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エノカマの旅の途中

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  • 築地~日本海軍発祥の地
    [ 2012-04-03 23:23 ]
  • ヴェルニーと小栗忠順の横須賀
    [ 2012-02-14 23:33 ]
  • BSTBS「ナンバー2」~遠山影元と水野忠邦(ちょっとだけ昨日の放送の感想も)
    [ 2011-12-06 23:50 ]
  • BSTBS「ナンバー2」~水野忠邦の天保の改革
    [ 2011-11-26 23:25 ]
  • 横浜・掃部山公園の井伊大老像
    [ 2011-10-02 23:41 ]
  • 横浜開港と神奈川宿と岩瀬忠震
    [ 2011-10-02 20:34 ]
  • BS歴史館~日本の開国・林大学頭×ペリーと岩瀬忠震×ハリス
    [ 2011-09-24 22:24 ]
  • 歴史秘話ヒストリア~ラストサムライ・中島三郎助
    [ 2011-07-06 23:24 ]
  • 「最後の将軍」~司馬遼太郎
    [ 2011-06-04 23:08 ]
  • 朝涼忌と雨とダービー
    [ 2011-05-31 23:39 ]

semスキン用のアイコン01築地~日本海軍発祥の地semスキン用のアイコン02

  

2012年 04月 03日

今週のブラタモリが佃島に行くようなので
以前に行った築地~佃島あたりのレポを今日は書きたいと思います。

まずは築地本願寺からさらに東、隅田川の勝鬨橋の西詰のあたり
築地六丁目の交差点付近、築地市場駐車場前にあるこの看板ですが調べてみると
結構、幕末期に重要な場所だったんですよね。



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by enokama | 2012-04-03 23:23 | 幕府東国諸藩 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01ヴェルニーと小栗忠順の横須賀semスキン用のアイコン02

  

2012年 02月 14日

こちらもまだレポしてなかったのですが
以前、浦賀~久里浜と訪れた際に横須賀にも行ってきました(→カレーの記事

駅で言えば京急汐入駅、JR横須賀駅近くにヴェルニー公園があります。
こちらには幕臣屈指の逸材・小栗忠順が、日本の将来のために尽力した横須賀製鉄所(実質は造船所)
が建てられました・・・




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by enokama | 2012-02-14 23:33 | 幕府東国諸藩 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01BSTBS「ナンバー2」~遠山影元と水野忠邦(ちょっとだけ昨日の放送の感想も) semスキン用のアイコン02

  

2011年 12月 06日

まずこの番組の昨日放送分の感想を手短に・・・


とにかく解説者が、こんないい加減な幻想や妄想だけで歴史を語る創作作家ではお話にもなりません!
蝶ネクタイして終始足組んで話していて、態度も悪いし本当にムカついた。

まあ内容は例の妄想本の内容そのままで
相変わらず神戸操練所構想はもてはやして、築地は無視なんですね・・・
薩長同盟は「なんで慶勝と西郷は長州を潰し切らなかったのか」勝だけの意見に左右されたわけじゃないし
岩国藩や福岡藩の月形洗蔵の働きかけも当然語られず
「グラバーの意向」で薩長を組ませろって指示で坂本龍馬が動いたから。
暗殺の件は例の調子で「岩倉の指示で中岡が動いた・・・」
「討幕の密勅」「大政奉還」の本当の意味も分からず、大久保や慶喜の考えも中岡慎太郎の人物像も
知らないような奴に語る資格はないだろう・・・

まあ、坂本龍馬で幕末を語ることがそもそも無理があるんだけども
こんな進化のないようなテレビ番組をいつまでも続けてどうするんだろう。
最後に「海援隊士だった岩崎弥太郎」って(阿呆)はっきり言ってました(苦笑)
最悪な内容でした・・・


さて、ここからは本題で先週放送分です。
今回は普通の「金さん」紹介ってより、前回から関連づけた水野忠邦との絡みがメインの切り方がよかったです。
解説は井沢元彦さんで結構、アシスタントの女子アナも食いついてたりして(笑)
こっちは面白かったんだけどな!
(前回記事→ここ

続き>>

by enokama | 2011-12-06 23:50 | 幕府東国諸藩 | Trackback | Comments(2)

semスキン用のアイコン01BSTBS「ナンバー2」~水野忠邦の天保の改革semスキン用のアイコン02

  

2011年 11月 26日

先日月曜日、BSTBS「NO2」で水野忠邦が紹介されていました!
この番組制作が「テレビマンユニオン」で(まあTBS直では、よう作れないだろうけど)
NHKの「BS歴史館」にも制作協力で入ってるんで、なんとなく作りや出演者も重なってくる所も
あるように思えます。。。
今日は加来さんが出ていて、しっかり説明されていたと思います。
おそらく来週は比較的知られた「遠山影元」なので、某Dさんになるのかな?
それにしても回によっては「BS歴史館」よりもマニアックになるので
この番組も侮れませんね・・・
 

結局、総スカンで終わってしまった改革>>

by enokama | 2011-11-26 23:25 | 幕府東国諸藩 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01横浜・掃部山公園の井伊大老像semスキン用のアイコン02

  

2011年 10月 02日

開国と言えばいろんな人が言われますが
この井伊大老もその功罪は言われますが、その一人であります!

