エノカマの旅の途中

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今週土曜、阪神・アーリントンCに出走予定だった飯田明弘厩舎・ホッコータキオン。
1番人気必至で確勝級、ほんと楽しみにしていたのですが、出走表に載っていません・・・

新聞(ネット)にはまだ載ってませんが、某掲示板の情報では「屈腱炎」と言うことで
全治1年以上で、悪ければそのまま引退も・・・と重傷のようで、クラシックはもちろん無理となりました。

本当、飯田君念願のクラシックの騎乗が叶うと、楽しみにしていただけに残念です。
なるにしろ、せめてG1の舞台で走ってからにしてほしかった・・・
厩舎としても小倉デビュー以来、素質を見込んで大事に使ってきただけに・・・
そう毎年のように、チャンスのある厩舎ではないだけに悔しくてなりません。

ほんと結果しだいでは、久しぶりに東上して応援に行こうと思ってたんですが・・・
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by enokama | 2009-02-26 19:09 | 競馬 | Comments(2)
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by enokama | 2009-02-21 01:01 | お知らせ | Comments(0)
好調、飯田騎手の今週は
土曜日3Rが新馬戦でいいところを見せたメイショウシェンク、これは順当に行けるでしょう。
12Rは先週、休み明けの勝ちっぷり(前回の川島騎手が今週、小倉のため)がよかった荒川厩舎
のストーリーテリングが連闘!
日曜日9Rが去年暮れのラジオNIKKEI賞でも人気を集めた3歳の実力馬ファミリズム(息子さんの方の梅田厩舎)
12Rは前走、昇級戦を果敢に逃げて3着に残ったボストンカラーズ・・・

また、単勝で狙います!今週も期待です!

フェブラリーSの予想
◎エスポワールシチー
〇ヒシカツリーダー
▲カネヒキリ
△カジノドライブ

(2月24日 追記)
メイショウシェンクは、まだ余裕残しの体も楽勝でした。昇級でも楽しみです。
ファミリズムは本来の切れが見られず、どうしたんだろう?
ボストンカラーズは5着。「もう少しリラックスして走ってくれるようになれば」とのコメントでした。

フェブラリーSは上記の印プラス、サクセスを加えて、シチー軸4頭ボックスの3連複を買っていたんですが
(4歳勢中心に)4着ではねぇ・・・でも秋にはいいとこにくると思います!
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by enokama | 2009-02-20 23:49 | 競馬 | Comments(0)

北方領土と黒田清隆

新聞の社説より

ロシアとの経済協力の進展を、懸案の北方領土問題の打開にどうつなげるのか。
政府は、ロシアと粘り強く交渉を重ね、北方4島の帰属問題を解決していかねばならない。

麻生首相が、日本の首相として戦後初めてサハリン(樺太)を訪れ、メドベージェフ露大統領と会談した。
大統領は領土問題に関し、「新たな独創的で型にはまらないアプローチ」の下で作業を加速すると表明した。4島の帰属や返還を巡り、新たな打開案を探る意向を示したと受け止められている。

首相は会談後、「向こうは2島(返還)、こっちが4島では進展しない。これまでの宣言や条約などを踏まえ
政治家が決断する以外、方法はない」と語った。
領土問題に意欲的に取り組む姿勢を示したのだろう。ただ、政治的な成果を急ぐ余り、日本が長年守って
きた立場を損ねることがあってはなるまい。
ロシアは、平和条約締結後に歯舞、色丹の2島を引き渡すとした1956年の日ソ共同宣言に基づく解決を
主張してきた。

しかし、国後、択捉両島を含めた4島は、日本固有の領土だ。

首相は外相当時の06年、国後、歯舞、色丹の3島返還論などに言及したことがある。ロシアの専門家には
「2島返還プラス国後、択捉の共同開発」による解決を探る動きもあるという。

5月のプーチン首相の来日が次の節目となる。領土交渉は国益に直結する。
ロシアの狙いを見極め、慎重に進めることが肝要だ。

会談では、ロシアが北方4島に入域する日本人に「出入国カード」提出を求めている問題の打開を急ぐこと
も確認した。ロシアは領土問題に本気で取り組むつもりなら、解決策を講じるべきだ。

