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エノカマの旅の途中

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  • 四境戦争・奇兵隊激戦の地~小倉・赤坂
    [ 2012-05-23 23:04 ]
  • 萩・松陰神社~2012初春
    [ 2012-01-09 23:12 ]
  • 赤間神宮と長府~2012初春
    [ 2012-01-08 23:11 ]
  • 改めて新年のご挨拶と山田顕義ドラマの感想
    [ 2012-01-05 22:08 ]
  • 長府からあけおめ
    [ 2012-01-04 12:17 ]
  • 長府藩士三吉慎蔵龍馬非護衛説について
    [ 2011-07-21 23:23 ]
  • 長州に古川薫先生がいてよかった。。。
    [ 2011-06-03 23:23 ]
  • 生野銀山~山田顕義終焉の地と高杉ヒストリア
    [ 2011-04-15 23:18 ]
  • 山縣有朋と庭
    [ 2011-04-03 23:03 ]
  • 京都大学にある長州志士の遺墨
    [ 2011-03-09 23:31 ]

semスキン用のアイコン01四境戦争・奇兵隊激戦の地~小倉・赤坂semスキン用のアイコン02

  

2012年 05月 23日

天神に戻り高速バスで小倉まで、時間的には1時間30分ほどで着くはずなんですが
2時間ほどかかってしまって、もう着いたら18時前で
(3系統の小倉行きがある中で一番、時間のかかる便の<いとうづ号>に乗ってしまった)
JR門司駅のフェリー連絡バスが19時発でもあって、慌ただしく門司(大里)周辺を回りました。
しかし小倉(砂津)から門司方面のバスが思ってた以上に本数があって、すぐに乗れたので助かりました!

今回はフェリーってことでいつもの下関側からじゃなく、関門海峡の門司側も探索してみようと思って
ネットでくぐってたら、第二次征長(四境戦争)の激戦地でもあった赤坂(旧小倉市域。延命寺とも言われる)
に長州藩・奇兵隊ゆかりの場所があるってことで行ってみました。


赤印が赤坂、青印が大里(彦島・弟子待にも砲台があった)

もっと見る>>

by enokama | 2012-05-23 23:04 | 長州藩 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01萩・松陰神社~2012初春semスキン用のアイコン02

  

2012年 01月 09日

萩の松陰神社です。

ツアーなので残念ながら、萩はここと窯元の見学のみ(萩は焼物の町でもあります)
後方の大きな絵馬(?)は松陰先生と山田顕義です!

もっと見る>>

by enokama | 2012-01-09 23:12 | 長州藩 | Trackback | Comments(4)

semスキン用のアイコン01赤間神宮と長府~2012初春semスキン用のアイコン02

  

2012年 01月 08日

やっと落ち着いてきたので、ボチボチとブログを再開して行きます!

正月はうまい具合に下関~萩の仕事となって、画像も撮ってきました。。。
ツアーの企画としては、今年の大河ドラマってこともあるようで
宮島・厳島神社から入って、長府のマリンホテル宿泊。
二日目は長府から萩~津和野と行ってまいりました(この日はちょっと強行軍ですけどね)


過去記事→その1その2

赤間神宮と長府・功山寺>>

by enokama | 2012-01-08 23:11 | 長州藩 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01改めて新年のご挨拶と山田顕義ドラマの感想semスキン用のアイコン02

  

2012年 01月 05日

もう五日になってしまいましたが
改めて、あけましておめでとうございます!

元旦は出雲大社、二日は伊勢神宮、三日は宮島・厳島神社
四日は赤間神宮と萩・松陰神社と飛び回ってきましたが
事故とか雪で難儀することなく、無事に帰ってくることができました。。。

また山口では写真や収穫もありましたので、おいおい紹介していきます!


てな訳で頂いた年賀状の返事やメール返信もまだできておりません。
まだちょっと仕事の後処理と疲れも残ってるので、3連休中には返事させていただきますので
もうしばらくお待ちくださいませ!


それと先ほど撮っておいた「山田顕義物語」を見ましたので、少しだけ感想を

毎日放送制作(大阪)なので、関西でも新聞を中心に「提供・日本大学」ってことで
あちらこちらで広告が出ていました(萩でも、もちろんありましたよ)
それにしても学生って8万人もいるのか、スゲェー・・・

まあ最後に「一部の資料を引用したフィクション作品」ってはっきり謳ってましたんで
史実とは違う云々って言うより、物語として見たら、まあまあの出来だったと思います。
この尺では戊辰戦争あたりの活躍はとても無理でしょうけど
学校がスポンサーってことで、松陰先生との触れあいを通しての「教育論」に絞った内容は
中途半端で雑多な詰め込んだような話よりは見やすかったと思います。
(前半の「江戸、江戸」ってところは、少しくどい感じはしましたけど)

でもまた「人はみな平等」って語らせる高杉晋作はちょっとな・・・
登場のくだりからの話はよかったのに、このセリフが一番いいシーンで出た時は
またげんなりしてしましました(泣)
こんな内容が続いたら、世間の見る晋作像がまた現実とかけ離れて行くんでしょうね。
そこで誤った晋作像で「好きだ」って語られたりされそうなのが、ちょっと怖いんです。。。
やっぱり、しっかりとした「長州ドラマ」ってのが見てみたいですよね。

