エノカマの旅の途中

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壬生狂言の魅力

映画を見た後、四条通りを西へ歩き、壬生寺へ行ってきました。
寺に近づき、新撰組屯所の前あたりからヒュルヒュルと笛の音が
聞こえてきました。これが「壬生狂言」です。 
春の大念仏会として、毎年4月21日から29日まで、壬生寺の年中行事
の法要・昼の勤行として、行われてきたものです。
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発祥は700年前の鎌倉時代、壬生寺をおおいに興隆した「円覚上人」のもと
押し寄せる大衆に最もわかりやすく仏法を説こうと考えついたもの(人が多すぎて
話が届かないため)
だから、パントマイム(無言劇)で、かね・太鼓・笛の音に合わせて、すべての出演者
がお面をつけ、台詞を用いず身ぶり手ぶりで勧善懲悪・因果応報の理を説く
素朴ながらも、宗教劇としての性格を持っています。

近世になると、大衆娯楽の1面として演目も増え「道成寺」「愛宕詣り」「大江山」
と言ったよく知られた話(約30曲ほどある)も演じられるようになりました。
時間は毎日、午後1時から4時間あまりの時間に5作の演目が行われ、序曲
(1作目)は、よくテレビで放映される「砲(=正しくは火へん)烙割り」(ほうらくわり)
固定で、2作目以降は日替わりで各演目が行われています。
今回は時間の関係もあって「ほうらくわり」のみ(ちょっと長いので・・1時間ほど。
話は省略します)
「ほうらく」とは2月の節分に壬生寺に参詣し、素焼きの円形の瓦のような感じの板
に家内一同の年齢、性別を書き、寺に奉納するもの。その奉納された「ほうらく」が
この狂言で叩き割られることによって、厄除開運が得られると言う一風変わった信仰
でもあります。
この「ほうらく」ですが、この演目のラストに近いシーンで、舞台回りの手すりに並べ
れるんですが、数が半端じゃなく無茶苦茶多い。その背丈ほどの高さで横5メートル
ほど並べられた「ほうらく」を尽く舞台の外へ叩き落とす(砂埃がすごい)んですから
すごい迫力であります!
新聞記事

なお、始めての方は「解説書」(200円)を買ってから見たほうがいいです。最初は
この狂言の性格上、さっぱりわかりませんから。、少し読み込んでおいたほうが
入りこみやすいし、後で振り返って理解を高めて、次回再度見るとまた違った
面が見えてくると思います。

入場料は800円。29日は「結願式」と合わせ、夜の部も行われます。


この後は嵐電に乗って御室に行ってました。もう桜も終わりです・・・
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by enokama | 2007-04-24 00:09 | 書籍・ライブ・映画 | Comments(4)

あかね空

今日は久しぶりに1日、自由に使える日で
久々に「あかね空」と言う、時代劇映画を見てきました。

上映館がミニシアター系と言うことで大変少なく、京都・四条烏丸下ルの比較的
最近できたらしい再開発ビルの3階(ちょっとわかりにくい)にある「京都シネマ」
と言う100席規模のミニシアターで、時間も朝10時からの1回きりとなかなか
厳しい条件ですが、がんばって起きて行ってきました(~4月27日まで上映)

江戸は深川蛤町。職人たちが多く暮らす長屋が並んだ裏町で、井戸から汲み
上げた水をじっと眺めている旅姿の男―京の豆腐屋で修行し、江戸で店を持つ
ためにやってきた永吉は、近くに住む桶屋の娘おふみと出会う。下町の人情
と協力で開店したものの、江戸前の豆腐との味の違いもあって当初は大苦戦。
お互い惹かれ合うものを感じた二人は、京の豆腐を江戸で売り出すために力を
合わせ、おふみの機転と永吉の地道な努力で軌道に乗せる。影で見守る清兵衛
とおしのは、幼くして行方知れずになった息子を永吉に重ね合わせ、何かと力に
なるのだった。そして18年の時が流れ…。