首相は今回、大統領の招きに応じ、日本企業も出資する原油・天然ガス資源開発事業「サハリン2」の
稼働式典に出席した。
サハリン2はロシア初の液化天然ガス(LNG)輸出事業だ。経済危機にあるロシアは、天然ガスの販路を
欧州からアジア・太平洋にも広げ、日本から技術や投資を呼び込みたいのだろう。
日本にとっても、ロシアからのLNGの輸入は、エネルギー供給源の多様化につながる。
ただ、サハリン2は、事業の最終段階でロシア政府が強引に経営権を奪取した。日本政府は、経済協力
を進めるにあたっては、ロシアに投資環境の透明化を求めていかねばならない。
(2009年2月19日01時37分 読売新聞)


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by enokama | 2009-02-19 11:18 | 歴史全般 | Comments(3)
緒方洪庵をモデルにした前回のNHKドラマ「浪花の華」は、前後2回に分けて
洪庵先生のライフワークとも言うべき「種痘」を取り上げられてました。
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北前船の船頭が隠し荷として露西亜からの種痘(しゅとう)を持ち込み、孫娘に植え付けて
松前から運んできた。そしてそれを狙った松前問屋が、娘を誘拐した。書物での知識だけだった
種痘が実際に大坂に持ち込まれたと聞き、これでたくさんの痘瘡(とうそう)患者を助けることができる
と章(洪庵)は興奮する。
だが種痘について調べるうち、思わぬ事実に突き当たる。実は種痘の植え継ぎは七日が限度だった。
当時、箱舘からは船でも一月ほどかかる。
おゆきの種痘はすでに意味をなしていないか、そもそもだまされていた。
そして娘を取り戻し、種痘についての研究を深め多くの人たちの命を救うため、さらに決意を固める。

幕末当時、痘瘡の流行に多くの人が苦しめられていました。
かかるとほとんどが死に至り、何とか助かったとしても「顔のあばた」は一生残りました。
一説には年間30万人が亡くなっていて、当時の日本の人口3000万人のうちの1%の命が
毎年奪われていたわけです。
孝明天皇も死因が「流行性痘瘡」とされ(岩倉具視による毒殺説も言う人もいるが)対策が
急務とされていました。
話の中にもありましたが予防法としては「一度かかれば再発しない」ことが知られていて
「人痘法」は実際にかかった患者から膿・かさぶたを直接、移し「軽い痘瘡」にかからせて
免疫を作るというもの。
ただしこの方法では「軽い痘瘡」が重症になり、死に至るケースも多く、洪庵も「人痘法」
での失敗の経験から、種痘の普及・研究に一生をかけたのです。

18世紀末期にイギリスで発見された「牛痘法」では牛からの牛痘菌を使い、その種痘では
軽い膿を出すだけで発症には至りませんでした。
ただし、痘苗自体の保存法が確立されておらず、人から人へ植え継ぐ方法(子供から子供へ)で
ここに安全な種痘が確立されたわけです!

日本では1812年に一時期、ロシアに抑留されていた北海道・松前人の中川五郎治と言う
人物が、ロシアから種痘法を学ぶともに持ち帰り、本格的な事業を広めていました。
(たぶん、今回の話のネタ元と思う)
しかし、彼の死後は引き継ぐ人物がおらず途絶えてしまいました。

当時、海外の良いところを取り入れ、最も洋式兵学や重商化を推し進め近代化を図っていた
のが佐賀藩と福井藩で、この両藩では民政面も力を入れてました。
各藩、幕末の激動の時代、血で血を洗うような勢力争いの中もあった中で一揆、力による弾圧や
処刑などは皆無で、進んだ政治を行っていました。
「牛痘菌輸入」による種痘の計画は、佐賀藩では長崎にも近い縁で侍医・伊東玄朴の建策に
より藩主・鍋島閑叟に伝えられ進められました。
福井では当時の種痘の第一人者でシーボルトにも学んだ、京都の日野鼎哉の弟子でもあった
藩医・笠原白翁の建言で、藩主・松平春嶽の理解もあり進められ、両藩では競うように
「牛痘菌輸入」の計画を進めましたが
嘉永2(1849年)、佐賀藩が長崎で輸入に成功し、種痘にも成功しました。
(鍋島閑叟は牛痘菌が佐賀に到着すると、率先して我が子に種痘させた。佐賀にその種痘時の像
が立てられている)

