エノカマの旅の途中

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カテゴリ:中岡慎太郎関連( 98 )

大きい台風がやってきましたが
ニュースでもあったように、高知県あたりでゆっくり動いていたので
馬路村では1日に800ミリと言う驚異的な雨量を記録しました。

中岡慎太郎の故郷・北川村も、昔から山がそのまま奈半利川に落ち込むような地形ゆえに
災害との繰り返しだったんですが、今回は
北川村温泉付近より上流の道が完全に流されてしまったそうです。

けが人等はなかったと言うことで何よりですが
上流から馬路方面に抜ける道は当分、通れないかもしれませんね。。。

ちなみに度重なる水害等で田畑が再三、被害にあったこともきっかけで
大庄屋だった慎太郎は、領民に柚子の栽培を奨め
今の名産品につながったと言います。

1日も早い復興をお祈りしております!
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by enokama | 2011-07-20 23:52 | 中岡慎太郎関連 | Comments(0)
大宰府に帰還後、しばらく孝明帝の喪中でもあって
慎太郎は本来の「五卿付き」の任務も講義受講や読書、三条実美らとの話し相手と
穏やかな日々を過ごし、英気を養っていた。
日記中で変わったところでは、2月2日に新選組・伊東甲子太郎が訪れたことが記されている→こちら。
また2月には坂本龍馬とともに、いわゆる君主の慈悲による「超法規的措置」として脱藩罪を許され
時勢の移り変わりにつき、必要な人材として両人に接触するようになった容堂の側近らの
とりなしも大いにあっただろう。

19日には大宰府にほど近い、二日市温泉・湯町堺屋に投宿。
しばらくの間、湯治滞在する
20日の記述には「入湯六度」とあり、これだけ入っているとフヤケテしまわないのだろうか(笑)

慎太郎の薩摩行き>>
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by enokama | 2011-06-30 23:33 | 中岡慎太郎関連 | Comments(0)
慶応2年(1866)「四境戦争」の終わったころ
中岡慎太郎は西郷従道とともに、約半年ぶりに(「薩長同盟」の後を見届けて以来)上洛する。
京師の状況視察のためで、薩摩二本松藩邸を根城とし
7月に将軍家茂の急死を受けて徳川家督を相続し、幕政をリードし
12月には、正式に十五代将軍となった慶喜の動き。
そして蟄居中に倒幕派に転向した、岩倉具視の下での朝廷の倒幕勢力の動き。

そんな中、行行筆記という11月16日からの慎太郎日記には
伊地知、小松、西郷、吉井と言った薩摩要人との会談の様子が再三にわたって書かれている。
そこには土佐の意外な人物との接触もあった。。。

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by enokama | 2011-06-29 23:55 | 中岡慎太郎関連 | Comments(0)
中岡慎太郎年表→こちら

慶応元年正月、中岡慎太郎は諸隊の陣中にいた。
「五卿動座」と「征長軍解兵」慎太郎が大きく関わった、交換条件の伴う二つの問題が片付くのを
見計らった高杉晋作は、俗論派政権打倒のため前年12月15日、わずかな兵を率い決起。
年が明けて、諸隊を始めとして同調者も増え、決戦の時が迫っていた。
そして1月7日「太田絵堂の戦い」を皮切りに、優性に戦いを進め
やがて長州藩は「正義派政権」となって「武備恭順」の方針が定められる。

10日に慎太郎は高杉と奇兵隊総督・山縣狂介に下関で会い
互いの健闘をたたえあい、今後の進むべき途を論じた。
慎太郎は14日に決まった「五卿動座」に従い関門海峡を渡海、拠点を大宰府・延寿王院に移すも
「薩長融和」に向け、京都への再三の超人的な往復移動を伴う激動の1年を過ごすこととなる。

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by enokama | 2011-06-22 01:33 | 中岡慎太郎関連 | Comments(2)
中岡慎太郎年表→こちら

禁門の変で負傷しながらも、中岡慎太郎は八月初頭には三田尻に帰還している。
そして長州に集まる浪士を中心とした忠勇隊は、隊長・真木和泉を天王山で失い
再編成を行って、慎太郎は幹部の一人に任命されている。

