エノカマの旅の途中

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カテゴリ:中岡慎太郎関連( 98 )

中岡慎太郎の誕生日2008

ミクシィのコミュで、2月に中岡慎太郎のファンの方で集まったんですが
次回は「4月13日」の慎太郎の誕生日ってことで話していて
今日は愛知からの参加3名を含め10名の方で霊山を中心に、僕自身は連日と
なりますが京都市内を回ってきました!

祇園のウインズ経由で(桜花賞荒れすぎ・・・)霊山護国神社に1時過ぎに
到着。早速、龍馬・慎太郎のお墓に参ります(田野のお酒ごちそうさまでした!)
このブログでも紹介してますが、最近は頻繁に訪れることが多くなって
福岡(平野国臣らの墓標は縦長でなくなぜか、自然石風?の丸い墓標)熊本、
水戸、長州、土佐、池田屋殉難者、天誅組志士・・・
検証しながら、改めて維新の大業に斃れた志士たちに手を合わせます。

この後は霊山歴史館に行き(会員になってるんで、何度行ってもタダです!)
先月とは、がらっと変わって薩摩中心の展示となっている特別展を見学。
徳川斉昭の「攘夷用軍艦雛形乃図」や、慶喜の天保山乗船図はなかなかいい!
あと2階の奥に映像ルームが新設されてましたんで、さらにじっくり幕末史を知る
ことができると思います。

円山公園銅像→祇園で買い物→慎太郎寓居跡(あぶらとり紙屋さん)
最近はよくこのコースを通ることが多いんですが、やっぱり買い物してしまう(笑)
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京阪四条から電車で大阪・北浜まで。
大阪証券取引所前の結構大きな五代友厚像は知りませんでした
(平成16年建立)
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適塾、愛珠幼稚園と戦災でも奇跡的に残った幕末~明治の遺構を巡って
いつもお世話になっている「維新」へ。
今日は「軍鶏鍋」をいただきました(いつもよく考えておられます!)

今日も楽しい時間でした。
赤根武人や芹沢鴨で普通に盛り上がる飲み会は最高です(笑)
また、よろしくお願いします!
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by enokama | 2008-04-14 02:15 | 中岡慎太郎関連 | Comments(8)

陸援隊ブランド

ゆず焼酎 陸援隊
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先週のオフ会のメンバーの方が持ってきてくれました!

以前、高知に行ったとき「海援隊」って米焼酎はあったのに
なんで安芸(安田町)にある土佐鶴が「陸援隊」を出さんのや・・・
とさんざん吼えてた私ですが、実はあったんですね☆ さすが、土佐鶴。
でもあまり見かけませんね。これは大正区の「OKAWA」って店において
あるそうです・・・また、手に入れたいもんです!
お味はさすがに、いい香りです。
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説明書きもばっちりです
(画像をクリックすると拡大して読めます)

それにしても「陸援隊」は一発で変換できない(苦笑)
もっと有名にならんかな~
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by enokama | 2008-02-08 01:50 | 中岡慎太郎関連 | Comments(4)
久しぶりにテレビの特集で取り上げてました。

従来の「見廻組説」・・・明治になってから暗殺したと名乗る者が増えたのはどんな
ものか(桂早之助、今井信郎ら・・・売名行為?でも一番現実的な説)

「新撰組説」・・・あまり大義名分がない。真の暗殺の黒幕と言う人が、罪をなすり
つけた可能性も(中岡慎太郎が聞いた「こなくそ」の言葉の解釈や、現場に残さ
れた下駄。恨みの多かった土佐人の主張)

あと「薩摩説」は西郷の指示のもと、中村半次郎が暗殺したとの設定で、すでに
顔見知りになっている慎太郎から見えない角度(ふすまの影)でまず龍馬、次に
慎太郎を早業のもとに斬ったとか。
でも、龍馬単独ならともかく、慎太郎が一緒とわかっていて踏みこむのは信じられ
ない。「薩土」「薩長」の同盟に共に尽力した人物を、この時代では謀略は多かった
とは言え西郷がそんなことさせるだろうか?
この説を言うなら、西郷と慎太郎の関係をもっと知ってほしかった。
ただし、龍馬を消して薩摩に都合がよかったと言う流れは否定できない。

蛇足気味だが「中岡慎太郎心中説」
龍馬を暗殺と言う行為、慎太郎のことだったら、まったくないとも言えない。
でも、自らが下すわけないと思うし、せっかく土佐を討幕路線に乗せた時期に
それに水をさしかねないことは絶対ありえない。

まあ、慎太郎の事故後の証言は取り上げてはいたが、その慎太郎の人物
なりにほとんど(相変わらずだが)触れられていないのはどうかと思う。
「中岡慎太郎本命説」も一回、分析してほしいのだが。
僕はずっと思ってることだが、龍馬より慎太郎の死の方が、かなりの影響があった。