そんな井伊直弼のでかい銅像が「掃部山公園」と言う横浜きっての桜の名所にあります。
場所は桜木町の駅から、かなりしんどい目して坂を登ります(汗)
こう実際に歩いてみたら、横浜って元々山や崖でできてるんですね。
そして平地はひたすら干拓に励んだと・・・
まあ大坂や江戸もそうして大きくなっていったんですけどね。

それにしてもでかい(高さ4m・台座7m)



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by enokama | 2011-10-02 23:41 | 幕府東国諸藩 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01横浜開港と神奈川宿と岩瀬忠震semスキン用のアイコン02

  

2011年 10月 02日

神奈川宿は東海道3つ目の宿場町でありました

日米修好通商条約の締結のあとの日本は
ロシア・オランダ・フランス・イギリスと次々に「修好通商条約」を結び
条約上は神奈川が本来の開港地として、各国の領事館が設けられ
東海道沿いの各寺院がその施設として接収されて行きました。。。

街道沿いの高札場

駅はJR東神奈川か京急仲木戸で降りて、旧東海道沿いを進みます。
残念ながら往時の面影はなく、この高札場も少し違う場所にあったそうです。


接収された寺院>>

by enokama | 2011-10-02 20:34 | 幕府東国諸藩 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01BS歴史館~日本の開国・林大学頭×ペリーと岩瀬忠震×ハリスsemスキン用のアイコン02

  

2011年 09月 24日

楽しみにしていた先日金曜日のBS歴史館。
まあ「開国についての展開経緯」をご存じの方にとっては、細かい突っ込みどころもあったでしょうが
これだけマニアックな内容って言うのは、地上波ではさすがにできない内容だし
よく知られる「勝者からの歴史観」から見たら、幕府のやった功績って言うのは
なかなか伝わらず誤解され、評価のされないことも多いと思うし、いい放送だったと思います。

加来耕三さんと磯田道史さんと、榊原って言う官僚上がりの人(去年、便乗の龍馬本を書いてたけど
やたら龍馬暗殺を西郷黒幕だってのを強調してた)が出てたけど、そのお互いの話が面白くって
楽しそうに見えたのが印象的でした。
中村・山内みたいな嫌いな人物を罵るだけの対談より、やっぱり好きな人物について
徹底的に語り合えるってのはいいですよね。。。

表題のペリーの交渉は「日米和親条約」のことで、実はこの時には「通商条約」は結ばれておらず
その時の条文の一言を取って、下田の領事として赴任してきたのがハリスであり
下田奉行・井上清直(川路聖膜の実弟)が対応し、岩瀬忠震とともに結んだのが交易を伴う
「日米通商修好条約」となります。
まあ、ここでも強調されてましたが「ペリー」で幕末の開国話がすべてってことはないんですよね。
ペリーのライバル・ロシアのプチャーチンもいたし(昔「ライバル日本史」って番組で紹介されたそうです)
ハリスももっと注目されるべきだと思います。

まあ今回の番組の内容がすべて納得して、解釈が正しいってことではないので
(番組として成り立たすにはしょうがいない面もあるでしょうが。時間もやっぱり足らない感があるし)
とりあえず放送内容だけ紹介します。


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by enokama | 2011-09-24 22:24 | 幕府東国諸藩 | Trackback | Comments(2)

semスキン用のアイコン01歴史秘話ヒストリア~ラストサムライ・中島三郎助semスキン用のアイコン02

  

2011年 07月 06日

今日は楽しみにしていた、中島三郎助の回でした!
僕らの仲間内では好きな人も多いんですが、一般的にはどんな地名度なんでしょうか?

解説は作家の佐々木譲さんと地元・横須賀の研究者の方。
まあ幕府海軍~箱館戦争あたりで話を書こうとしたら
勝海舟を悪く書くか、榎本武揚を悪く書くかって感じで「二極化」してしまうんですが(苦笑)
佐々木さんは圧倒的に「アンチ勝」のスタンスで「くろふね」「武揚伝」を書いておられます。
まあ普通は、知名度的に勝から入る人も多いんで「なんでこんなに勝を悪く書いてしまうんだろう」
って最初は思ってしまうけど、幕府サイドの人物に立ってみると
「なんで薩摩に最初っから肩入れしているの」って、確かに疑ってしまいたくなってきます。

勝と中島さんの不仲は、紹介された松陰先生の手紙でもよくわかるんですが
まあ、それがある意味で勝のいいところなのか、悪いところなのか・・・
結局、井伊にも耐えて、薩摩を始めとする西側にも「海軍の第一人者」と称えられることになる
不思議な評価の難しい人物であります・・・


