エノカマの旅の途中

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カテゴリ:尾張三河美濃( 22 )

犬山城下町は古い風情が残っています。

城が北、城下町が南はアジアでの典型的な形である。
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by enokama | 2014-09-18 21:28 | 尾張三河美濃 | Comments(0)
12日は徳川美術館の後で、蓬左文庫の図書室と鶴舞の中央図書館に籠もったんですが
やっぱり尾張藩関連の「これ」と言った資料はないもんなんですね。
「名古屋市史」や「愛知県史」もちょろっとしか載ってないし、史料そのものが少ないのだろうか。
豊橋(吉田藩)は藩史的な物があったし、家老の日記もあったりするんだけど・・・
「青松葉事件」物はいくつかあったけど、個人研究者って方の書が多いので、それぞれに解釈が
全然違ったりするんですよね。
(慶勝を「独裁者」としたり「名君」としたり、正反対なんだな)


13日は名鉄に乗って犬山に行ってきました。
犬山遊園駅で降りて、犬山橋から写真を撮りました。
実は数年前まで犬山橋は道路の真ん中に名鉄の線路があって、ホーンを鳴らしながら電車が
乗用車と一緒に橋を渡っていたものです。
実は修学旅行と社会人4年目の時の旅行の宿が犬山橋のそばだったので、思い出の場所だったりします。。。
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昔の橋が鉄道専用になって、西側に道路専用橋が新しく架けられた
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犬山城は二年前も行ったんですが、城下は歩かなかったので散策してみました。

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by enokama | 2014-09-17 23:29 | 尾張三河美濃 | Comments(0)
先週の12日に名古屋に行ってきました!
目的は蓬左文庫のこちら(9月28日まで)の展示が目的です。。。

徳川美術館の門(尾張徳川家大曽根別邸の表門)
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徳川美術館に隣接して文庫はあります
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by enokama | 2014-09-16 22:50 | 尾張三河美濃 | Comments(0)
幕末の尾張藩主だった徳川慶勝(関連記事→こちらこちら)について
ちょっと調べたりしてるのですが、がっつりとした資料が「ない!」のであります。
(名古屋市史も正直、知ってる範囲だったのでしょぼかったし・・・)
そこで小説ではありますが、読んでみました。
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by enokama | 2013-08-29 22:16 | 尾張三河美濃 | Comments(0)

先週10月6日の撮影ですので、今度の土日はちょうどいいころかもしれません。

木曽三川公園センター
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by enokama | 2012-10-12 23:37 | 尾張三河美濃 | Comments(0)
名古屋の中心部・大須商店街の真ん中に
織田信長の父・信秀開基の、織田家菩提寺・万松寺(ばんしょうじ→HP)がある。
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by enokama | 2012-09-25 23:15 | 尾張三河美濃 | Comments(0)

犬山城と成瀬氏

犬山城は1537(天文6)年、織田信長の叔父にあたる信康によって築かれた
現存する日本最古の天守閣である。
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徳川幕府となり「御三家」となった尾張藩には、附家老として竹腰家と平岩家が側役となり
言わば幕府から、その藩政動向を牽制する「お目付け役」(同時に両家は幕臣でもあった)としての
役割を与えられていた。
平岩家は同時に犬山城主を兼ねるが、嗣子がなく断絶し
1617(元和3)年に替わって入った成瀬氏により江戸時代、一貫して犬山の地は治められていた。

この入城のころに天守に望楼が付けられ、現状天守の形となった。
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この附家老二氏の関係だが、元来から朝廷各家との縁も深く、初代藩主・義直の時代から尾張藩は
言わば「朝廷>幕府」の意識が高かったとされる一方で「御三家」の立場でありながら、幕府からも常に
警戒される(徳川発祥の地を・岡崎を治めた水野家は、尾張徳川家の押さえの意味もあったと言う)
複雑な藩情で、竹腰派は幕府第一であって、成瀬派は藩主(朝廷)寄りの立場を取っていた。
有名な江戸中期の吉宗と宗春の対立では、竹腰派は宗春の失脚工作に走る一方で
成瀬派は宗春に味方し、宗春死後にはその名誉回復にも務めた。