時代考証やセットがもうひとつと、映画のレビューでよく書かれていたんですが
わかりやすい安心感のあるストーリーで肩肘張らず、すっと入りこめますんで
そう僕は気にならなかったです。

18年後、3人子宝に恵まれるが、職人気質の主人公は跡取りの長男坊と
正面きって話すことができずに心は離れ、長男は京からのよそ者を快く思わない
者たちによって、博打に嵌められて借金を背負い、しまいには、勘当されてしまう。
失意のうちに主人公は事故死。ここぞとばかりに、長男の借金をネタに店
を潰そうとする者たち。そこへ救いの手が・・・

主人公・永吉は今、大河でも主役の内野聖陽。地味な感じはやっぱりありますが。
妻・おふみは中谷美紀。ちょっと時代劇では弾けすぎかと思いますが、娘時代と
母親になってからの演技はうまく使いわけてました。
ちょい悪の同業者に中村梅雀。この人最高です!さりげなくうまい。
時代劇の悪商人役は、またやってほしいな(笑)

ストーリーは現代劇に直したら何てことのない話。でも時代劇の深みが入ったら
なんか、終わったあとの爽快感が違うんですね!
最近は洋画はすっかり減って、時代劇に嵌ってきている私です。
ミニシアターでも音響はそれなりに迫力があって、足を運んだかいがありました!!


監督: 浜本正機
企画: 篠田正浩、長岡彰夫、堀田尚平
脚本: 浜本正機、篠田正浩
音楽: 岩代太郎
原作: 山本一力

上映時間 120分

監督の浜本氏は、篠田正浩監督に師事してきた方。
ちなみに、おしの役は篠田夫人の岩下志麻。
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by enokama | 2007-04-23 00:31 | 書籍・ライブ・映画 | Comments(2)
ちょっと、情報提供ばかりを求めるのも何なんで幕末維新の偉人の一人を紹介します。

玉虫左太夫は仙台藩の人。
幕府の最高学府である昌平黌(しょうへいこう)のトップ・林俊斎の下に入門。
メキメキと頭角を現し、24歳にして昌平黌の塾頭を務めるほどの秀才であった。

1857(安政4)年、幕府箱館奉行堀利煕(ほり・としひろ)に従い、蝦夷地に入り「入北記」という記録を残す
(佐賀藩の島義勇も同行。同じく「入北記」を著す。この経験を買われ維新後、初代の開拓使主席判官となり札幌の都市計画等を立案する・・・のちに開拓費用の大幅な予算オーバーを咎められ罷免。その後、下野し
江藤新平と共に「佐賀の乱」を起こし刑死。この縁で札幌市役所に島の銅像が置かれている)

安政5(1858)年日米両国間で締結された修好通商条約の批准書交換のため、正使として外国奉行
新見豊前守正興等一行76人が渡米した。
その際、彼は堀利煕の推薦もあり、外国奉行の随員として選ばれる。
この時書かれたのが『航米日録(こうべいにちろく)』 万延元(1860)年刊行。
原稿用紙480枚に及ぶ量の日記で、全8冊の写本である。

内容は1月18日の江戸品川における米船ポーハタン(Powhatan)号への乗船に始まり
サンフランシスコ、パナマを経由してワシントンに至り批准書を交換して以後大西洋、アフリカ南端インド洋
を経てバタビヤ、香港に寄港し、9月28日江戸築地に上陸するまでの紀行文である。
従って旅先の様子や航海中の経緯度、温度や気候状態、動物、物価、貨幣、山川草木等々眼に触れた
珍しい事柄を細かく記録している。 
万延元年の遣米使節記は、この他に大勢の人々によって記述され、これまでに、数多く出版されているが
それらの中でも本書は内容的にすぐれたものとされていて、写本も多く、維新政府の資料としても多いに
活用された。
また、一番驚きを受けたのは「共和制・民主主義」だったという。