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by enokama | 2011-07-06 23:24 | 幕府東国諸藩 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01「最後の将軍」~司馬遼太郎semスキン用のアイコン02

  

2011年 06月 04日

何件か前の記事で(→ここ)なんで「徳川慶喜が攘夷鎖港を叫んだ」時期が
あったんだろうと書いたんですが
この司馬さんの著作を持っていたのを思い出し、読み返してみました。。。

まあ「司馬史観」を疑う人も多いし、100%信用していい内容なのかは疑問なんだけど
250Pほどのコンパクトな文庫版で、改めてよくまとめられているなと思いました(4時間ほどで読める)
なんだろう…安政のころの「慶喜将軍擁立運動」で松平春嶽を始めとする賢候や
幕府の有能官吏たちから寄せられた羨望のまなざしに、答えうる資質っていうのは
十分持っていたと思うし
この人が幕府側にいることでの、西国雄藩とのパワーバランスと言うのが
枠組みを比較的わかりやすいものにしたことで、そのターゲットたる象徴的な存在になって
「討幕」という機運を高めたことと、逆にその後割り切った考えでの恭順態度を取ったことで
「内戦」と言う事態が比較的少なくなった、流れが出てきたと思うのです。

それに慶喜は敵が多いし(まあ実父・斉昭の始末もあったけど)尊皇の総本山・水戸の地元からも
反発されるし、幕閣・大奥からも「よそ者」になってしまって
そして、京都に上れば長州→薩摩と好き放題に動かされている朝廷に対して
よほど確固たる態度と強い意志がないと務められない事情があった。
春嶽は「攘夷不可」の思いが強くって、「攘夷」で荒らしまわる京都の長州勢に対して
開国論で固めた国元では、横井小楠が「実力で阻止すべき」と兵を具体的に上洛させる支援を
してくれたのに、それを自身でつぶしてしまった。
慶喜は長州勢が追い出された後の、薩摩に押される公卿らの態度を詰って
「昨日は長州の攘夷に従い、今日は薩摩の開国に従う」この打開に
文頭の「攘夷論」を語ったと言うのです。
春嶽は「狂したか」と思ったらしいが、そう言った奇略が乱世には必要だし
後ろ盾がないっていうことが、逆に実現させる、変化させると言った実行力に変えていったことが
二人の器の違いであって、維新後には矢面に立つ側がどうしても「敗者」になってしまうと
どうしても批判を受けてしまう損な役割もあったのです。

「大政奉還」は、中岡慎太郎がその論文で一番に「徳川を助ける策なり」と書いていて
実際に恩恵と言うのは「幕府・徳川側」にあったし、一番わかっていたのが慶喜じゃなかったのだろうか。
後ろ盾が少ないと言うことは、逆に従来からの幕閣の縛りもなかったこと。
だからうまく流れれば違った動きになっていたはずです。
しかしそうならなかったのは「果断」ができるという一方で、同時に「情」もなくす面もあったこと。
例えば「天狗党一件」にしても、本来の「尊皇を叫ぶ」支援者たるべき彼らを処断することで
うまく運べば味方になるべき勢力を削ぎ、西国の志士たちにも慶喜を糾弾する書簡が無数に残されて
火を付けてしまった面もあったでしょう。
「陸援隊」にも水戸浪士が、かなりの部分を占めていたことも、それを表しています…


このあたりの幕府側から見た流れは、まだ僕自身勉強不足の面もあるんで
今日書いた感想も、少しおかしいと指摘される方もおられるかもしれません。
また、いい書籍などご教授いただければ幸いであります!

by enokama | 2011-06-04 23:08 | 幕府東国諸藩 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01朝涼忌と雨とダービーsemスキン用のアイコン02

  

2011年 05月 31日

先週土~日曜と上京しておりました。
ここ数年、ダービーウイーク(5月最終日曜)は霊山歴史館の旅行に行ってるのが
恒例だったんですが(過去記事にレポ載せてます)
震災の影響もあって今年は中止になって、自分自身も6月から仕事が忙しくなりそうなので
前からお聞きしてました伊庭八郎忌(朝涼忌・ちょうりょうき)に行ってきました。
毎年命日に近い(換算して)日曜ってことで、ほぼ毎年ダービーに重なる日になってるんで
僕自身も覚えやすい日だったんですよ!
僕もここ2年「伊庭八郎の足跡」を度々たどってるんで(まあ、自分自身も楽しめるんですよね)
一度、お礼もしておきたかったんです・・・

ちなみに「朝涼忌」(→詳細)は八郎が上京(京都滞在時)に読んだ
「朝涼(あさすず)や 人より先へ 渡りふね」から
彼らしい「爽やかさ」ってことから付けられたそうです!


雨降りの二日間>>

by enokama | 2011-05-31 23:39 | 幕府東国諸藩 | Trackback | Comments(0)