八月四日、野山獄から出され親類預かりとなっていた謹慎中の高杉晋作の下に
藩からの使者がきた。
前年の長州藩「攘夷決行」での外国船に対する砲撃に対する、四か国艦隊の報復攻撃が起こり
各砲台は壊滅的な被害を受けて「止戦講和」が必至となっていたのだ。
その講和の使者として高杉に白羽の矢が立ち「英国の密航留学」(→こちら)から急遽帰国した
井上聞多・伊藤俊輔を通弁に従え、講和の場に向かった。。。
家老の養子・宍戸刑馬を名乗った高杉は、外国船の海峡での安全通航の保障を認め
外国、特に英国との接近のきっかけを作った。
一方、賠償の件に関しては「幕府の攘夷実行命令」を盾に一切を被せた。
また下関の彦島割譲を求められた要求に関しては断固として断ったと伝わる。

元来「攘夷」を叫びつつも高杉は長崎・上海滞在にて、すでにその西洋文明に触れていて
その行為が無謀だと悟ったこの機会に、その生の海外体験を持った井上・伊藤の言葉も入れ
きっぱり「攘夷論」を捨て去っていた。

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by enokama | 2011-06-19 23:00 | 中岡慎太郎関連 | Comments(0)
中岡慎太郎年表→こちら

元治元年は、長州及び長州を頼った尊攘派にとっては最悪の年であり
「池田屋事件」引き続く「禁門の変」によって、多くの有為な人材が命を落とした。

この年、前年に脱藩し「七卿」の下に身をよせるようになった慎太郎は
新年早々「形勢挽回」を図る尊攘派の一人として、京都に上り
長州藩邸を根城として、行動を起こす。

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by enokama | 2011-06-17 23:44 | 中岡慎太郎関連 | Comments(2)
今回、霊山土曜トークのテーマは「幕末・維新の乙訓をゆく」で
向日市文化資料館の玉城玲子さんの講演でした。

去年は幕末イベントが多かったので、大山崎や高槻の各資料館と共同で展示もされてましたが
イメージ的にこのあたりは、戦国とか長岡京とかもっと遡った時代のイメージですよね。
その中で幕末の事も調べられたら、いろいろ出てきたってことで
今回は僕的に意外な収穫もありました。。。

暗殺された曲直瀬道策>>
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by enokama | 2011-06-07 23:30 | 中岡慎太郎関連 | Comments(0)

中岡慎太郎年表とまとめ

(2017年4月10日 更新)

中岡慎太郎記事がかなり増えてきて、自分でも検索が大変になってきましたので
年表・時系列で記事を当てはめてみました。
順次、更新して行きます!
(記事をクリックすると詳細記事が出ます)


★1838  天保9(1歳)  
北川郷大庄屋・父中岡小伝次、母ウシの長男として
土佐国安芸郡北川郷柏木村(高知県安芸郡北川村柏木)で誕生(幼名)福太郎  →記事記事2

★1840 天保11(3歳)  
名前を「光次」(みつじ。こうじと読んだ可能性も)と改める

★1841  天保12 (4歳) 
柏木村の松林寺住職・禅定和尚から読書を学ぶ  

★1844  弘化元(7歳)  
安芸郡野友村の漢方医島村策吾に四書を学ぶ →記事記事2

★1853 嘉永6(16歳)
間崎哲馬(滄浪)に入門 →記事 

★1855  安政2(18歳)  
田野学館にて武市半平太に剣術を学ぶ →記事

★1858  安政5 (21歳)  
北川郷大庄屋見習いとして、父に代わり村政を司る →記事

★1860  万延元 (23歳) 
野友村庄屋利岡彦次郎の娘、兼と結婚

★1861  文久元 (24歳) 
8月 土佐勤王党結成。慎太郎も加盟する
11月26日 北川竹次郎に北川郷総老職を継ぐよう説得する手紙を出す →記事

★1862  文久2 (25歳)
10月15日 五十人組結成。江戸へ行く(11月16日着) →記事
12月11日 長州藩士・山県半蔵と久坂玄瑞とともに、水戸・松代へ遊学に出る →記事記事2 