この牛痘菌は京都の日野鼎哉の元にも送られ、笠原白翁は福井到着までに12人の児童を連れて
植え継ぎながら種痘を持ち込み、のちに藩営の除痘館も建てられた。
洪庵も1849年11月7日に「分苗式」を行って大坂に除痘館を開設しました。
ただし、最初の3、4年は悪説が流布し事業は停滞しましたが、粘り強く普及を進め
安政5(1858)年には官許も得て「痘医許可証」を発行し(金儲け目当ての連中を封じるため)
さらに近畿各地に分苗されました。
この名簿の載った資料があるんですが、僕の家の近所の地名が結構あったりして
(山奥もあったりするのですが)その広がりは驚嘆するばかりです。
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幕末、開国によって目覚めた人たちは西洋の新しいものを貪欲に取り入れ、維新後にも十分
強国となって生かされたわけですが、民政面でも多くの命を助けるために洪庵先生を始め
とする人たちの姿があったわけです。
「適塾」は各方面に人物を輩出した幕末随一の塾でしたが
医学者では、高松凌雲(久留米)佐野常民(佐賀)長与専斉(長崎)と言った優れた人物が出ています。
彼らに共通することは「弱者・敗者」に対しても分け隔てなく助け、診察に励んだこと。
このあたり、洪庵先生を始めとする先人の姿勢から学んだことも多かったのでしょうね。
今も昔も「仁術」が求められるんです!
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by enokama | 2009-02-16 23:11 | 緒方洪庵と適塾 | Comments(3)

阪神指定席

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小倉をしっかり買いたいんで今日は指定で… 飯田君1R勝ちおめでとう! ローランも期待してます。昼からは京都の後藤、藤田。小倉の哲三中心に組み立てます。

(22時追記)
阪神競馬場、パークウインズの時は指定が1000円で入れます!(50円のコーヒー割引券付き)
今日はいっぱいにもならなかったです。
今日みたいにレース数買う時には、手元の机テレビで各場が切り替えられるので余裕のある
動きができます。
実際、競馬場で開催中はやっぱりパドック・ゴール前で馬を見たいんで、その時は指定には
行かないですけどね。。。

結果は小倉はなんか中舘と相性が悪くって・・・
最終もローラン2着だったけど、勝った馬は脚質から見ても一世一代の上がりとしか(悔)
まあ、順番はもう回ってくるでしょう。
京都は安いのは取れてもね。。。。。
ダイヤモンドSは、ベンチャーナイン絶対伸びてくるんやけど僕が買ったら、4着になってしまう(苦笑)

来週のフェブラリーは貞やん厩舎のヒシカツリーダーを再度、狙いたい!
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by enokama | 2009-02-15 11:12 | 競馬 | Comments(2)

今日の飯田君は2勝

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1Rのホッコーベルセッサは前走で変わっても良かったけど、出遅れ・馬場が原因だっただけに
今回は突き抜けてくれました(前走着順から見たら、ちょっと人気しすぎかな)
6Rのメイショウイチバンは順当だけど、ヒヤヒヤもんで・・
でも、久しぶりに人気サイドで勝てたような気がします(笑)

明日はメイショウローラン、ちょい人気落ちでこのメンバーだったら、おいしいかもしれません!
荒川さんの所でも勝てたし、最近はコンスタントに勝ててるんでうれしいです。。。

先週のヘイローフジ当然買いでしたが、微妙に金にもならない4着で(去年の朝日杯もだったが)
勝った馬とは位置取りが中京の時(尾張S)と逆の分、順位が入れ替わった感じで乗り方一つ
で勝てたような感じですんで、悔いが残りますね。
せめて2着で賞金を稼いでほしかったのですが、G1(宮記念に直行っぽい)には賞金面で可能性
はあるのでしょうか。
出られたとしたら、人気も落ちて逆に思い切って乗れるので、密かに楽しみにはしてますけどね・・・


ダイワスカーレットの故障は残念ですが、あれだけ走れるからこそ、不安は付いて回ることだと
思います。
松国さんを責めるような人もいるようですが、一番残念なのが厩舎関係者だと思います。

新規騎手・調教師合格者(本田さんの取る予定だった騎手は落ちてしまったのかな?)
の一方で、廃業する関東の厩舎の多いこと。
西高東低も激しいようですが、三浦君あたりも関西馬のいい馬に乗っておかないと大きい舞台
には立てないですね。どこも厳しい世界です。
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by enokama | 2009-02-14 22:48 | 競馬 | Comments(3)

