エノカマの旅の途中

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カテゴリ:幕府東国諸藩( 52 )

少し前のBSで家近良樹さんが出ていた番組の、慶応元年十月の慶喜の行動について書いておきたいと思います。
(「徳川慶喜公伝」を参照して、少し補足追記します)

慶喜の性格については
・上昇志向があると偏見を持ちやすいが、トップの人は偏見を持たないで済む。
・非常識より無常識
・キャッチーな人(新しい物好き)




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by enokama | 2017-01-05 18:46 | 幕府東国諸藩 | Comments(0)
佐倉藩主堀田家菩提寺・甚大寺の南隣には佐藤泰然ら順天堂関連者の墓地がある。
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by enokama | 2016-02-02 23:06 | 幕府東国諸藩 | Comments(0)
昨年に訪れた佐倉のレポです。
まずは前回行かなかった城下町の史跡です。

麻賀多神社
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佐倉の総鎮守で現在の本殿・拝殿は天保十四年(1843)に堀田正睦により造営された。

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by enokama | 2016-02-01 12:08 | 幕府東国諸藩 | Comments(0)
佐倉での順天堂の門下生の名簿と言うものはあまり残っていないが
地元の佐倉藩の他に越前の各藩(福井、鯖江、府中(武生)、大野、勝山)の入門が目立っている。
橋本左内(弟・綱常が松本良順門下生)も入門者とする資料もあるようだが、これは今後の研究課題にしたい。

天保十四年(1843)の泰然の佐倉移住から、明治二年(1869)に後を継いだ佐藤尚中が上京し
東大医学部の前身となる大学東校での教授に任命されるまで、ゆうに千人は超えているとみられ
松前藩から佐土原藩まで全国からの入門もあり、西国からも丹後田辺・奥村祐斎(適塾にも在籍)
丹波篠山・渡辺万次良(時習堂にも在籍)越前大野・中村斎と言った名前も残っている。
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by enokama | 2015-06-26 20:59 | 幕府東国諸藩 | Comments(0)
佐倉に来た一番の目的がこちら
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佐倉順天堂記念館は安政五年の建物が和室の主屋と洋風の付属室を中心として、今も残されている。
往時は2000坪の敷地で延べ1000人の塾生が学び「西の適塾。東の順天堂」とも称される。

幕末の藩主・堀田正睦は「蘭癖」と言われるほど、蘭学に傾倒した。
それを支えたのが年寄役・渡辺与一兵衛治であった。。。

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by enokama | 2015-06-20 22:31 | 幕府東国諸藩 | Comments(0)
堀田氏は譜代大名として幕府要職に就くことが多く
幕末の海外情勢にも長じて、海外知識の吸収や国防の重要性について関心が強かった。

「幕末維新」に関しては「幕府が守旧で長州等が革新」との認識は大間違いである。
幕府が長年かけて実現した「開国」だったが、井伊大老当時の自身に対する反対勢力の弾圧などで
幕府人事の継続性が途切れ(優秀な人物も罷免)諸外国との交渉で困難も生じ、始まった「貿易」に関しても、庶民にとっては「不利益」を蒙ることが多かった(コレラ等の伝染病もあったし、生活物資等が輸出に回され高騰)
そこへ水戸や薩摩・長州と言った尊攘勢力が世論も味方に、幕威の衰えもあって朝廷とも直接結びつき、幕府の施策に介入し「外国人や外国船を見たら、ただちに討つ」と言った攘夷過激派も出て、混乱に陥ったものである。
一方で開明的な政策を取って藩政改革にも成功した西国外様雄藩は独自の政策を取り、幕府の命令にも公然と従わず、薩摩を軸に一旦は戦争に負けた形だった長州を潰し切らなかった方針から、さらなる「倒幕」と言った方向性が西国の連合から出たものが「幕末維新」の結末であった。

