エノカマの旅の途中

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カテゴリ:中岡慎太郎関連( 98 )

FACEBOOKとmixiではすでに書いたのですが
こちらでも紹介しておきます!

長府博物館のHP
「長府藩士と龍馬・慎太郎のキセキ」

なんと夢のような題じゃないですか(嬉)
さすが慎太郎もよく研究されている長府のみなさんです。
今年も北川村の方々が下関に行かれたんですが「長州人は慎太郎によって救われた」と
最大限の賛辞を贈られたそうです。

萩本藩と長府藩の対立ってのもあったんですが(少し前にも触れましたが。まあ岩国ともあんま仲良く
なかったし)
その調停にも当ったと言う隠れた慎太郎の実績もありました。

今年10月20日からとなります。
おそらく仲間内で行くと思うんで(いろいろ行事があるようんで、早めに宿を押さえないとだめかも)
また行かれる方、お気軽に(早めに)ご連絡くださいね!


また長府の平四郎さんが長府藩についての本を出版されました→こちら
剣豪でも知られた長府藩士・野々村勘九郎(泉十郎)を中心に、僕もずっと知りたかった事柄もあって
なかなか興味深い内容です!
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by enokama | 2012-07-02 23:37 | 中岡慎太郎関連 | Comments(0)
前の記事にコメントもいただいたんで
もう少し、今回の番組のことを書きます。

とりあえず、うざい奴を消して編集したら30分ほどになりました。
この内容なら、ちょっとした村の行事でも慎太郎のことを伝える
記録映画的な作品として流すにも、ちょうどいいんじゃないでしょうか。。。
改めて見ても、ロケを交えた凝った作りで脱藩のあたりのことも詳しくて
尾崎雅洋さんも学芸員の豊田さんも、しっかりと現地取材のスタッフの方には田野学館等のロケ地や
ポイントもしっかり伝えられたようで、防府や長府の方にも協力していただいてるし
申し分ない出来だなと、改めて見直して思いました!

そして東京に持ち帰った。
そこでは民放だし、一つの番組にするとなると、商業主義的な部分がどうしても見え隠れしてくるんですよね。
この仕上げが最悪だった。。。

もっと見る>>
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by enokama | 2012-05-14 23:53 | 中岡慎太郎関連 | Comments(0)
オープニングから凝ってましたね!
「中岡慎太郎」のあの字は、慎太郎本人の自筆です。

村の方の座談会のシーンが所々流されていました。
神童だし、桐間蔵人に訴えた話はやはり語り継がれるんでしょう。
生家と向学の道でロケをされていて「歩け歩け」の雰囲気はしっかり出ていました。
田野学館と三田尻英雲荘も取り上げられていました。
脱藩の経緯もしっかり時間を取ってくれてたし(兼さんの歌は初めて知りました)
前半のくだりは今までの番組と比べても、とても素晴らしかったと思います。

でも久光の暗殺計画を言うなら「高杉晋作と一緒に練っていた」ってのも言いたいし
開国論に変わったのも、高杉の影響が一番大きいんです。
「変節」ってのも横井小楠あたりにもあることだし、どんどん変えていくことで広がることもあります。
徒目付の件は吉村虎太郎あたりに批判されているんですけど、どれぐらい容堂が慎太郎を買っていた
(知っていた)のかは疑問符もあるようです。松代の象山を訪ねるのも、藩命ではなかったとも言われてます。

西郷さんのところでは「長州は敵ではない。門を攻撃したから討ったのだ」との情報を持って対面しています。
豊田さんも言ってましたが、戦に敗れながらも、次の模索をしていたことはすごいことですね。
三条と岩倉の提携については、両人の信頼が篤かったことで、慎太郎しかできなかったことだと言っても
過言ではないです。

まあ、坂本龍馬のナンバー2ってのは、番組の趣旨からも我慢して
(慎太郎を取り上げても、直接の関係ってほとんどないし。別に龍馬の指図受けた覚えないし)
後、この解説者だから覚悟はしていたけど、最後のまとめが乱暴すぎたので(苦笑)
この下は隠します・・・

他に受ける解説者はいないのか?>>
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by enokama | 2012-05-10 23:15 | 中岡慎太郎関連 | Comments(6)
北川村観光協会さんのブログで取材状況が触れられています→こちら

放送は5月3日予定と書かれていますが、今週は片倉小十郎となっています。
くぐって調べていましたら、5月10日の放送で解説は残念ながら加地将一のようです(本人のツイッターより)

今までもこの人物については何度も書いてきましたが
「龍馬暗殺犯は中岡慎太郎」と唱えてきて、盛んに主張している人物です。
最近ではこの番組の「岩倉具視」の回でも言っていました!