司馬史観

歴史に興味を持ったのは、司馬遼太郎を読んだのがきっかけ。
「竜馬がゆく」「世に棲む日々」「燃えよ剣」・・・
最初はフィクションがあると知らず、すべてそれが真実だと思っていた。
確かに今でも新聞等にコラムを書いてる方と、ご一緒したことがあって(旅行)そのことが
記事になって楽しみだったけど、話がすっかり変えてあった(笑)
楽しかった出来事でも、そのままだったら大した話でもないし、読まれてナンボなんだ。

しかし、興味を持つ入り口として、それを許せてせても鵜呑みにしてはいけない。
実際、その人物のゆかりと言う場所に行って説明を聞いたら、司馬遼太郎のまんまの話で
レイアウトも全く一緒ってとこも幾つかあった。もっとも疑ってしかるべしのは当然。。。
また、その人物像ってのは主役を立てるように曲げられているのは、明治からの史伝でもそう。
福岡孝弟や後藤象二郎は龍馬に会う前から、英国の議会制度にも精通していたし
武官でなく、華々しく討幕運動で名を売ったことでもない佐々木高行が参議になったのは
その元々持っていた抜群の調整能力を買われたもの。
別にへタレやら官僚的ってのもちょっと違う。
姫島に流されていた野村望東尼を、病もひどくなっていた高杉晋作自身が救出に行くわけ
ないし(福岡浪士・藤四郎が中心だった)
「宮古湾海戦」が土方の発案ではなく、国際法に拠ったたもので士官のブリュネらの発案
であること。榎本武揚もああ書くことによって土方が引き立ってくるんです。
まあ、こんなことで正直に書いても確かに面白くもなんにもないですね。。。

一方、三岡八郎や田中光顕、河合継之助と言ったあまり知られていない人物に光を当てたり
「歳月」や「峠」の長岡戦争の下りあたりは、この史実を事細かに書かれたものはかつて
なかったんじゃないかと思う。
ずっと気になっていた文句が「黒田清隆、これほどできた人物も珍しい」
「井上聞多は蘇生せず、そのまま死んでたらよかった」 きつい・・・
歴史をだいぶ習ってきた僕には、最近やっとその意味がわかってきた気がします!
(聞多が死んで、慎太郎が蘇生してたらどれだけよかったことか・・・)
やっぱり凄い人だなあ。。。

それに対して最近の「フリーメーソン」やら、何でも西郷さんを悪人にしたがったり
龍馬暗殺の黒幕が後藤って主張する人が、ほんまにいるのが頭をかしげる。
あまり知られてないけど重要な筑前勤王党や、人物に対して書物がほとんどない
中岡慎太郎を絶対に知ってから話をしてほしい。

西郷が江戸で浪士を使って街を攪乱し、庄内藩が薩摩藩邸を襲って、それをきっかけに
慶喜が兵を挙げた。
奥羽鎮撫で、参謀が黒田・品川から大山・世良に変わって挑発して戦争になった。。。
悪いのは世良で、赤報隊を見殺しにした西郷になるの。
このあたりの出来事がいつもさらっと語られているようで、もう少し突き詰めないといけない
ことではと、今調べてみたいなと思っている課題です!
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by enokama | 2009-02-10 02:03 | 歴史全般 | Comments(0)
今日は恒例の霊山歴史館の土曜トーク。
内容は主に皇女和宮の成長に伴っての各行事、ひな祭り等のお人形について。
まあ、僕にはちょっと苦手な女性向きの話だったんで、レポはうまくできないんですが
最後に柳川で見た吊るし雛・下げ雛(こちら)ことについて質問させていただいて
やはり従来から九州には多いものの、明治維新後にその他各地に広がった場所もあると
のこと・・
そこで出たのが「庄内」 ふ~ん、酒田の本間屋敷とかで飾られるんでしょうか。(やっぱりすごそう)・・・
また、機会があったらじっくり見てみたいもんです(柳川の添乗が今月末ぐらいにあったらいいんだけど)

その後は3ヶ所場所を変えて、7時間ぐらい歴史トークしてた・・・
やっぱり「龍馬伝」のキーマンは後藤象二郎だと、僕は思うんです(笑)


取りあえず、いろいろ話しして
3月15日は去年に続いて壬生の「山南忌」、4月4日の次の土曜トークに参加します。
あと個人的に明日の結果しだいで(飯田がんばれ!)3月28、29に岐阜・名古屋方面。

霊山歴史館の投稿に応募の件と、日帰りで歴史ツアーの予定を立てることの
宿題を持って帰りました!