伊藤もちょっと違う気はするけど、あの役割を前原一誠あたりにしても
やはり絵にならないのでしょうね。


それでは今年もよろしくお願いします!

by enokama | 2012-01-05 22:08 | 長州藩 | Trackback | Comments(6)

semスキン用のアイコン01長府からあけおめsemスキン用のアイコン02

  

2012年 01月 04日


仕事で下関にきています!
今年もよろしくお願いします。

by enokama | 2012-01-04 12:17 | 長州藩 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01長府藩士三吉慎蔵龍馬非護衛説についてsemスキン用のアイコン02

  

2011年 07月 21日

歴史作家の桐野作人さんのブログ(7月17日付)の記事に載ってたんですが
下関市立長府博物館(館長になられた)古城春樹さんが、表題の「三吉慎蔵は坂本龍馬の非護衛説」に
ついての論考をこのほど書かれたそうです。
もちろん「護衛」って言うのは、司馬御大の作った設定であって
平尾道雄さんを始めとする、坂本龍馬の従前の研究資料では僕も見たことがありません・・・

まあ、平尾さんが書いた時点でもって、おそらく「誤っただろう解釈」で
龍馬の姉・栄の自決の件や「船中八策」が既成事実のようになって、その話の広がった解釈で
「五箇条のご誓文」になった話などは流布しすぎてしまって、今更直せないのかもしれません。
この三吉君の護衛説も「龍馬話」では、まず100%違った解釈がありません(→関連記事

中岡慎太郎(石川名義)から三吉慎蔵あての手紙について(→こちら)は以前に書きましたが
慎太郎が慎蔵に書いた「長府藩の行く道」についての時勢論などは
「護衛」としてだけで、京都に赴いた訳でなく「藩命を受けた京師探索」を果たしたからこそ
理解され、書かれたものであった証拠だと思います。
(余談だが「薩長同盟」が成ってからの慎太郎の上洛は、龍馬の寺田屋での負傷が原因ではなかろうか。
負傷治療で龍馬は静養を余儀なくされるが、その間に刻々と動く流れ「第二次征長」に対して
長州から薩摩への働きかけについては、やはり従来からの長州人の微妙なしこりもあって
緩衝的存在で具体的な「薩長同盟の遂行」の役目は慎太郎が適任であり、薩摩人とのすり合わせ・
龍馬からの引き継ぎが主目的であったのではないだろうか。そして事実、薩摩の長州への援軍の話や
龍馬の社中の海軍としての参加は、慎太郎の動きなしではありえなかった)

三吉君が龍馬らの手紙をしっかり保管していたことで、意外とわからない「龍馬が何をしたか」
ってことを知る手ががりが、長府にはあるのです。
あと僕は最近、萩本藩と長府・岩国等の支藩の関係ってのが少し気になってまして
ひとくくりに「長州」で区切った考えでは、捉えられない部分があるかなとも思っています。
(そのあたりは結構、古川薫さんが書いてるんですけどね)
また図書館での調べも含めて、長府に行きたいもんです!


関連書籍
「龍馬とお龍の下関」(→こちら
古城さんの書かれた本で「龍馬と下関」について、わかりやすくまとめてあります。
長府博物館所蔵のお宝写真と、古川薫さんの序文も素晴らしいです!



by enokama | 2011-07-21 23:23 | 長州藩 | Trackback | Comments(2)

semスキン用のアイコン01長州に古川薫先生がいてよかった。。。semスキン用のアイコン02

  

2011年 06月 03日

昨日は家で用事があって休みを取ってたんだけど
昼、少し時間があったので国会中継を見ていた。
まあ、こんな時期に時間取って対立するのもおかしいよね。。。
一番のアホは前の総理大臣だけど、自分で投げ出しておいて何を今更仕切ろうとしているの。
何のポストについても、何にもできなかったくせに、文句だけ一人前の某知事の息子やら
ダムも外交も、かき回すだけで逃げ出した元大臣・・・
何でこいつらが、実力者顔するんだろうね。

ちゃんと復興も産業の立て直しも計画してもらえないと
それに被災地回って「しっかり補償します」って言っても、東電の補償についても
回りまわって税金になるんでしょう。
先が見えて明るい兆しがあるのなら、しっかりと税金払いますよ。。。
どうにかしてくれよ!