日本国の外交に直接携わることの多い老中等を輩出した譜代藩では、蘭学(洋学)の導入には
積極的で教育熱も高かったのである。
人事にも門閥にはこだわらず、藩外でも優秀な人材と見ると積極的な招聘に動いた。
この姿勢からも、幕府が中心とした「維新」と言う方向も可能であったのではなかろうか。
もちろん従来の「幕政に携われるのは譜代だけ」と言った縛りはなくなっていただろうが明治維新後の「開国・富国強兵」と言った方向性は、阿部正弘当時の革新派官僚の目指す新しい国家像とは大差なかっただろう。

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by enokama | 2015-06-19 18:39 | 幕府東国諸藩 | Comments(0)
佐倉城大手門付近にあった藩校跡の碑
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寛政四年(1792)に佐倉藩校は設立され、天保七年(1856)藩主・堀田正睦の時代に
この地に移り「成徳書院」となった。現在の佐倉高校の前身である。

続いて佐倉の城下町を巡ります。

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by enokama | 2015-06-12 20:38 | 幕府東国諸藩 | Comments(0)
今回の「蘭学を訪ねる旅」
昨年末に行った佐倉についての連載をしばらくしたいと思います。
北山の総合資料館で「贈呈」らしい、佐倉藩と順天堂に関するいい図録資料が見つかって
ネットで探しまくって、やっと手に入れることができたので
主にそちらを参照しながら紹介したいと思います!

佐倉への関西からの行き方は、色々と考えて品川で新幹線で降り(東京駅だとかなり地下に下りない
とだめなようなので)総武快速線で船橋まで、京成本線に乗り換えて京成佐倉まで行きました。
佐倉はJRと京成の二つ駅があるけど、台地上の城下町は京成の方が回りやすいのです。
佐倉の手前ぐらいから、さすがにのどかな雰囲気になってきて、人口は18万ぐらい(伊丹と同じぐらい)だけど市街地が一極集中ってわけでなく、分散している(佐倉駅も二つあるし)ので京成佐倉からの街並みは5万人ぐらいの都市の感じでありました。

駅近くでレンタサイクルを借りて出発!


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by enokama | 2015-06-06 20:30 | 幕府東国諸藩 | Comments(0)
まず少し「花燃ゆ」の先週の感想で
結局は塾で学んできて、行きついた先が「暗殺」になるんか・・・って事と
塾生に詳しい方だったら、ある程度のそれぞれの個性ってのはわかるだろうし
稔麿が役柄で目立っているのは「こんな感じかも」とも思うけど、他の何人もいる塾生の区別(?)は
一般の方には「よくわからん」のと違うかな。
結局、松陰の行動を例によって「家族が引き留めようとし」主人公に無理無理絡めるし。
井伊大老も、もうすでにいきり立っていて「一網打尽」ってキャラで高橋英樹が演じているけど
背景もわからないよね。
なんだかドラマとして何もかも、中途半端になっているような気がする。


その松陰ら一般的に「尊攘派」と言われる勢力が激怒した「日米修好通商条約の調印」に関して
NHKBS「英雄たちの選択~井伊直弼」で新たに僕も知った事項がありました。

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by enokama | 2015-04-12 00:54 | 幕府東国諸藩 | Comments(0)
幕末の船絡みの記事が増えてきたので、まとめてみました。
今回は幕府編ですが、諸藩編もまとめ中です。。。
原史料自体が怪しいものもあるので(数字あたり)
また随時、追記訂正して行きますので
情報等いただけたらうれしいです!


(嘉永六年(1853)九月 「大船建造禁止令」廃止以降)
        
鳳凰丸(帆船) →記事 その1その2その3その4その5その6
 嘉永七(1856)五月・浦賀奉行所 
 慶応2年に石川島造船所で大修理 明治元年九月、仙台藩貸与時に榎本艦隊に合流

昌平丸(帆船)
 安政元(1856)十二月・薩摩藩が「昇平丸」として建造 安政二年七月、幕府へ献納し「昌平丸」と改名
 初めて日本国旗として「日の丸」を掲げたとされる
 
旭日丸(帆船)→記事はこちら
 安政三(1856)水戸藩・石川島造船所(石川島播磨重工の前身)幕府へ献納 
 慶応二年、第二次征長(芸州口)輸送船 

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by enokama | 2015-03-08 21:31 | 幕府東国諸藩 | Comments(0)