エノカマの旅の途中

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旅と歴史と競馬のお話をします

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大阪の中央環状線で、夜行スキーバスの事故が起こりました。
夜行の路線バスなんかに乗ったら案内もあるように、夜中に運行するバスは2人
乗務で2時間ごとぐらいに交代しながら、安全に運行することが義務付けられて
います。今回の場合は交代要員の乗務員が確保できなかったんでしょう。
それでも予定は入っているし、ワンマンだったら明らかに乗客に指摘されます。
でもバスの免許がなくても、もう一人乗員を乗せてれば交代要員だなって思われ
るでしょう。車内は消灯して寝てるし、同じ人が運転してても「2回交代した」って
思わせればOKなんです。実際、交代しながら行くのかなって思ってたら、1人で
ずっと運転してるってのもあって・・・怖いなと思ったこともあります。
だから「乗ってるだけでいいから」と言うことで身内の弟を乗せてたんでしょう。
「添乗員」って言ってても、やること人数確認しかありませんもん。

規制緩和ってことで、ほんとバスを持ったらすぐに営業できるようになりました。
もともと土建の重機とか持ってたとこから(公共事業の減少で)仕事がなくなって
バスに転向するようなケースも見られます。だから、家族経営や友人どうしでの
会社って感じになり、新規に参入するには安さで勝負となります。旅行会社も
バスが安くなるのは一発で経費に響いてくるので依頼します。
一方、老舗のバス会社でも価格競争に耐えられなくなったところは廃業に追い込
まれるところも出てきます。そしてそこでの出物が、そう言った新規参入の会社に
中古バスとして売られます。

旅行社が「バスをしっかり把握できなかったか?」って言うコメントも聞いたけど
ぱっと見は乗務員が2人いるし、わかりませんよ。それと依頼したところから、どう
しても台数がまかなえなくって、さらに他社に代車で振ることもあるし(なんか聞い
たこともないような小さいところがくることも)シーズンでのバスの確保に躍起となる
状態では難しいんじゃないでしょうか。

従来、名の通った系列のバス(電鉄系等)でも上記の理由で撤退するところも出て
ます。当然、それらの会社だったら組合もあって労働条件は守られて、無理は
できないでしょう(事故を起こして、イメージダウンする方が痛い)
参入しやすくするのはいいけど、ある程度の安全面での規定も重要でしょう。
これを機会にほんとうに今の状態でいいのか、再確認してほしいですね。
人命にかかってくることだし、国交省もこういう時こそしっかりした指導が必要です。
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by enokama | 2007-02-20 23:32 | 総合 | Comments(0)

横井小楠

福岡に行って、せっかくなんで郷土図書のコーナーで見つけてきました。
地元紙の西日本新聞の発行で、著者は熊本・菊池の高校の先生です。
価格が1500円と手頃ですが、わかりやすく解説してくれてます!
他のシリーズでは、平尾山荘の項で紹介した「大隈言道」もあるようです。
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勝海舟をして「俺はおそろしいものを二人見た」
として西郷隆盛と共に称された横井小楠。

幕末は学問の時代とも言え、開国等の緊張もあり、これからの時代を見据えて各
藩も藩校の充実や遊学、幕府では海外留学に派遣されるものもいた。
吉田松陰も各地を遊学して、自身の指針としたが、小楠も水戸学からはじまり
勤王攘夷の矛盾を知り「開国貿易」「殖産産業」「富国強兵」と彼の思想は
そのまま新政府の指針となった。
また明治の「五箇条の御誓文」も彼の言葉のほぼ焼き写しでもある。

彼の学問は「実学」(実際に役に立つ学問) 江戸幕府の最高学府だった「昌平
こう」の学問に飽き足らず、化学や外交等を学び、明治の時代でも特異な才能
を発揮した幕臣・榎本武揚。
従来の佐賀藩・藩是「葉隠」に反発し長崎に近いこともあって、語学や
経済論を学んだ大隈重信らもそれに近いものと言えるだろう。

