀山社中」の業務内容ともぴったりだし、龍馬自身も福井や幕臣の知己も多い。

だから早くから長州に身を置いた慎太郎とは立場は異なってくる。あの大村益次郎だってそう・・・
「大政奉還」は諸刃の剣でもある。だから慶喜の実力を知った者は、完全にその力を削いでしまう
考えになるのは当然だ。解釈しだいでそのまま徳川が温存されることにもなりかねない。
だからいつまでも兵も連れず、のこのこ上京してきた後藤を西郷が激しく罵倒するのだ。
様は幕府亡き後の政体についての路線の対立であって「朝幕一致」の動きはだれもが考えていたこと。
だから「武力討幕」で幕府を倒し、新政府で「共和政治」を行うのは可能でしょう。
ほんまにとんでもない理論なものだ(苦笑)

あと、薩長同盟が龍馬の奇跡的な功績って言うぐらいは許すけど
岩倉具視を見出し、三条実美と結びつけたのも龍馬だって・・・人のやったこと取るなよ(ほんまに書いてる)
岩倉はバリバリのこの人が言う武力討幕派でしょうが。
慎太郎はただ単に「好戦家」としてしか出てこないねん(それ以外のことはまったく出てこない)
板垣の自由民権論も龍馬の説を思い出しただと・・・
討幕時の武力(用兵)とこの時点で武力に訴えることとは根本的に違うでしょう。
人と人を結びつける説得は龍馬より慎太郎の方が断然上です。
そんな武力に簡単に訴えなくっても、まとめることはできるんです。
でも武力を伴わない革命って(当時の観念からして)皆無やねん。
だから龍馬も長崎から土佐へライフル1000丁送ってるの。
あなたが龍馬を殺した張本人として疑わない西郷さんもね。無用な戦いは避けているよ。
その場にいたら小栗だって、近藤勇だって殺してない。。。

この人は龍馬と慎太郎もすごく険悪になっていたって、(いつも)誇張して書いてるけど
この板垣・後藤も全然対照的でまったく路線も違ってたけど、終生の友人だったのは事実。
龍馬・慎太郎もそんな関係だったとは思えないのだろうか。
歴史家やったら対立を煽った方がいいのだろうけど、ちょっと寂しくないかい。。。

この人の本ってビジネスで朝礼で、話するような内容にまとめられているんですよね。
それだったら多少の嘘や違った解釈もいいんだろうか・・・
もっと深く追求してほしいもんです。
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by enokama | 2009-10-29 23:02 | 土佐藩 | Comments(6)
(放送内容→こちら
遠山の金さんこと影元については何度か放映されているので、知っていることも多かったのですが
今日の切り口・構成が、わかりやすくっていい内容でした。

「刺青伝説」では当時の天候不順による不作・不況の中で、何の手も打てない政治に対しての不満が
「ダーティヒーロー」を生み出した背景にありました。
博打打ちの身ながらも、その上がりを自分達の縄張りの農民に対する施し(飢饉があっても飢え死に
する者がいなかった。役人も「自分にはできない」と感嘆した文面を実際残している)をし
その処刑後は、お地蔵さんにもなった国定忠治。
「鼠小僧」もこの天保期の人物。大胆にも大名屋敷を中心に盗みを働き
(「鼠賊」と書いた調書が残っていて・・・よく残ってるんだな。大名屋敷は囲みさえ抜ければ逆に盗み易しと)
その死後は名を憚ってまで(「次郎吉」ではなく「治良吉」と墓標に入れた)
盗賊なのに立派なお墓も建てられました。

天保の改革・水野忠邦&腹心の悪名高き・鳥居耀蔵との対決も、金さんのハイライトですね。
この時、芝居や演劇を残したお礼を込めて、のちに数々の芝居が生まれたのです(実際に「金さん」
と庶民は慕っていたようです)
この改革の緊縮経済政策(蘭学者の弾圧なども)ぱっと聞きはよく思えても、結果的には景気を悪くするし
(お金が回らない)庶民の娯楽を奪ったら、働く気力も無くなるしね。

また、水野は一方で庄内藩の「三方国替え」(→こちら)の方針を
最高実力者として推し進めています。
このあたりの対応を見ても、本当に改革する意思ってのはあったのかなと思います。
自分の権力をみせつけたかっただけだったかも・・・
そして庄内の士民一致の必死な運動が実って、徳川幕府始まって以来の前代未聞な「移封停止」と
なるのですがその時、庄内側の代表・大山庄太夫と対峙したのが、今日の放送で遠山と共に水野に
立ち向かった南町奉行・矢部定謙(さだのり)
彼はここでも公平な裁きで庄内の言い分を認め、言って見れば水野の顔をつぶしてしまう裁決をします。