★1863  文久3(26歳)
2月 光次、「慎太郎」と改める
9月5日 脱藩。長州へ向かう(9月19日、三田尻到着) →記事記事2記事3記事4記事5
12月25日 三田尻招賢閣にて会議員となる →記事

★1864  元治元 (27歳)
1月 上洛。長州藩邸に起居し、高杉晋作と島津久光暗殺を計画する  →記事
3月ごろ 中沼了三塾に入門する  →記事 
7月19日 禁門の変に参戦。負傷するも長州に帰還  →記事記事2記事3記事4
9月5日 奈半利河原で「二十三士」処刑される →記事記事2
11月 時山直八と因州探索 →記事
12月4日 「寺石貫夫」の変名で西郷吉之助(隆盛)と小倉で初めて会う
 五卿動座→薩長同盟画策の始まり →記事記事2記事3(合わせて、福岡藩のカテゴリもご覧ください)  

★1865 慶応元(28歳)
1月30日 赤間宿滞在の三条実美から土方久元とともに上京を命じられる →記事
2月8日 白石正一郎宅で「薩長提携」に向けた長府藩士らとの会合 →記事記事2記事3
2月13日 京都入り。薩摩藩邸に滞在 →記事
2月17日 長州藩「武備恭順」の方針となる →記事
3 月3日 薩摩藩蒸気船にて、太宰府へ帰着
4月27日 大宰府を発ち京都へ(5月15日着)
5月24日 京都を発ち鹿児島へ(閏5月6日、鹿児島着) →記事
閏5月21日 下関で桂小五郎、坂本龍馬に西郷の不参を報告 →記事
29日 下関を出港し、龍馬とともに京都へ(6月18日着)
8月5日 山口にて「下関開港問題」に苦悩する桂小五郎を励ます。自身も「開国論」に傾く →記事記事2
10月23日 五卿の使者として「勤王党弾圧」の風聞があった福岡藩に赴く →記事
11月22日 五卿応接掛に任命される
この年の冬ごろ「時勢論」を執筆  →記事

★1866 慶応2(29歳)
1月 大宰府にて年始を迎える(五卿付きの変名・大山彦太郎)  →記事
1月21日 薩長同盟を結ぶ(京都の小松帯刀別邸(推測)にて、龍馬が立ち会う) →記事1記事2
2月10日 三田尻を出帆し京都へ(中旬頃に着)
3月 馬関上陸。長府藩士・三吉慎蔵と交流を深める →こちら
6月 四境戦争に備えた「桜島丸条約」に基づく、桜島丸の長州回航を木戸貫治から依頼される →記事
8月1日 小倉城炎上。長州藩、四境戦争に勝利 →記事1記事2
10月26日 「竊に知己に示すの論」(大政奉還論を主張)を執筆し、京都にいる同志に示す →記事
11月 「愚論竊かに知己の人に示す」(土佐同志に兵制改革を説く)を京都で執筆 →記事
11月24日 義兄・北川武平次上洛。大坂屋与兵衛スタジオにて写真撮影  →記事記事2 

★1867 慶応3(30歳)
1月 下関で高杉晋作、坂本龍馬と会談。大宰府に着府 →記事
2月 二日市温泉・湯町堺屋で湯治 →記事
このころ、坂本龍馬とともに脱藩罪を解かれる
3月9日 鹿児島で島津久光に謁見し、五卿への伝言を受ける →記事記事2
4月5日 京都に入る。暗殺まで京都周辺に留まり「倒幕勢力の結集」に尽力する →記事 
4月21日 岩倉具視に初めて会う →記事記事2
5月21日 薩土討幕の密約を交わす(慎太郎が乾退助を西郷に引き合わせる) →記事記事2
6月22日 薩土盟約締結(慎太郎と龍馬が立ち会う) →記事記事2
25日 龍馬を連れて岩倉具視を訪問し、密談
7月27日 陸援隊結成(本部は京都白川の土佐藩邸。隊長として「横山勘蔵」の変名を使う) →記事1記事2記事3
8月 時勢論(Ⅱ)を著す
9月22日 「兵談」を執筆し大石弥太郎に送る →記事
10月15日 徳川将軍・慶喜、大政奉還 →記事1記事2 記事3
10月18日 薩摩屋敷で岩倉、吉井、伊地知と会談 →記事
11月15日 京都近江屋で坂本龍馬と会談中、刺客に襲われる →記事記事2 
17日 慎太郎死去。霊山墓地(現京都霊山護国神社)に葬られる  →記事
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by enokama | 2011-05-10 21:50 | 中岡慎太郎関連 | Comments(0)
今年も恒例の「中岡慎太郎誕生日オフ」として、イベントを開催します。。。
関西の「中岡慎太郎郎先生顕彰会」メンバーの方には、メール連絡にて詳細をご案内させていただこうと
思っていたんですが、去年のパソコン更新時に一部、アドレスが消えてしまいまして
こちらでの連絡に変えさせていただきます。
ご了承ください・・・