古川薫さんの本 その2>>

by enokama | 2011-06-03 23:23 | 長州藩 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01生野銀山~山田顕義終焉の地と高杉ヒストリアsemスキン用のアイコン02

  

2011年 04月 15日

4月13日は中岡慎太郎の誕生日でした!
生まれた天保9年(1838)は老中首座が水野忠邦の時代で
前年には大塩平八郎の乱があり、幕府を震撼させた年でしたが
引き続き改革の手始めとばかりに、次々と政策を実行していたころで(妖怪鳥居もいた)
まだ阿部正弘は20代前半の青年奉行でありました。。。
この庄屋の跡継ぎに生まれた待望の男児が、幕末の騒乱に飛び込む運命になるとは
そのころの老父・小伝次さんにも想像できなかったでしょうね!
北川村では生誕祭があったようです→北川村観光協会のブログ
私も次の日曜日に新装なった岩倉具視幽棲宅に行って、霊山に墓参する予定です。


一方、14日は高杉晋作の命日で東行忌が行われました(→こちら
山縣有朋の子孫の方、そして今年は野村望東尼の顕彰会の方が来られていたんですね。
平尾(→ここここ)も三田尻(→ここここ)も、迷いながら行った僕ですが
それぞれにあったんですね…
まあ晋作と望東尼の関係がどうも・・・(色恋?)な所が気になるとは、仲間内でも言うんですが
もうちょっと違う解釈もできないのかなとも、集めた資料も読みながら小一時間。。。

そして「ヒストリア」も高杉の特集でした。
萩城のCGと戦闘のシーンは気合が入ってたし、それぞれの役者さんも様になってましたよね!
まあ内容は西郷さんや木戸さんの回の感想でも書いたけど、やっぱり時間が足らないよね。
剣術修行でコテンパンにやられた日の日記が真っ白だったり、周布さんの長州候から拝領した
刀の話(家紋削ったんだ)は知らなかったんでよかったです。
稔麿の他の人物評ってのも知りたいな・・・
でも高杉だけがやんちゃではなくって、はみ出したような連中ばっかりだから
(松陰先生にしろ周布さんにしろ)ある意味長州は、すごすぎるんですよね!
その中で確かに山縣は異質よね。
もちろん功山寺のことが出てたけど、萩の俗論派との妥協の動きは赤祢武人の方針だと思う。
山縣はこの話を聞いて、赤祢の態度を誹謗した(明治になってからの回顧録)ことになってるらしい。
まあ長く生きてればどうにだって言えるし、そのあたりの信偽のほどを探るのが肝心なんでしょうけどね…
一坂太郎さんもテレビで久しぶりに見たような気がする。
長府博物館の古城さんも出てました。。。
それにしてもあそこは本当にお宝がまだまだあるんですね。
番組全体としては楽しく見られました!

生野終焉地と墓所>>

by enokama | 2011-04-15 23:18 | 長州藩 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01山縣有朋と庭semスキン用のアイコン02

  

2011年 04月 03日

僕もこうして、歴史ブログをやりだしてから(最初はそんな意図はなかったんだけど…)
いろんな方と知り合いになって、それぞれが好きな人物について語ってもらうことで
段々と奥深く幅広い目で、江戸時代~幕末~明治政府が見られるようになってきたんですが
なんやかんや言って「結局は長州が一番面白い!」んですよね。

代表的な松陰先生にしたって、いわゆる「先生・師」の教えって堅いもんだけど
その人物がたいがい無茶だし、門下生も…だし。
まあ、それで維新の原動力につなってしまうのもすごいけど
結構みんな陽性って感じで、仲間内で飲みに行ったりしても「木戸さん」「聞多・俊輔」の
ネタが一番盛り上がるんですよね(笑)

そんな中でちょっと異質なのが、この山縣狂介こと有朋。
村田蔵六こと大村益次郎のファンはまれにいても、まず「山縣びいき」は聞いたことがない。
「狂」って自ら好んでつけた名前だったようだけど、実際はそんな弾け方はしていないし
ほんとに松陰先生の(最後の)弟子だったの?
高杉の挙兵に反対した赤祢武人を真っ先に罵倒した(と自伝にある)けど、なかなか動かなかったやん?
「北越戦争」「西南戦争」では正直、苦戦で結局は黒田清隆の戦略の方が上だったよね?
「凡人」であるけど、その現実は勝者の側に常にあって
あの大西郷もなぜか守ってくれて、明治の代表的な軍人であり権力者となった。。。

最近は山縣、伊藤博文、桂太郎あたりの研究書が結構出されていて
彼らのことを「戦前の軍国主義」の基となったという、多くの誤った歴史認識から
しっかりと足取りを調べた研究家がおられることにうれしく思います!
また彼の思いや考えについては、それらの本を読ませていただいてからにします。。。
今日は手始めに「山縣と言えば庭」の話から!

作庭趣味>>

by enokama | 2011-04-03 23:03 | 長州藩 | Trackback | Comments(4)

semスキン用のアイコン01京都大学にある長州志士の遺墨semスキン用のアイコン02

  

2011年 03月 09日

「中岡慎太郎全集」(宮地佐一郎編)と言う、慎太郎の日記や手紙を完全網羅し
現存する手紙はほぼ複写し、各研究者の論文が入った資料集があります。
以前にも少し触れましたが、もう絶版状態であって、中古の値段も跳ね上がっている貴重本で
僕はもっぱら、大きい図書館で必要部分をコピーして、持っているのですが

その中でいくつか「京都大学附属図書館所蔵」の資料があって
どんな状態で保管されているんだろうと調べてたら
こんなデータベースが出てきました→こちら

もっと見る>>

by enokama | 2011-03-09 23:31 | 長州藩 | Trackback | Comments(0)