僕もかなり慎太郎の人となりを、真剣に調べてきてこのブログでも取り上げてきたし
専門の先生にもいろいろお聞きしてきましたが、こんな説はあり得ないし
史学的にもまったく信用ならないものです。
(最近出た本でしたら磯田道史氏の「龍馬史」で、しっかりととらえられているのでおススメです)

内容的には北川にも取材されていますし、ぜひご覧いただきたいのですが
この解説者のせいで、誤った解釈を視聴者がされる可能性がありますので
あらかじめ予防線を張りたいと思います。

よろしければ、この下のフェイスブック・ツイッター・ミクシィのタグをクリックしていただいて
この情報を拡散いただけますでしょうか。
皆様のご協力をお願いします!

(参考記事→中岡慎太郎年表
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by enokama | 2012-05-01 19:18 | 中岡慎太郎関連 | Comments(0)
今年も慎太郎の誕生日がやってきました。
ここ数年、何かのイベントはやってたんですが
3月が忙しすぎて考える間がなかったのと、桜が遅いんで今週は旅行の仕事に入りますので
今年は、なしです(誰かは企画してるのかな?)

北川村では本日、生誕祭が行われますので(→こちら
お時間ある方はぜひお越しくださいませ!

慎太郎は天保9年(1838)4月13日に誕生しました。
前年に大塩平八郎の乱が起き、将軍・家斉が隠遁し
翌10年には水野忠邦が老中首座につき、大御所・家斉の死後に「天保の改革」が本格的にスタート
するころです。
このころはまだ幕府は盤石だったかもしれないけど、大塩の乱や三方国替での庄内藩の拒否
外国船の来航による対応と徐々に、ほころびも見られていたころかもしれません。
長州の村田清風の改革、薩摩の調所広郷の改革も始まるころでしょうか・・・

30年の生涯となりましたが、本当に激動の時代だったと思います。
また災害も非常に多かった時期だし、開国の対応もあったし
変革は必然だったかもしれませんね。。。

またこれからも、その生涯を紹介していければと思います!
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by enokama | 2012-04-13 01:14 | 中岡慎太郎関連 | Comments(0)
中岡慎太郎年表→こちら

中岡慎太郎の論文を何回か書いてきましたが
その最後で集大成とも言えるものが、この「兵談」であります!

生き残りの旧土佐勤王党幹部・大石弥太郎(円)は、討幕を決意した乾退助を支えるべく
彼の進める「兵制改革」を共に進めていました。

内容>>
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by enokama | 2012-01-11 23:47 | 中岡慎太郎関連 | Comments(0)
クリスマスの3連休は・・・街が大賑わいとかイルミネーションがきれいとか
そんな華やかな事とは無縁でありまして、仕事づくしでありました。。。

天皇誕生日が平成になって、12月の休みが増えた訳ですけど
まともに休めたことないんですよね。
どうしても「年内にけりをつけてくれとか、年内に納めてくれ」とかになるんで・・・

今日が仕事納めで、年賀状も休みがとれなかったのでなかなかしんどかったけど
やっと終わってほっとしたところです。
明日は正月明け久しぶりに目一杯、旅行の仕事があるんで3本分の準備をして
30、31は1日だけでも大掃除らしいことをして、DVDの整理をしてHDの容量を開けて
正月番組の予約をしっかりしておきたいと思います(「山田顕義」は楽しみであります)
かき集めた史料の整理とか読書もしたいし、映画も1本ぐらい見ておきたい(「山本五十六」が見たい)
ところですけど、なかなか時間が取れそうにないのです・・・