この龍馬の暗殺で大政奉還を実現させて、この時の主導権を握りつつあった土佐
(慎太郎の指示のもと乾・谷らの武力派もいたが)越前らの穏健な公武合体派は
ダメージはうけたのは確かで、武力討幕の工作がしやすくなった。
巻き添えと見られる慎太郎はほんとに惜しい最後だった。「見廻組」の仕業だったら
名も知らなかったんじゃなかろうか。
この慎太郎の死はいわゆる「薩長閥」の誕生であり、彼らの独走が始まった瞬間。
土佐民権派も違った流れで、議会・憲法も実際異なったものになっていただろう。
龍馬より、慎太郎の死で時代が動いた方が大きいのだ。
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by enokama | 2007-09-19 07:11 | 中岡慎太郎関連 | Comments(10)

慎太郎・龍馬の評価

改めて、高知に行って思ったことだが、やはり「龍馬」って偉大で少しでも足跡
のある地点は必ず名所になっている(空港名を変えるのは少しやりすぎと思うが)
少々こじつけ気味であっても、やはり国民的英雄だしファンが訪れるには
やはり楽しい場所であり、実際そうだった。
龍馬の付く博物館が3つあるのもすごいことだ。

一方、慎太郎。京都の墓は両雄並んでいるし、室戸の銅像も桂浜の龍馬像に
引けは取らないし、立った時期もそう遅れを取ってはいない。
司馬遼太郎氏の著書で龍馬がクローズアップされるまでは、地元ではほぼ対等
な評価だったと聞いたことがある。

このブログを始めた時にも書いたが、僕が幕末にのめりこむようになったのは
「竜馬がゆく」を読んでから。霊山に墓があるのも知ったし、寺田屋も長崎の亀山
社中にも行った・・・
でも、この作品では今まで知られていなかったような人物も、生き生きと書いて
ある。陸奥宗光・三岡八郎そして中岡慎太郎。福井の松平春嶽公は司馬さんも
すごい好きな人物なんだろうなって思う。
だから、その人たちも知りたくて下関も福井も行った。勝海舟はほんと、幕臣
では唯一の異端だと思ってたけど、春嶽と言う人も親藩と言う縛りがあって
思い切ったことはできなかったけど、先覚者で開明派、懐の大きさも負けはしない。
龍馬が脱藩してからの道筋をつけてくれた。
慎太郎も龍馬とは一括りには決してできない。薩長同盟、土佐の討幕路線化
岩倉具視を引っ張りこんだのも功績だし、1級の志士。

松岡司氏の著書のあとがきでの記述。
中岡慎太郎と坂本龍馬のどちらが偉かったか?人気は龍馬だが、じつは慎太郎
の方が偉大ではないのか・・・こんなやりとりをよく聞くが、興味のうすい問題で
私は武市半平太・吉村虎太郎ともども、4人の正四位追贈をほぼ妥当としている。
・・・おっしゃる通りと思います。

今回の高知は「坂本龍馬・中岡慎太郎展」
両雄の展示で行われたことは意味深いし、興味深く見た人も多いと思う。
これを機にもっと慎太郎のことを知ってくれる人がいたらうれしいし
もっと調べて行けたらと思ってます。
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by enokama | 2007-09-13 00:59 | 中岡慎太郎関連 | Comments(2)
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霊山歴史館の会報にも発表されました。
中岡慎太郎館の学芸員・豊田さんの手記が載っています。
特別展に関する史料を探していて「岩倉具視関係文書」の中に、慎太郎の変名
の一つ「勘蔵」(横山勘蔵)の項目や後藤象二郎らの記述があり、筆跡や文面か
らの鑑定の結果、慎太郎本人のものと確認されたそうです。
なお、確認されている書状のうちの大半が、よく知られた代表的な変名「石川
清之助」で、彼の生涯の最後1年ほど使っていた「横山勘蔵」名義のものは初め
てだそうです。

内容はいわゆる「薩土盟約」のこと。薩摩は長州との討幕路線も取りつつ、大政
奉還論の土佐とも連携し「大政奉還の建白→将軍・慶喜の拒否→討幕の実行」
と言った等の流れを作り、合法的に討幕を起こす名分も考えていた。
土佐にとっても薩摩との連携で「大政奉還論」を軸に主導権を握りたいことと、
乾(板垣)退助、谷守部らの上士でさえ、徹底討幕論に傾いている点もあって
直ちに兵を土佐から出す条件で「盟約」が結ばれた。

土佐の藩主・山内容堂はさらに「大政奉還論」を推し進めるが、藩兵の派遣で
薩長に討幕に利用されるのも察知していて(結局、乾の独断で出兵するが)
断固反対し出兵が進まず、薩摩が「盟約」の破棄を切り出していた状況で、
その経過と打開策に関しての岩倉への書状が今回のものでした。

内容的にも幕府の終焉も近く、いろんな微妙な流れがあるなかで、生々しい
貴重な史料とも言えます。

書状の公開は夏は高知にて
秋には、京都・霊山歴史館にも展示されます。

おまけ
霊山歴史館の幕末グッズ。通販も行けます!
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by enokama | 2007-07-04 00:15 | 中岡慎太郎関連 | Comments(6)
高知新聞に載っていた、中岡慎太郎から岩倉具視宛の書簡発見のニュース
ですが、やはり京都では記事になっていないようです。
あと、京都新聞「中岡慎太郎」で、くぐったら2件出てきました。

クリック→霊山歴史館・木村先生の新著
「暗殺の指揮は幕府監察で、龍馬ではなく中岡慎太郎を狙った」との新説も?