京阪出町柳駅10:00集合++(叡電・260円)++岩倉駅10:30・・・
岩倉具視幽棲旧宅(10:45~11:10)@300・・・岩倉実相院(11:00~11:30)@500
==(京都バス・170円)==国際会館駅+++(地下鉄烏丸線)+++今出川駅12:00ごろ 
(どこかで食事。人数によって考えます~12:40)・・・
同志社・薩摩藩邸跡・・・京都御所を散策(近衛邸跡・猿ヶ辻・蛤御門・鷹司邸跡・堺町御門など)
・・・中沼塾跡(中岡慎太郎・桐野利秋・松田重助らが学んだ)・・・梅田雲浜寓居跡・・・
地下鉄烏丸御池駅15:00ごろ解散。
(この後、行かれる方は霊山で慎太郎の墓参)

所縁の深い岩倉、御所での禁門の変の足跡、慎太郎の学んだ場所を巡ります
(資料代@100頂きます)
途中参加・離団も考慮いたしますので
お気軽にお問い合わせください!

ちなみに今回は「岩倉具視幽棲旧宅」の修復工事完成(3月末終了予定)もあり企画しましたが
現地に電話をしたところ、工事が遅れ気味だそうで
4月の早めに上げたいが、連休前にずれ込むかもと、ちょっと期日がはっきりしませんでした。
ですので、万が一工事が終了していなければ、代替案も検討します
(この場合は、御所北部の史跡めぐり)
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by enokama | 2011-03-10 23:48 | 中岡慎太郎関連 | Comments(0)
先週土曜日は、今年最後の霊山歴史館の行事に参加&忘年会に行ってきました!
昼間は木村武仁さんの案内で、京都の高瀬川・河原町周辺の幕末散策。
まあ僕も素人案内で、上洛してきた方とよく歩いたりするんで
おなじみの場所でもあるんですが、やっぱり専門の先生の案内は全然違います。。。
2時間しっかり回ってきまして、とても勉強になりました!
夜は京都で11時過ぎまで、飲んでいました(笑)

歴史館の情報としましては、新年明けてしばらく休館になる時期があるのと
2月の土曜トークが「天王山ウォーク」となります。
僕が記事に上げたばかりなんで、思わず笑ってしまいましたけど
また,行かれる方は、参照していただければと思います!
時間はそんなにかからないけど一応、登山なので靴はしっかりしたのを履いてくださいね。

それともう一つ情報で、京都を歩いててチラシが貼ってあって知ったんですが
■公開講演会(→詳しく
「島津家と近衛家―京都から薩摩への文化伝承―」
講演者 田村省三氏  尚古集成館館長
日 時
12月11日(土)14:00~15:30
会 場
同志社大学・クラーク記念館2階 クラーク・チャペル

同志社大学の敷地は、幕末期に薩摩二本松藩邸の場所でした。
その所縁の講演会と展示があります!
なかなか面白そうです。。。

それではここから本題で、今回のウォークでも取り上げていただいた中岡慎太郎の
(コアなファンの一人です 笑)薩長同盟のころについてのお話。

もっと見る>>
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by enokama | 2010-12-06 23:45 | 中岡慎太郎関連 | Comments(0)