元来、肥後熊本藩は肥後の「議論倒れ」と言う言葉もあるように、守旧派の
「学校党」、尊王攘夷の「勤王党」(池田屋で死んだ宮部鼎蔵が知られる)
古来の神道派「敬神党」(のちに反乱を起こす大田黒伴雄ら)といろんな派が
あって、「実学党」としての熊本滞在時は不遇の時代も多かった。
しかし、幕末随一の開明派大名の福井藩主・松平春嶽に請われ招聘され
藩政指導を行い、師弟関係ともなった三岡八郎(由利公正)を通じて「物産総会所」
を開き、生糸を長崎に送り輸出することによって多大な利益を上げ(外国からの
収入であることに注目)開国貿易によって不景気になると言う流説が多かったな
かで実際に成果をあげて、自身の理論の確かさを証明した。
また一時期、春嶽が幕政に関与したさいは「参勤交代の廃止」も手がけている。
当然のごとく新政府は参与として、小楠を重用する。しかし明治早々、暗殺されて
しまう。
前述のように、彼の思想は明治政府の指針となった。
けれども大事なことが抜けていた「利政より仁政」「士道論」
この二点は「富国」「強兵」に並ぶ第三の柱だったがすっかり抜け落ちてしまった・・・

この福井藩と小楠の縁で熊本市と福井市は姉妹都市になっています。
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by enokama | 2007-02-19 01:19 | 横井小楠の周辺 | Comments(0)

福岡城址

平尾山荘から帰ってきてからホテル(南中洲!と言うなんとも言えないロケーション)で食事(フグです)
さあ、これから中州だ!(今回はこれが目的みたいなもの)ってとこなんですが部屋でウトウトしてしまって
(飲んでました・・・)
目が覚めたら午前1時・・・何しにきたんや(泣)

とりあえずラーメンだけは食べておこうと思って街中へ(店はしまっててもラーメン屋は遅いからね)
あまり中洲の屋台の飲み客相手のラーメンは?と思って
また天神まで歩いて、一風堂の赤丸を食べてきました。
あとは附近をぶらぶらと・・・
屋台は本来地元の人が使う西鉄駅近辺(平日の方が断然いいんですが)が好きなんですが
当然のごとくほとんど閉めてました。
駅の横に大きな公園があるロケーション(警固公園、警固神社)はいいですね。
旧県庁跡の中央公園(天神から中州へ入る入り口あたり)といい、都心の緑が他の大都市よりも
断然多いのも、うらやましい限りです。
地元の一番店だった岩田屋が駅の西側に移っていました。旧店舗は大きい廃墟の
ように残っていました。三越ができる前は地下鉄降りて岩田屋に出て、西鉄の駅に入ってました。
時代も流れます・・・

3時前にホテルに戻ったんですが、もう一睡もできずで・・・夜明けを待って福岡城址に行くことにしました!
地下鉄で赤坂駅へ、一番西側の出口から地上へ。
赤坂門のちょっと手前には奇妙な下り階段があって(戸は閉まってますが)
城の石垣の地下の基礎の部分が見られるそうです(土曜の10~17時に公開)

  
赤坂門
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城内へ>>
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by enokama | 2007-02-16 21:53 | 福岡藩 | Comments(0)