この後、江戸の仙台藩邸の順造館にて藩士の教育にあたり、海外通の知識人として藩内でも重用される。
折りも、幕末が押し迫ったころで彼は各地を偵察。新政府軍は武力にての権力奪取にすぎず、新政府の
新しい国家像には承服しかねるとして、敵対する姿勢をとる。
やがて、新政府軍は東北に進出。奥羽各藩は新政府軍に「会津への寛大な処置」を求めるが黙殺される中鎮撫軍参謀・世良修蔵の暗殺事件も起こり明治元(1868)年5月3日 「奥羽列藩同盟」が成立し、新政府との対決姿勢を鮮明にする。
この時の家老・但木土佐の意向を受け、盟約書を起草したのが玉虫左太夫。
同時に以降の戦略や政策を決定するために「奥羽公議所」を設置する。
「言論の自由・賄賂の禁止・賞罰を明快のものにする」の3か条を基に東方からの政権奪取を計り
ゆくゆくは彼が見てきたアメリカの自由民主主義を夢見ていたのかもしれない。

やがて「奥羽列藩同盟」も新政府軍の攻勢の前に瓦解。仙台藩も9月22日、降伏恭順を決定。
勤王派が政権を握る。新政府軍と互角以上に戦い、最後まで頑強に抵抗した庄内藩も27日に降伏。
東北の戊辰の戦いは終結する。
玉虫は入牢。翌年4月に同盟の責任者として切腹を命じられる。
ここに最先端の社会を見伝え、探究心にあふれて、優れた分析力を持った男は生涯を終えた。
いや、最後の「徹底抗戦」の決定はあやまりだったかもしれない。しかし、彼も一人の武士だったのでしょう・・・

玉虫左太夫は「武揚伝」(佐々木譲著・中公文庫)に詳しく書かれています。
また、作品の中では失脚後、玉虫は榎本軍に合流したかったが、結果出来なかったと言うことです
(実際、仙台藩の徹底抗戦派が多数合流して函館に行っている)
記録だけでなく、実際に明治の外国通として重用されるべき人物になったと思うし、惜しい最後でもあります。

おもしろエピソード
ビールと玉虫左太夫
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by enokama | 2007-04-20 00:37 | 幕府東国諸藩 | Comments(2)

アクセス急増

なんか、ここ2,3日のアクセスが普段の3,4倍になっていて「どないしたんや?」
と思って調べてみたら「竹内まりや」のキーワードが多くって
「GOOGLE」で検索したら、このブログが20件目ぐらいに引っかかってました(笑)
ちょっと期待に添えない内容でしたら、どうもすいません・・・

まあ、これも何かの縁ですんで、もしよければカテゴリの「このブログについて」と
ネームカードを開いてみてください。興味ある方、もしいらしゃいましたら時々
のぞいてやってください。とくに「歴史」ネタ(幕末中心ですが)の方、いろいろ情報
交換できたらと思ってます。

よろしくお願いします!
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by enokama | 2007-04-18 00:09 | お知らせ | Comments(0)

皐月賞の結果

混戦と言われたレースも、想像をはるかに超えた大波乱に。
まったく馬券もかすらなかっただけに、久しぶりのG1勝利でうれしそうに
インタビューを受ける田中勝春騎手。もうぼちぼち中堅に差し掛かる年齢
になって実力をつけてきて、今回十分にアピールした松岡君(惜しかったね)
さわやかな印象でした。
3着・4着は予想通りと言うか(苦笑) なんでこのペースだし、力あるんだし
普通に走れば前に付けられるし、勝ち負けだろうに。
まあ、1番人気が皐月賞で飛ぶ典型的なパターンとも言えます
 
「JRAの至宝」にはマスコミもなにも文句は言えません。
いい馬に乗ってるだけで良く見えるだけ。とりたてて、うまいって騎乗はあまり
最近見ない。宮記念でも、ドバイでもちょっと先行しただけで好騎乗っていい
よる。そんな乗り方できるってわかってたら、もっと前から乗れよ・・・
まあ、過去の予想見てもらったらわかるんですが、僕はほとんど
馬券の対象にはしてませんけどね。