城内に成瀬家と慶勝にまつわる碑がある
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この流れは幕末にもあって、竹腰派は佐幕勢力(ふいご党)となる一方で
藩政改革に成功し、将軍慶喜擁立運動にも取り組んだ慶勝には成瀬派が付いた(金鉄党)
のち第一次の征長総督として広島へ赴いた慶勝には、当代・成瀬正肥(代々、隼人正と称す)が従い
長州処分の条件の一つ「三家老の切腹」で、総督府の置かれた浅野家菩提寺・国泰寺に送られた
「首実検」では総督名代として、立ち会っている。

成瀬家・竹腰家は慶応4年になって大名に列せられ、それぞれ立藩(犬山藩・今尾藩)する。
明治4年の廃藩置県に伴い、犬山城も廃城となり、天守閣以外の建物の大半が取り払われることとなる。


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by enokama | 2012-09-24 23:14 | 尾張三河美濃 | Comments(2)

岐阜城

10月から行事がいろいろあるんで、それまでにたまっている旅のレポートを
少しでもやっておきたいと思います。
まだ久留米や芸州、大阪も残ってるんですが
先に6月に行った岐阜・名古屋のレポから・・・

麓から岐阜城
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by enokama | 2012-09-20 23:25 | 尾張三河美濃 | Comments(0)
市立図書館にも行ってきたんですが、専門 の「歴史史料コーナー」があって
ここが大都市の図書館並みの蔵書だったので、びっくりしました。
かなりの貴重資料もありそうです。。。
今回の記事もコピッたもので、引用しています!

一方こちらはお城の南端あたりにある、松尾芭蕉「奥の細道むすびの地」であります。
ここ続けて江戸時代の詩人や旅の話をしてきましたが
なんと言っても、芭蕉は一番有名だし、各地に足跡をたくさん残していますよね!
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近くに資料館もあります。。。

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by enokama | 2011-07-26 23:55 | 尾張三河美濃 | Comments(0)

幕末の大垣藩と小原鉄心

大垣駅を降りると南口からは、まっすぐな通りがあり
大垣城外堀だった「水門川」を渡ると、元々の城郭地域で中心街となり

少し西側に入った所に天守閣があります(ただし平城で市街地からは眺められない)
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最初はレンタサイクルを借りようと思ったんですがなくって、観光案内所で尋ねると
「歩きで十分ですよ」とのことで、一番南寄りのポイント「芭蕉結びの地」あたりでも
20分あれば大丈夫でした。

ただし、大垣は戦前まで現存天守があったものの
こちらも空襲を受けて再建されたものであります。。。
付近には戸田家菩提寺の円通寺や藩校敬教堂跡の碑、小原鉄心邸跡の碑も見られます。

お城の南側には戦災を逃れた古い家屋も見られますが
全般に昭和30年代って感じの商店街が見られます、
ただ駅北口の工場跡が再開発されて、ショッピングセンターができた影響で
賑わいの中心はそちらに移りつつあるようです!

この大垣は江戸時代、一貫して譜代大名の戸田氏(十万石)が治めました。
東西を結ぶ要地として重要視されたもので、幕末もその意向が大きく流れを左右しました。
また文化人を多数輩出したことでも知られ、松尾芭蕉の結びの地でもあり
「文教の町」として知られております。

お城の西側には戸田家代々の宝物を集めた「郷土館」があり、歴史史料が集められています。
代々の藩主の紹介がありますが「暗君」と呼ばれたような人物は少なかったようですが
飢饉や幕府からの普請など、各藩共通の財政問題には苦悩の跡が偲ばれます。
また学問では、庄内藩同様に「徂徠学」としていたことも特色であります。

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by enokama | 2011-07-26 23:18 | 尾張三河美濃 | Comments(0)