平尾山荘を訪ねて

平尾山荘に行くつもりだったんですが、ロクに下調べもしてなくって
とりあえず西鉄福岡駅から2つ目の駅・平尾まで電車で向かいました。
そして駅に案内でもあるのかなと思ってたんですが、ない。地図を見ても
見当たりません・・・
とりあえず隣接の本屋でガイドブックを見たんですがやはり載っていない。
降りる駅まちがえたのかなと一瞬あせりましたが、福岡市内詳細版の地図を
見たらようやく見つかりました。
駅より西へ1キロ弱の位置にあって「山荘通り」と言う通りもあり、そこから
しばらく入ったところのようです。
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駅周辺は閑静な住宅地です。
山荘アパート・山荘ガレージ・○○山荘等の建物はちらほらあったんですが
正式名称「平尾山荘公園」の位置はなかなかわからず(標識がまったくない)
附近の人に聞いてようやくたどりつきました・・・(たぶん次回行ってもまちがえそう
だ・・・苦笑。行かれる人は地名が平尾5丁目となっているので、らしい場所に来
たら附近の人に聞いてください。ほんとわかりにくいところです)
このあたりは昔の山荘といったイメージはなく(田畑は見当たらず、完全に住宅地
となっている)丘陵地らしい坂ぐらいが往時を偲ばせるぐらいでしょうか。
しかし山荘の周辺は昔のたたずまいで、梅の花がいい香りを運んでくれました。
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帰りは「山荘通り」と言う西鉄バスのバス停を見つけ、駅まで戻るにもダルイな
と思ってバスで、福岡中心街「天神」まで戻ることにしました。
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しかし、途中の「薬院」と言うところまではバスはスムーズだったんですが
渡辺通を入って天神までの1キロ弱がまったく動かない!
(後で聞いたんですが、有数の渋滞スポットだそう)
電車+歩きでお勧めします。近くの南公園には植物園もあるんで合わせて行って
みるのもいいかと思います!
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by enokama | 2007-02-13 22:25 | 旅行 | Comments(0)
地元の消防団の研修旅行で久しぶりに九州・博多に行ってきました。
昼3時に着いて、翌日は昼前に立つと言う、ウムム・・・な行程なんですが
時間の許す限り歴史探訪もしてきました。
今日は平尾山荘を紹介します!

平尾山荘公園・野村望東尼胸像
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平尾山荘とは、幕末に勤王の志士達の活動を支えた野村望東尼(もとに。もしくは、ぼうとうに。)の
住んでいた庵。
元々の名はモトと言い、24歳の時に福岡藩士・野村新三郎と結婚(再婚となる)彼の影響で
国学、歌道(大隈言道に師事。当時、越前藩公・松平春嶽も師事していた
橘曙覧らと共に3大歌人と言われた)を学び、また勤王思想を持つようになる。
1847年。40歳の時、夫(52歳)と共に隠遁生活に入り、福岡城南・平尾の地に山荘を建てて棲んだ。
夫の死後(1859年)54歳の時に髪をおろし、尼となり「望東尼」と名乗る。
このころ、京阪方面に立寄った際の勤王派の動きに直面し、いっそう意を強くし
安政の大獄で逃れてきた勤王僧・月照を平尾山荘で匿ったりしている。
また、福岡脱藩の志士・平野國臣や中村円太の活動も助け、早川勇(養敬)、月形洗蔵ら
福岡藩の勤王派もこちらを拠点にしていたと言われる。


とくに案内板がなかったんで当時のものか復元かはわからない。
(ネットでくぐってもわからなかった?中に入れる時もあるようだ)
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よく知られるのは長州藩の高杉晋作との交流。いわゆる「禁門の変」で長州は破れ、主流派は「俗論派」と
呼ばれる幕府寄りの政権となったため、中村円太の手引きで藩外での場所を求め福岡に入って
(九州尊攘派の糾合を図って、事態の打開を目指していたと言う。ただこの時の情勢では、積極的な協調者
はいなかった)勤王シンパの商人・石蔵屋に入り、のち平尾山荘で10日ほど匿われていた(1864年11月)
このころ、福岡藩の勤王派の面々とも接触している。
伝説的に伝えられていることでは、この地で薩摩の西郷とも会ったともある(ただ当時、征長軍参謀の西郷は
総督・徳川慶勝の下で広島にあり、物理的に不可能である)
ただ長州処分がこのころ決まり、三家老切腹・四参謀の報が伝わり俗論派を倒すとして
帰藩し、長州藩内でのクーデターを起こす道を選ぶ。