今回はレースにしまりがないって言うか、自分自身では外国人騎手って
あんまり来すぎてもいやなんですが、思いっきりさって言うのは買えると思い
ます(ハイペースで逃げるタップに、差しきったゼンノロブロイの有馬記念の様に。
ノーリーズン然り)
今日乗ってた騎手連中はただ、あとで批判されないように無難(折り合いとか
言い訳して)に乗ってるだけに見えます。

予想は展開の読みがまったくダメでした。
ナムラマースの藤岡君「使いずめの影響か・・・」いまさらそんなこと言ってもな。
素質は1流なのに。厩舎が重賞慣れしてない影響もあったでしょうか。
本命のローレルゲレイロ。最後はそこそこ伸びてるんですよ。そこそこ伸びて
先行力もあるから、位置取りがせめてメイショウやアサクサのあたりで、十分折り
合いも付いたはずだし。
なかなか藤田騎手のコメントが拾えなかったんですが(よくあることですが) 
週刊ブックで少しありました「いい位置で行けて、初めての2000でよく走っている」
これぐらいだったらすんなりコメント載せてよ。
ほんとは「自分の騎乗がまずかった」とか?まあ、そうまともに言う人はめったに
いない訳ですが。
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by enokama | 2007-04-17 00:05 | 競馬 | Comments(0)
このブログも始めてから1年半ほどになりました。
書くネタもバラバラで、マイペースで自分の行動を記録して行ければいいや
と思ってたんですが、最近ではいろんな方からコメントをいただくようになり
情報交換やいろんな知らないことも教えていただき、大変うれしく思っています!

カテゴリの中に「歴史」(幕末中心)があって、実際に行った名所旧跡等、
画像を取ったり興味をもったものは調べたりしているんですが、休日も飛び
回っていることが多く、なかなか突き詰めて調べる時間がないのが現状です。
特に、下記にあげる項目については、なかなか参考文献もなくネット上
でもなかなか情報を拾えません。
もし、参考文献や専門のサイト・ブログご存知の方、一報頂けたらうれしく
思います(逆に私の知ってることも、もちろんお答えします)

また、さらに情報交換の場にできたらと思っています。よろしくお願いします!

① 幕末の志士・中岡慎太郎(土佐)に関する書籍等。出生地・北川村で(あれば)
のイベントや展示などの情報。

② 幕末の福井藩の藩政改革や人物について。薩摩との政経両面でのつながり
横井小楠や門下生の話(維新後、長谷部甚平や村田氏寿らはどうなったんだろう)

③ 同じく福岡藩について。蘭癖大名とよばれた島津重豪(薩摩)の子で福岡藩に
養子で入った黒田長博(博は正式には「さんずいへん」です。変換できない・・・)
父譲りで開明派だった彼がやりたかったこと。また勤王派の藩士を工作に使い
ながら、弾圧(乙丑の獄)に踏み切った背景(この件がなければ賢候と呼ばれて
もおかしくなかったんでは)

④ 同じく庄内藩について。戊辰戦争時、佐幕で一致した背景や民政について。
また藤沢周平の一連の著作や「海坂藩」の話も。

また、以上の件に関しては記事にできるような内容にまとめることができたら
その都度UPしていきたいと思っています!
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by enokama | 2007-04-16 01:01 | お知らせ | Comments(11)