また、予定・動きがわかりましたらこちらで告知いたしますので、よろしくお願いします!
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by enokama | 2009-02-07 23:42 | 歴史全般 | Comments(0)
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いわゆる「明治六年の変」後、下野した征韓論者(この言い方には異議もあるが)や不平士族
の起こした反乱についての内容。
(佐賀では、江藤新平に同情の声もあって「佐賀の役」「佐賀戦争」と言われる)
ほとんど、西南戦争に見られるように政府側が挑発し暴発させ力で弾圧し、首謀者は
ことごとく極刑に処せられています。
このあたりは戊辰戦争の東軍側や赤報隊などにもありますが、教科書では「反乱」とされ
賊となってしまうのですが、一概に勝者が正義とは決して言い切れないものです。


大久保利通の評価は、ほんと賛否分かれるのですが、まあここまで冷酷にされるとひどいの一言です。
僕は「西郷派」なので、そちらに寄った見解です。。。
自分たちの人望がないのを気にして、士族にも国民にも人気のある西郷隆盛を政府に
呼ばなければ改革が進まなくなり、引き続き、その洋行中にも成果を上げた彼らを「征韓論」
と言うレッテルを貼って追い出し、その舌の根も乾かないうちに「台湾出兵」をぶち上げる。

あまり元来、木戸孝允と言う人は好きでもないのですが(榎本武揚の首を取れと行ったり、
奇兵隊を「尾大の弊」と言って弾圧したこともある)
この時ばかりは「江藤の首をつないで征韓派に謝罪してから決行せよ」と言い
士族対策にも同情を寄せ、まだ常識的な判断に見えますが、大久保の執拗な異常さって
のは目に余るものだったのでしょう。
江藤新平を題材で、司馬遼太郎は「歳月」と言う小説を書いてますが、司馬にしては
かなり感情移入したような文章で、大久保や岩村と言った人物を辛辣に批判してます。

萩では他の長州人にありがちな冷徹者に成りきれず、戊辰戦争や奇兵隊の騒動に理解を
見せ下野していた前原一誠や奥平謙輔。
佐賀では江藤新平に、北海道で札幌の建設に取り組んで「判官様」と慕われた島義勇
(士族の行動を押さえる為に佐賀に向かったが、岩村に挑発されて担がれてしまった)
そして若手の洋行経験者で、これからを期待されていた山中一郎や香月経五郎ら・・・
有為の士は死に、悪名高い貪官汚吏は行き延びた。


後、この騒動を誘発したのが土佐郷士出身者のいること・・・
悪名高い岩村高俊(誠一郎)は、北越戦争では若いと言ってしょうがない面もあっただろうが
(ほんの僅かの間だけ陸援隊にいて、なぜか「天満屋騒動」に首を突っ込み、のち高野山挙兵
で田中光顕らに率いられて戦った程度の人物が、なぜ軍監と言う位置を占めたのか?)
この佐賀での高圧的態度は確信犯で、権力欲や功名心のみで、恥も気にしない人物っての
もある意味、感心することです(あまり一方的な書き方が多いので、いい面もないかと思って
ましたが、調べても出てこない)
河野敏鎌(万寿弥)は土佐勤王党の弾圧で、ずっと牢に入っていた人物。
板垣退助らのつてで、江藤の下に付きながら結果裏切った。
「神風連の乱」で殺された安岡良亮は維新後、横井小楠の思想に基ずく善政で(税金も安かった)
治められていた熊本に県令として乗り込んだ。中央集権的な押し付けで従来いた県吏に替わり、
自分の息のかかった人物で占め、その圧政も乱の一端となった。
このあたりは、脱藩者の多い国情で藩の庇護もなかったこともあり、権力者に擦り寄ること
でしか生き延びれなかったのも一旦でしょうが「土佐勤王党」の亡くなった人物からしたら
どう思うでしょう。
彼らは功績により多大な褒賞をもらい、爵位を授かり官職を歴任し、のちに責められることがあると
形ばかりの懺悔をしてます。
階級的に上士と呼ばれる人たちが「自由民権運動」に走ったのと対照的に思います。


最後に、印象的だった記事は
26Pの前原・奥平と旧会津藩士との写真。
戊辰戦争時は仇敵同士だった関係から維新後、親交を結んだ写真です。
「萩の乱」に呼応して、永岡久茂ら13名が千葉で挙兵計画を立てていた(未遂に終わる)
そうです。これは初めて知りました・・・
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by enokama | 2009-02-04 23:39 | 歴史全般 | Comments(2)