顕彰のこれから>>
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by enokama | 2011-12-28 23:45 | 中岡慎太郎関連 | Comments(2)
中岡慎太郎年表→こちら
愚論窃カニ知己ノ人二示ス(慶応二年十一月 土佐の同志に向けた兵制改革論)
(要点のみ抜粋します)

西郷さんのことも書いている>>
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by enokama | 2011-12-21 23:00 | 中岡慎太郎関連 | Comments(0)
11月ごろから、クリスマスソングが流れるこの頃ですが
いよいよ押し迫ってきた感じです。。。

まあ、個人的には有馬記念が締めくくりって感じにもなるんですが
今週号のブック巻末の馬体チェック見てたら、ブエナビスタがさらに良くなってるんやね。
牝馬の引退って「買いではない」と思うんだけど、最近は一概にも言えなくなってきてるし
やっぱり逆らえないかな・・・
まあ、でも今年世話になった馬や、好きな馬から買う予定でいます。
外れても、小倉の最終レースでお目当てがいますしね・・・


さて本題で
中岡慎太郎の論策を何回かに分けて書いていく予定の第一弾です!

中岡慎太郎年表→こちら

高杉晋作の考えも書いてある>>
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by enokama | 2011-12-19 23:33 | 中岡慎太郎関連 | Comments(0)
慶応三年当時、土佐藩在京参政の一人であった神山左多衛(のち郡廉と称し、新政府に出仕。
各地の県令などを歴任する))の十一月の日記が「陸援隊始末記」に載っています。
このあたりは「近江屋事件」を挟んだ、当時の京都の情勢がよくわかるものとなっています。
(関連記事→こちらこちら


十一月十四日
藩土芸ヲ会藩ヨリ討タズンバ有ルベカラズト企コレアルヤニ粗聞ユ。石精(石川清之助)ノ手ヨリモ聞ユ。
 土佐も芸も「討幕勢力」と見る動きが、会津に見られたとのことでしょうか。「大政奉還」は討幕派の陰謀と
 する記述は、佐幕側・討幕側問わず結構ありますよね。

十一月十五日
町御奉行ヨリ今日宮川助五郎ヲ受取、河原町御邸牢屋へ入候事。
松力へ行、否ヤ我宿ヨリ家来申来ルハ、才谷梅太郎等切害セラレ候由。直二藤次下宿へ行、諸事手配等
取扱致シ候事。
 (福岡)藤次下宿は近江屋の隣で、こちらで事件の対応に当った。坂本即死、石川疵受、家来深手也とある。

十一月十六日
 白川藩邸(陸援隊屯所)の新選組スパイらしき人物を拘束し、河原町藩邸牢に入れる。
 白川の浪人(陸援隊)には猥らな挙動を慎むよう伝える。
 大久保一蔵入京。

十一月十七日
海援隊入七人入京中ノ所、新撰等ヨリ穿鑿甚シク、宿屋へ泊るモ宿屋二断り、身ノ置所コレナク、依テ白川入焚出増ノ事只次郎(森脇唯次郎)ヨリ伺出
 入京中の海援隊士を保護するべく、白川藩邸に入れるよう申し出がある。このころは河原町藩邸で飯を
 炊き出し配達をしていた(副食物は隊士の自弁)ので、その数の追加も依頼している。

十一月十八日
御陵守リノ新撰ノ内(いわゆる新選組から分離した御陵衛士のこと)阿部十郎二今一人河原町御邸内へ駆込・・・(中略)外二タヨル所コレ無ク、此方様へ御囲置キ下サレタク・・・
右駆込来タリ候時、(寺村)左膳(寺田)典膳ノ取り計ニハ、支配頭モコレアルベキニ付、手順相立テラレ
申スベク・・・尚詮議ノ上答へ申スベク云々答へ、帰し候ヨシ
 保守派で知られた寺村らしい冷淡な対応ですね・・・
 おそらく、その処置を気にした討幕派の毛利・谷が後日、二人が薩摩藩に保護されたことを聞き
 この日記にも知らされています。 

桐野利秋「京在日記」より>>
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by enokama | 2011-11-20 23:49 | 中岡慎太郎関連 | Comments(0)