2007皐月賞の予想

◎ローレルゲレイロ
○ナムラマース
▲ドリームジャーニー
△フサイチホウオー

◎は3月の記事の通りで上積み+気合の鞍上・藤田で
○は人気2頭と実績は遜色ないしスケールを感じる
▲は屈指の決め手。前走は休み明けと不利あっても3着
△は安定してるとは言えない。このコースで取りこぼしも。内ラチぴったりで
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by enokama | 2007-04-15 01:21 | 競馬 | Comments(0)
シンガーソングライターの竹内まりやが26年ぶりにテレビに出演
NHK「SONGS]と言う新番組を見ました。
竹内まりやを聞きだしたのは、山下達郎のファンだったこともありますが
独特の声、節回し(うまく表現できないんですが)が好きで、等身大で
伝わってくる詩。カラオケで女の人に竹内まりやを歌ってほしいな
ともよく言うんですが、なかなか難しいと返されますね(うまく歌ってくれたら
惚れてしまうと思います 笑。反面、イメージとちがったら腹立ててしまうし)
彼女の曲は彼女の声でこそ、生きてくるんでしょう!

たぶん、最後のテレビ出演は山下達郎との結婚式以来のことじゃないでしょうか。
普通のテレビのワイドショーで(そのころ、結婚した長渕剛と石野真子と同じよう
な扱い。今よりもまだオープンだった)、純白のウエディングドレスを着た彼女と
タキシード姿の達郎が教会の前でのツーショットで映ってたのを覚えています。
(ちなみにこの頃はまりやが圧倒的に有名で、達郎(?)って感じだった。
達郎自身が「TVに出る顔でない。」 嘉門達夫に「ヘアカタログに載る山下達郎
~♪」と歌われる風貌で、「美女と野獣」とか、だいぶ言われて参った。
だから達郎もテレビには出ない。今回もコメント言ってるのに巧妙に顔が隠して
ありました 笑)

デビュー当初はアイドル歌手のような扱いで、芸能人運動会にも出ていたぐらい。
しかし、楽曲は加藤和彦や杉真理、林哲司に達郎といった実力派ぞろいで
アーチスト志向が強くなっていき(RCA時代もなかなか言い曲が多い。アルバム
「PORTRAIT」「UNIBERSITY STREET」)結婚後は完全に自作曲で達郎プロ
デュースとなり、マイペースで数年に1度作品を発表したり、アイドル歌手の
プロデュース(中山美穂「色 ホワイトブレンド」や「けんかをやめて」「元気を
だして」 亡くなった岡田有希子には一番多く提供していてショックも大きかった
らしい・・アルバム「リクエスト」に「ロンサムシーズン」収録)を中心に活動。 
また、子育てと平行しての活動となるため、メディアの露出はアルバム
発売時のラジオでのプロモーション程度となっていた(けっこう、おもしろくトーク
していた。また達郎の話題になると「尊敬している。最高の人」等、照れもせず
堂々とのろけていたのが印象的だった・・・)
また、達郎の話ではあまり強くやりたくはないが、露出が少ない分「タイアップ」に
売りこんだ(「マンハッタンキス」や「テコのテーマ」といった印象に残る映画
主題歌や数々のヒットドラマの主題歌につながる。完成度の高さもある)

さて、テレビの本編ですがいきなり「52歳」って連発してました。一昔前だったら
こんな50代いないよって感じで、スタイルも抜群で、キュートなイメージはその
まんま。これまでの生き方や、これからの自分達の世代へのメッセージ。
スタジオでピアノの弾き語りで歌って欲しかったとも思うんですが、PVのつなぎ
がやたら多いのは、ちょっと30分の時間を生かしきれてないようで残念でしたが
家庭と好きな音楽への取り組みは、うらやましくもあり楽しそうで、元気ずけられ
た気がして、昔のアルバムを聞きながらこの文を打ってます(笑)
また、5月にアルバム発売らしく楽しみにしてます!(それにしても達郎の
プロモーションも相変わらずうまい・・・)


1978年11月25日、シングル「戻っておいで・私の時間」、アルバム「Beginning」
でRCA(現BMGファンハウス)よりデビュー。「ドリーム・オブ・ユー」、「SEPTEMB
ER」(1979年)「不思議なピーチパイ」(1980年)などが次々と大ヒット。
RCA在籍中には合計シングル9枚、アルバム6枚を発表(ベスト・アルバム1枚を
含む)した。