クリック→時代祭2006秋
 中岡慎太郎はもちろん、橋本佐内らも・・・
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by enokama | 2007-05-31 01:36 | 中岡慎太郎関連 | Comments(7)
ji5isl さんのブログで「高知新聞」にこの記事が載っていたそうです。
我々からしたら大発見なんですが、関西でこの事を記事にしていた新聞なかった
んじゃないでしょうか。発見場所は京都の洛北・岩倉具視の幽棲地なんですがね。

開国をめぐる対応で威信の落ちた幕府は、14代将軍・徳川家茂に皇室から
和宮を側室に迎える工作をはかり(和宮降嫁)公武合体を推し進めようとした。
その中心的な役割をしたのが岩倉具視で、その動きを尊王攘夷派に警戒され
て洛北・岩倉の地で幽閉される。
のち、時代の流れに岩倉も討幕の意思を強め、その強腕を買った中岡慎太郎が
まず岩倉の元を訪れ、討幕の表舞台(最初は立場上、秘密裏だったが)に引っ張
り出す。薩摩の大久保利通との数々の討幕工作(表沙汰にできないことも多か
ったらしい)はよく知られたことで、維新後も多大な影響力を持ち続けていた。
中岡が亡くなる時、岩倉に後事を託していたことでも二人の信頼関係を感じる。

土佐の上士だった板垣退助にも意見を異にしながら、人柄を見込んでその懐に
飛び込んで同志となったように「相手を変える」強い意志と信念があったんでしょう。
ちなみに2人ともお札になってます(岩倉・500円。板垣・100円)
その両人を変えた中岡慎太郎が明治以降、生きてたとしたら今のお札が福沢諭吉
ではなく、彼だったかもしれません!

中岡慎太郎館にも記事
なお、この手紙は7月28日から高知県立歴史民俗資料館において展示予定。
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by enokama | 2007-05-20 22:11 | 中岡慎太郎関連 | Comments(2)

中岡慎太郎の言葉

先日放送されたNHKの「その時、歴史が動いた」で歴史上の人物の語った心に残る言葉の
特集をやっていました。
100の候補から(エンディング等で触れられているもの)HP上で投票をされたものですが
その中で私の好きな歴史上の人物の一人・中岡慎太郎の言葉が以外にも?
(地味なイメージがありますからね。まあ、私からみたら当然ですが!)上位に選ばれてました。

17位 中岡慎太郎
「志とは 目先の貴賤で動かされるようなものではない 今 賤しいと思えるものが
明日は貴いかもしれない
君子となるか小人となるかは家柄の中にはない 君 自らの中にあるのだ」
『中岡慎太郎全集(文久元年十一月二十六日 北川竹次郎宛手紙)』より

自分の信念は決して、回りに惑わされることの無く貫けば、結果は出てくるだろう。
また、彼はお上からの締め付けではなく、民衆からの声をくみ上げる土佐によく見られた大庄屋出身でもあり
身分うんぬんの考えはあまりなかったかと思います。
(のちの土佐の自由民権運動にもつながるった?)
また、このブログでもたびたび触れてますが、このころ見られた「実学」の考えも慎太郎の中では
大きかったんでしょう。
このあたりは松蔭門下で一緒に遊学したこともある久坂玄瑞や、奇兵隊の創設者でもある高杉晋作との
親密な交流にも現れているし、実務的にも彼の兵制改革論にのっとり、土佐は板垣退助によって
近代化され新政府軍の一端を担うまでになりました。

この言葉にあるような世の中には、明治になってある程度はなったかも知れませんが不十分な面も
多かったと思います。板垣の明治時代の活動は野に下ってのものでしたが、慎太郎がいれば
政府の中心にいての改革になっていたでしょう。当然、薩長閥のこだわりもなく、もっと能力のある者を
引き上げてたと思います。
(歴史に たら は禁句ですが・・・)

ちなみに1位は高杉の辞世の句
「おもしろきことも無き世を おもしろく・・・」
下の句は以前触れた野村望東尼がつけたものですが、コメンテーターの人はあまり好きではないようだし
司馬遼太郎も「道歌めいた・・・」と書いています。
まあ、その場に望東尼がいたことが意味のあったものだろうし
この句の痛快さが支持を得たんでしょうね!
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by enokama | 2007-03-31 00:57 | 中岡慎太郎関連 | Comments(6)