その後は本編にありましたが、免職され抗議の断食で果てることとなるのです。
庄内の大山も、以後は幕府に半ば見切りをつけ朝廷に接近し藩論として「公武合体」を図りますが
藩内の佐幕派との抗争に破れ、自決後死罪となります。 
ここにも命を懸けた正義の戦いをした人物がいたのです。
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by enokama | 2009-10-28 22:01 | 歴史全般 | Comments(0)

奈良・唐招提寺と薬師寺

唐招提寺
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この案内板にもありますが、こちらの寺は唐の高僧・鑑真が平城京の時代に招かれて
幾多の苦難の渡海の末に奈良に来朝。
ニセの僧たちも多くいた当時の日本で、僧に正式に授戒し、多くの弟子を育て日本にしっかりとした
仏教文化を根付かせました。
奈良時代の伽藍が千年以上も残されています。

金堂(工事中)
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11月4日より、拝観可能(→こちら)です。
1200年前の天平文化(奈良時代)を伝える最大の代表建築(当初からの金堂としては唯一現存)で
ギリシャの宮殿を思わせる重厚な建築。
約10年の工事を経て、まもなく甦ります!

もっと見る>>
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by enokama | 2009-10-27 23:33 | 散歩 | Comments(2)
今年も奈良国立博物館の「第61回正倉院展」に行ってきました(HP。11月12日(木)まで)
奈良時代の皇族を中心とした数々の財物、道具、文書等が納められた正倉院が年に1回秋の
この時期、虫干しに合わせて公開されます。
今日は10時過ぎに行って、入場15分待ちでした。

今回は紫檀木画槽琵琶と言う細かい装飾にも凝った琵琶を始め、伎楽や学舞に用いられる面。
その中に儀式用の箒があったんですが、普通の箒の先に青いガラス玉が飾られていたものが印象的でした。
金銀花盤と言う花形の脚付き皿の脚元の装飾、沈香木画箱(献上の宝物を入れる箱)の幾何学模様、
光明皇后の書の文字(この方も王義之の書風)も見事なものでした。
画像がもちろん撮れないんで、なかなか文字で感想を書くのはいつも難しいのですが、千年以上の宝物が
ほんといい状態で見られるのは、代々受け継がれてき方々に感謝したいものです・・・

今日は時間があったので、本館の展示も見てきました。
こちらの仏像が、国宝(→こちら)も多く見事なもので、改めてじっくり見入ってきました!


興福寺全景(この基礎に新しい中金堂が建てられる)
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北円堂(国宝)
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現在、こちらでは「お堂で見る阿修羅展」(HP)が行われています(11月23日まで)
普段は宝物館で展示してある仏像が、今回は本来のお堂の中で展示されています。
やはり本尊を中心として、囲むように並ぶ様子は迫力があります!
今日は「仮本堂」は、すんなり入れて(少しは堂内で立ち止まることができました)
「北円堂」は15分待ちでした。こちらは八角形のお堂なので、ぐるっと仏像の後姿も拝むことができます。
じっくり見てたら奥深くって、仏像に嵌る人が増えているのもわかるような気がします・・・

この後、もっと仏像を見てきました・・・
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by enokama | 2009-10-26 15:13 | 散歩 | Comments(0)

菊花賞2009~結果

先週優勝のレッドディザイア
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馬券も取りました!四位君、今週も頼む。

評判の新馬
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ローズキングダム・・・ローズ一族の良血馬
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ヴィクトワールピサ(兄・アサクサデンエン)

結果は一騎討ちで1番の勝ち。
来年の今頃はどうなっているだろう・・・

菊花賞のパドック>>
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by enokama | 2009-10-25 20:33 | 競馬 | Comments(0)
淀に行くのっていつ以来だろう・・・
菊花賞行きも、デルタが勝った時ぶりだと思う。
それだけ、今年は楽しみにしている馬がいたってことです!
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昨日も仕事で、今日の朝はさすがにきつかった・・・
いつものO君が早めに行って、席取っておいてくれるとのことなので京都駅が8時15分ぐらいの電車。
しっかり食べ物は調達してから、京阪丹波橋乗換えのルートで淀には9時前到着。
淀駅・下り方面(大阪方面)の高架化工事は完了していて、まったく改札出てから階段のアップダウン
のないフラットな移動で競馬場の2Fゲートに入れるようになっていました!
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でも電車待ちしてて、隣のおっさんがしゃべってたのを小耳に挟んだんやけど
「上り線の工事は政権交代で予算がつかんようになったから、工事はストップするらしい・・・」
確かここの工事って、前の世紀からやってるんですが(苦笑→去年の画像
まあ用地買収に地域的な問題もあるってのは聞いたけど、ここまでやっときたのにね・・・

実はここの工事はJRAが70%ぐらいの費用を出してるって聞いたことがある。
確かに日本でもこれだけ、競馬場へのアプローチがひどい所はないので(府中は駅が4つあるしね)
G1の時なぞ、とんでもない危険を感じるぐらいの混雑だったので、その解消が主因だってことだろう。
そしてそのJRAの親玉は農水省。だからそこに予算が付くのか、付かないってとこらしい。
自治体が出し合う都市計画もひっくるめた工事としたら、そう横槍はないだろうけど
予算を締める方針はあるし、どうなるんだろうね。。。