残念なことに第二次長州征伐の目前、福岡藩では勤王派の粛清が行われ(乙丑の獄・1865年6月~)
勤王派家老の加藤司書は切腹。高名な志士だった月形ら主だった勤王派は、ことごとく斬罪に処される。
また望東尼も姫島と言う孤島に流されてしまう(9月)
いち早く薩長同盟を構想したのも福岡藩だったと言われていて、このころも重要な動きを見せていたが
この出来事の後は人材の払底となって、維新の流れから完全に外れてしまう結果となった
(維新直後も数々の苦難がこの藩には待ち受ける。この件はまた改めて・・・) 
薩長同盟は福岡藩との人脈もあった土佐の中岡慎太郎、坂本龍馬らが中心となって引き継がれ
成立の運びとなる。

のちに、再び正義派の握った長州は大村益次郎・高杉らの知略もあり、第二次長州征伐には勝利する。
そして、高杉は姫島に密かに使いを出して望東尼を救出する(1866年9月・下関へ)
しかし翌年4月、彼は結核がひどくなり死の床につく。
最後を看取った中に望東尼がいた。わずか10日ほどの山荘での滞在でも、彼に与えた影響は
計りしえないものだったのだろう。
辞世の句「おもしろきこともなき世をおもしろく」「すみなすものはこころなりけり」
下の句は歌人でもある望東尼が付けたとも言われている。
この後、彼女は平尾に戻ることはできず、三田尻(現・防府市)に移り、この約半年後
11月に62歳で波乱の人生を終えている。
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by enokama | 2007-02-13 01:17 | 福岡藩 | Comments(2)

九州・博多

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中州より
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by enokama | 2007-02-11 07:52 | 旅行 | Comments(0)

細木和子のコメント

あまり、細木和子は好きってことはないんだけど「アホの坂田」
が金曜8時からの全国ネットの番組に出るってことで(相変わらず師匠は
パワフルなようで・・・笑。この番組に結構ベテランの芸人さんが出るんですが
いつも必死に純粋に笑いを取ろうとしている姿勢に好感がもてます。そのへんの
若手のように卑怯な手は使わないし)見てました。

その中で例の厚労大臣の件で「鬼の首を取ったように辞任ばっかり要求する
野党は汚い。失言はダメだがすぐに謝ってるし、審議を止めてまですることか。
会社の組織でもそうだが、任命責任は部下を守るってことも必要だ。」

はっきりと「辞めろ辞めろ」のコメントしか言わない人が多い中で、なかなか言い
にくいことでしょうが清々しい気持ちになりました。まあ視聴率の取れる人だし
女性には人気のある人ですから説得力もあるし、言えたのでしょうがね。
徳光氏は「このような意見もある」って遠慮がちに言ってたけど、少数意見では
決してないはずだし、言いにくい風潮にどうしてもマスコミはしがちだから、ほんと
よく言ってくれたって思います。

でも選挙があるからって言っても野党は「辞任するまで審議拒否」 バカですか
アホですか。せっかく選挙で選ばれて、議論する場を放棄するって何ごとですか。
この件でほんとに地方の首長選挙に影響出るの?それほどでしかの民度でしか
見てないの。失礼ですよ。
僕は次回、絶対この人たちには投票しませんよ。与党のイメージダウンには
けっしてつながらない。安倍さんも大臣を守ってください。
そして大臣も必死に仕事してください。
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by enokama | 2007-02-04 01:17 | 総合 | Comments(4)

見苦しい国会

また大臣の失言と言うことで、貴重な議論の場である国会が止まっている。
マスコミは、街の声なんかを放映する時は「やめさせろ」と言う意見しか
流さないし(まあ、編集や仕込みでなんとでもなるのは明白だが)
世論を作って実際にそうなったら(辞任したら)彼らは満足なんだろう。

