エノカマの旅の途中

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カテゴリ:私の好きな京都( 144 )

羅城門バス停から18系統のバスに乗ると、旧鳥羽街道の昔ながらの狭い道を行きます。
所々狭い場所は一方通行になっていて旧家も多いところであります。
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バス停は名神高速の下をくぐる手前で、小枝橋自体はだいぶ先になります。

西詰から
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だいぶ京都の西側のイメージですが実は鴨川を渡る橋。九条のあたりから大きく方向を変えて、この先で桂川と合流します。


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by enokama | 2017-06-22 13:28 | 私の好きな京都 | Comments(0)
千本九条のあたりは「四ッ塚」と呼ばれ、今も地名が残っている。
その昔、狐塚・杉塚・経田塚・琵琶塚の四つの塚があったことから由来する。
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この古来から羅城門の位置したように「洛中への入口」となっていた要衝に
「王政復古政変」後に徳川慶喜ら旧幕府側陣営が大坂へと移り、京都は薩長土芸と言った諸藩が警衛していた中で
薩摩軍は東寺に伊地知正治を隊長とする陣営を置き、この四ッ塚に関門を置いていた。

千本九条付近から東寺の五重塔
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慶応四年一月。尾越土と言った諸侯の奔走もあって新政府の議定就任が確実となっていた徳川慶喜は
滞在した大坂から朝廷に「軽装上洛」を求められていたが、前年暮れの江戸での「薩摩藩邸焼き討ち事件」もあって周辺は「主戦論」が強まり
「君側の奸を除く」として、滝川具挙の率いる先発隊が京都へ向け進軍する。
京都に近づく鳥羽街道には薩摩兵が取りつき、滝川は四ッ塚関門に入洛を求める使者を送るも薩摩側はこれを拒む。


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by enokama | 2017-06-21 12:04 | 私の好きな京都 | Comments(0)

六孫王神社と西寺址

東寺の西側を少し回ってきました。
JR京都駅から徒歩20分ほどで、バスなら京都駅八条口から16番もしくは環状系統202・208です。
地図を見ていたらJRに西大路駅から歩くのもいいかもしれません。

六孫王神社前で降りました。いい感じの神社です
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by enokama | 2017-06-20 12:05 | 私の好きな京都 | Comments(0)

岩倉具視幽棲旧宅 2017

久しぶりに新しいポスターを見て、岩倉に行ってきました(4月後半ですので、もう貼ってないかもしれないです)

(関連記事→その1その2その3
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by enokama | 2017-06-06 18:11 | 私の好きな京都 | Comments(0)
少し開きましたが、昨年に大阪龍馬会のイベントで訪れた散策の記録です(→こちらでも訪れています 追記あり)

石清水八幡宮のふもとにある淀屋旧邸
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豪商で知られた淀屋(淀屋橋の由来でも有名)が取り潰されたあとに、許されて住んだところ。


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by enokama | 2017-05-30 18:48 | 私の好きな京都 | Comments(0)

伏見稲荷2016

伏見稲荷に行ってきました。
がっつり稲荷山を登ったのは初めてで、やはりそれなりの登山でしたね。
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by enokama | 2016-11-02 00:32 | 私の好きな京都 | Comments(0)
久しぶりに将軍塚に登ってきました!
粟田口から入って、清水寺へ降りるルートです(2014年記事→こちら
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by enokama | 2016-06-12 19:25 | 私の好きな京都 | Comments(0)
淀小橋跡
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千両松方向の堤と淀城下を結んでいた橋で200mあったと言う。
敗走する旧幕府軍はこの橋を焼くが、淀城には入ることができなかった。


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by enokama | 2016-05-14 18:35 | 私の好きな京都 | Comments(0)
八番楳木戦場跡(千両松の戦い・2008年撮影)
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かつては競馬場前は川が流れていて、千両松と呼ばれた松並木の堤上でも戦いがあった。
最もこの戦いでの激戦が伝えられるところで、会津・新撰組兵と薩長因(鳥取藩)兵にも多くの死者が出たところ。
競馬場から線路を挟んで、電車からも確認できる所にある。
競馬場用地に囲まれたポツンとしたような場所にあり、この地にあった石碑を移動させようとしたところ
夜な夜な誠の旗を持った亡霊が現れ、この地で改めて供養された。
ご覧のとおり新しい花がいつも、たくさん供えてあるようです。。。

周辺に住宅が建ち、雰囲気が変わった(2016年1月撮影)
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by enokama | 2016-05-13 16:40 | 私の好きな京都 | Comments(0)
以前(2008年)書いた記事ですが、それから何度か再訪して、いろいろと書き足すことができたので
項目ごとに分割して再編集いたします。

淀城跡
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高架前は京阪淀駅の西口すぐだったが、駅が競馬場よりに移った後は少し南に歩く。
(駅前だったミニストップはまだ残っている)


淀と言う地名は「水が澱む」ことから付いたといい
秀吉の天下のころ、伏見の南の淀は防御拠点となっていた。
幕末当時も桂川と宇治川、数多くの水路(外堀)に囲まれた水上に浮かぶような城だった。
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by enokama | 2016-05-12 11:12 | 私の好きな京都 | Comments(0)