今日はまずまずの客入り
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うーん、イコピコはもう少し前行けなかったかな…
結果的には長距離戦らしい馬での決着なので、あきらめはつきます(苦笑)
今日は京都で泊まりますので、また家に帰ったら画像と記事追加します!
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by enokama | 2009-10-25 17:53 | 競馬 | Comments(0)
北近畿タンゴ鉄道(→HP
旧国鉄宮津線(非電化)の廃止対象路線を、引き取った宮津線(豊岡ー西舞鶴)
福知山と宮津を新しく短絡し電化もされ新設された、大阪・京都からの直通電車も走る宮福線
(宮津ー福知山)の2路線からなる、今年20周年を迎える丹後・丹波地区の第3セクター鉄道です。

今、こちらの路線では観光眺望列車として絶景のポイントを徐行する列車(→詳しく)を走らせていて
旅行会社にも営業に行って(?)ツアーに組み入れてもろうよう、頑張っておられます!
ツアーでは栗田(くんだ)ー丹後由良付近の海岸と、鉄道の好撮影地として昔から知られている
由良川河口の鉄橋の区間を挟む栗田ー四所間の乗車となって、その間のバスは回送されます。

ローカルチックな栗田駅
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普段は静かなんだろうけど、今日はバス3台分(100名超!)のお客さんが・・・
来た列車はさすがに単行ではなく、特急タイプのリクライニングシートのある2両編成。
まあ一部の方はやはり席にはありつけないんですが、約15分ほどの乗車だし、運転台の後ろ付近
には展望の広めの立席スペースがあったので、そう窮屈な思いはしませんでした。。。

由良川河口近くの鉄橋
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すぐに海なんで「海上列車」の趣きが味わえます!

栗田ー丹後由良の海岸
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車内には観光の女性アテンダントも乗っていて(福井のえちぜん鉄道にもいました→ここ
案内とグッズの販売もしています!

最近はプライベートでもだけど、鉄道で出かける方が楽に思えてきた・・・
この日もまた、例のETC渋滞だしね(あまりにも退屈なんでブログに画像貼ってた 苦笑)
地方のバス会社でも、ほぼ高速バスに特化して経営持たせていた所は苦しんでいるようだ。
稼ぎ時に渋滞して時間が読めなくなっている状況だったら、やっぱり時間の読める電車になるし
今の地方空港のあり方も含めた(JALの惨状も、結局は政治家のおもちゃにされたからだけど)
交通体系(エコも考えた)ほんとしっかり検討してほしいですね。
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by enokama | 2009-10-24 19:29 | 添乗報告書・旅行業界 | Comments(0)
こちらも定番で、丹後宮津の知恵の文殊堂(天橋立が途切れて、阿蘇海につながる海路のそば)
に立寄ったのですが、この日はイベントで「能 丹後物狂」(→新聞記事
が行われていて、境内を使っての上演で全指定席だったので幕が貼られ立ち入れませんでした。
だから、お客さんには天橋立の方を散策してもらうことにして、僕も橋を渡って歩いてきました。
そしたら久しぶりに回旋橋の(こんな記事→こちら)作動に立ち会うことができました!
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かすかに写ってますが、本来の回旋目的である「はしけ船」の航行も見られてラッキーでした!
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by enokama | 2009-10-24 19:27 | 添乗報告書・旅行業界 | Comments(2)
この日は日帰りで丹後方面へ。
梅田8時に出て、11時半すぎに到着。天橋立・傘松近くの施設で、但馬牛や鯖寿司・あわび・デザートと
言った食べ放題の食事がメーンのツアー。
食事場所はいつも言われるけど、まあ「食べ放題」の会場って感じの狭い、人が出来るだけ入れるように
セッティングされている(まあ一杯売らないと、こんな安い価格では提供できませんですし・・・)
でもさすがに食事は量もあって、喜ばれていました(添乗員はもちろん、食えませんが 苦笑)
この辺は割り切ってくれるお客さんが、最近は多いんで助かるのですが・・・

このあと、伊根に行きました!
バイパスが部分部分開通してきているので30分もかからないぐらいだった。
今日は展望所で30分ほど時間を取りました。
バスで行ったのは初めてだったんだけど、バスPからは4分ほど坂を上がって展望所に行くんです。
車はまん前まで行けるんだけどね、知らなかった・・・
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こう見ると、天気がも一つだな・・・
舟屋は伊根湾をめぐる遊覧船(→ここ)でも楽しむ方が多いです!
かっぱえびせんをえさに、カモメが寄ってきます(笑)
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by enokama | 2009-10-24 19:24 | 添乗報告書・旅行業界 | Comments(2)