1982年、山下達郎と結婚。その後作詞・作曲家として河合奈保子に「けんかを
やめて」(1982年)、薬師丸ひろ子に「元気を出して」(1984年)、中山美穂に
「色・ホワイトブレンド」(1985年)など、多くの作品を提供する。

1984年4月、ムーン・レーベルに移籍後初のシングル「もう一度」、アルバム
「VARIETY」を発表。このアルバムは、全曲竹内まりや作詞・作曲、山下達郎全面
プロデュース・アレンジによる初のアルバムとなった。

1987年8月、アルバム「REQUEST」を発表。「けんかをやめて」、「元気を出して」
などのセルフ・カヴァーを含んだこのアルバムは、発売後約3年でミリオンを突破
するというロングセラーを記録した。その後、シングル「駅」(1987年)、
「シングル・アゲイン」(1989年)、「告白」(1990年)が大ヒット。

1992年10月、アルバム「Quiet Life」発表。発売と同時にミリオン・セラーを記録。

1994年7月25日、ムーン・レーベルでのベスト・アルバム「Impressions」
が350万枚以上という記録的なベスト・セラーとなる。

その後も、シングル「今夜はHearty Party」(1995年)、「ロンリー・ウーマン」
(1996年)、「カムフラージュ」(1998年)が大ヒット・・・
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by enokama | 2007-04-12 02:27 | 総合 | Comments(2)
ウォッカ
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いつ見ても思うんですが、1頭だけ作りが違うって感じなんですよ。
この時点では負ける訳ないって思ってました。

ダイワスカーレット
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綺麗な馬です。チューリップ賞よりは確実に良化しているように見えました!

カタマチボタン
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関東馬ですが、栗東滞在で馬体減もなく落ち着きがあります。
マイルにこだわったローテーション。栗東滞在。上記2頭との対戦がないこと
での未知な部分・・・ひょっとして

他、アストンマーチャンはかなりテンション高くて、返し馬も抑え切れない様子
でした。この時点で結果は見えてました。
イクスキューズはさすが、藤沢って感じで大迫力でした!
馬体減もなく貫禄も。

で結論が下記の様に
◎14 ウォッカ・・・2着
○18 ダイワスカーレット・・・1着
▲3  カタマチボタン・・・3着
△7  イクスキューズ・・・5着
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2強+クイーンC1,2着馬でシンプルに行ったんですが・・・

結果論になってしまいますが、ウォッカは前走のチューリップ賞の時の気配の
方が良くて、正直上積みって感はありませんでした。
ダイワは確実に良化を感じとられました。でも能力の違いで越えられないかと・・・
完璧に勝ちましたし、ほんと松国厩舎の仕上げには脱帽いたします!

でもきっちり取りたかったな。トライアルも見て、パドックでの縦の比較(前回と
今回の)もして、返し馬もしっかり見て・・・ほんと難しいです!
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by enokama | 2007-04-09 23:02 | 競馬 | Comments(2)

2007桜花賞当日

桜花賞はファイトガリバーの年から毎年行ってます。
金土と慌しかったんで、昼からちょろっと行こうかなと思ってたんですが
結構好きな馬がいたんで、やはりじっくり見たいってことで7時40分から
並んでました(この時間だったら確実に座れる。8時開門とみて、そんなに
待たなくてもいいし)
しかし、8時開門の印象があるんですが、なぜか8時30分で(遅いぞ!)
席は余裕で確保できました。
場内の桜はまだ5分ぐらいでした・・・

5R 良馬場で切れたミルクトーレル。デビューから追っかけてます!
でもヒモ抜け・・・
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忘れな草賞はザレマ。先行できるし、余裕を持った勝ち方でそんなに追ってません。
今の牝馬戦線(距離適正を見ても)オークスで、ぺッラレイアと共に注目したいです!

桜花賞パドックはまた後で・・・
  
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by enokama | 2007-04-09 00:11 | 競馬 | Comments(0)