でも首相からしたら、政策的に重要な閣僚ポストは文部大臣・財務大臣しかり
70代のベテランに託していて、この厚労大臣もその一人。
ほんと、昔の人の感覚での失言だけど、任命した以上は「政策上の失敗」が
よっぽどない限りその地位は、重いもんじゃないと行けないとだめだし、あまり
変えるのも「官僚の上を流れていると思われる」感覚になってしまっては改革
も進まないと思う。仕事をちゃんとやって取り返すと言うのも「選択肢」にあっても
おかしくない。十分に謝罪してるし、そう「辞任辞任」ってこともないんじゃないか
と言ってると甘いと思われるんだろうか。

僕が小泉さんが好きだったのは、内閣を自分で選んで簡単に変えなかったこと。
(それまでの定期的にポストを回すやり方はおかしすぎるから、本来の姿とも
言える)
族議員が大臣になったらなったで批判されてるけど、別に大臣がいるのに族議員
の方がその省に影響力を持ってる方がおかしいし、鈴木宗男さんなんか早く
外務大臣にしていたら、かなり仕事ができてたんじゃないだろうか。
(この人へのバッシングも凄かったけど、やってる事・人脈は逮捕して失脚される
には国にとっても、もったいないことだった)

でも最近のニュースは、すぐ世論調査で「支持・不支持」や「不祥事で辞任すべき
か?」ってやりますな・・・ちょっとしたことで簡単に「不支持」になったり「辞めろ」
って言ったり。そんなころころ変えてたら、いい人材を失うよ。
バブルのあと、長く悪かった時も目先だけでころころ内閣も変わってました。
もう少し長いスパンで見られないかと思うけど、今の社会じゃ許してくれないのかな。
「享保の改革」や「上杉鷹山の改革」だって20年ほどかけてやっと、結果が出てきた
ところもあるし。

早くいろんな問題があるし本来の議論の場に戻して欲しい!
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by enokama | 2007-02-02 01:09 | 総合 | Comments(0)

冬の京都~東寺初弘法

東寺に着くと凄い人だかりでした。
1月21日は初弘法と言って、東寺を最初に本格的に造営にかかった弘法大師
(空海・真言宗の総本山となっている)の命日にちなむ縁日の日となっていて
年始めともあって今年1年の無病息災のお参りをする方、また毎月21日は弘法市
の日と言うそうで(勉強不足で全然知りませんでした・・・)
盆栽市や各地の名産品、京都の工芸品・漬物等の名産はもちろん、手作りの
フリーマーケット風のお店等、露天の市としてはほんと規模の大きなもので、日曜と
重なったこともあって、たくさんの人出でありました。
張りました弘法市のサイトにも書いてますが、結構個性のある店も多く掘り出し物
もありそうで、おもしろかったです。ただし、毎月21日と決まってますんで、うまく休
みが合わないとなかなか行けないですけどね。

大師堂
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お参り。護摩法要もされています。

五重塔
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初層内陣公開中。

小子房も特別公開中。建物は昭和になってからのものですが、近代美術界で
京都画壇で名を馳せた一人・堂本印象の水墨画の襖絵が、各間ごとに個性的
に描かれています。

帰りは京都駅まで歩いて、閉店の決まっている京都近鉄百貨店へ。
かつては丸物(まるぶつ)百貨店と言って、東京・新宿(今は西武系の店になって
るらしい)小倉、岐阜等にも支店のあった老舗ですが、後発店に押されての閉店で
す。「プラッツ」と言うようになってから、旭屋書店や無印良品にはよく行ってたん
ですが既存の百貨店の部分が古くなっていて、今回も改めてじっくり回ってみたん
ですが、魅力に乏しいのは確かですね。安く買い物してきました・・・

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跡地はヨドバシカメラだったと思うけども、電器店がくるらしい。
場所的には京都のこの辺りに、これと言った店がなかったんで、うれしいん
ですが、寺町の電器街はかなり影響うけるだろうな・・・
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by enokama | 2007-02-01 00:15 | 私の好きな京都 | Comments(0)