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エノカマの旅の途中

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  • 龍馬暗殺を永遠の謎にして、いつまでも数字を取ろうとするテレビや書籍の罪
    [ 2012-05-14 23:53 ]
  • BSTBS「ナンバー2」~中岡慎太郎
    [ 2012-05-10 23:15 ]
  • 5月10日のBSTBS「NO2」に中岡慎太郎登場(拡散希望)
    [ 2012-05-01 19:18 ]
  • 中岡慎太郎の誕生日 2012
    [ 2012-04-13 01:14 ]
  • 中岡慎太郎「兵談」(慶応3年・大石弥太郎宛)
    [ 2012-01-11 23:47 ]
  • これからの中岡慎太郎の顕彰
    [ 2011-12-28 23:45 ]
  • 中岡慎太郎論策~愚論窃かに知己の人に示す(慶応二年十一月)
    [ 2011-12-21 23:00 ]
  • 中岡慎太郎論策~知己に示す論(慶応二年十月)
    [ 2011-12-19 23:33 ]
  • 中岡慎太郎の命日としし座流星群
    [ 2011-11-17 19:33 ]
  • 中岡慎太郎の慶応3年秋~終幕
    [ 2011-11-08 23:25 ]

semスキン用のアイコン01龍馬暗殺を永遠の謎にして、いつまでも数字を取ろうとするテレビや書籍の罪semスキン用のアイコン02

  

2012年 05月 14日

前の記事にコメントもいただいたんで
もう少し、今回の番組のことを書きます。

とりあえず、うざい奴を消して編集したら30分ほどになりました。
この内容なら、ちょっとした村の行事でも慎太郎のことを伝える
記録映画的な作品として流すにも、ちょうどいいんじゃないでしょうか。。。
改めて見ても、ロケを交えた凝った作りで脱藩のあたりのことも詳しくて
尾崎雅洋さんも学芸員の豊田さんも、しっかりと現地取材のスタッフの方には田野学館等のロケ地や
ポイントもしっかり伝えられたようで、防府や長府の方にも協力していただいてるし
申し分ない出来だなと、改めて見直して思いました!

そして東京に持ち帰った。
そこでは民放だし、一つの番組にするとなると、商業主義的な部分がどうしても見え隠れしてくるんですよね。
この仕上げが最悪だった。。。


もっと見る>>

by enokama | 2012-05-14 23:53 | 中岡慎太郎関連 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01BSTBS「ナンバー2」~中岡慎太郎 semスキン用のアイコン02

  

2012年 05月 10日

オープニングから凝ってましたね!
「中岡慎太郎」のあの字は、慎太郎本人の自筆です。

村の方の座談会のシーンが所々流されていました。
神童だし、桐間蔵人に訴えた話はやはり語り継がれるんでしょう。
生家と向学の道でロケをされていて「歩け歩け」の雰囲気はしっかり出ていました。
田野学館と三田尻英雲荘も取り上げられていました。
脱藩の経緯もしっかり時間を取ってくれてたし(兼さんの歌は初めて知りました)
前半のくだりは今までの番組と比べても、とても素晴らしかったと思います。

でも久光の暗殺計画を言うなら「高杉晋作と一緒に練っていた」ってのも言いたいし
開国論に変わったのも、高杉の影響が一番大きいんです。
「変節」ってのも横井小楠あたりにもあることだし、どんどん変えていくことで広がることもあります。
徒目付の件は吉村虎太郎あたりに批判されているんですけど、どれぐらい容堂が慎太郎を買っていた
(知っていた)のかは疑問符もあるようです。松代の象山を訪ねるのも、藩命ではなかったとも言われてます。

西郷さんのところでは「長州は敵ではない。門を攻撃したから討ったのだ」との情報を持って対面しています。
豊田さんも言ってましたが、戦に敗れながらも、次の模索をしていたことはすごいことですね。
三条と岩倉の提携については、両人の信頼が篤かったことで、慎太郎しかできなかったことだと言っても
過言ではないです。

まあ、坂本龍馬のナンバー2ってのは、番組の趣旨からも我慢して
(慎太郎を取り上げても、直接の関係ってほとんどないし。別に龍馬の指図受けた覚えないし)
後、この解説者だから覚悟はしていたけど、最後のまとめが乱暴すぎたので(苦笑)
この下は隠します・・・


他に受ける解説者はいないのか?>>

by enokama | 2012-05-10 23:15 | 中岡慎太郎関連 | Trackback | Comments(4)

semスキン用のアイコン015月10日のBSTBS「NO2」に中岡慎太郎登場(拡散希望)semスキン用のアイコン02

  

2012年 05月 01日

北川村観光協会さんのブログで取材状況が触れられています→こちら

放送は5月3日予定と書かれていますが、今週は片倉小十郎となっています。
くぐって調べていましたら、5月10日の放送で解説は残念ながら加地将一のようです(本人のツイッターより)

今までもこの人物については何度も書いてきましたが
「龍馬暗殺犯は中岡慎太郎」と唱えてきて、盛んに主張している人物です。
最近ではこの番組の「岩倉具視」の回でも言っていました!

僕もかなり慎太郎の人となりを、真剣に調べてきてこのブログでも取り上げてきたし
専門の先生にもいろいろお聞きしてきましたが、こんな説はあり得ないし
史学的にもまったく信用ならないものです。
(最近出た本でしたら磯田道史氏の「龍馬史」で、しっかりととらえられているのでおススメです)

内容的には北川にも取材されていますし、ぜひご覧いただきたいのですが
この解説者のせいで、誤った解釈を視聴者がされる可能性がありますので
あらかじめ予防線を張りたいと思います。

よろしければ、この下のフェイスブック・ツイッター・ミクシィのタグをクリックしていただいて
この情報を拡散いただけますでしょうか。
皆様のご協力をお願いします!

(参考記事→中岡慎太郎年表

by enokama | 2012-05-01 19:18 | 中岡慎太郎関連 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01中岡慎太郎の誕生日 2012semスキン用のアイコン02

  

2012年 04月 13日

今年も慎太郎の誕生日がやってきました。
ここ数年、何かのイベントはやってたんですが
3月が忙しすぎて考える間がなかったのと、桜が遅いんで今週は旅行の仕事に入りますので
今年は、なしです(誰かは企画してるのかな?)

北川村では本日、生誕祭が行われますので(→こちら
お時間ある方はぜひお越しくださいませ!

慎太郎は天保9年(1838)4月13日に誕生しました。
前年に大塩平八郎の乱が起き、将軍・家斉が隠遁し
翌10年には水野忠邦が老中首座につき、大御所・家斉の死後に「天保の改革」が本格的にスタート
するころです。
このころはまだ幕府は盤石だったかもしれないけど、大塩の乱や三方国替での庄内藩の拒否
外国船の来航による対応と徐々に、ほころびも見られていたころかもしれません。
長州の村田清風の改革、薩摩の調所広郷の改革も始まるころでしょうか・・・

30年の生涯となりましたが、本当に激動の時代だったと思います。
また災害も非常に多かった時期だし、開国の対応もあったし
変革は必然だったかもしれませんね。。。

またこれからも、その生涯を紹介していければと思います!

by enokama | 2012-04-13 01:14 | 中岡慎太郎関連 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01中岡慎太郎「兵談」(慶応3年・大石弥太郎宛)semスキン用のアイコン02

  

2012年 01月 11日

中岡慎太郎年表→こちら

中岡慎太郎の論文を何回か書いてきましたが
その最後で集大成とも言えるものが、この「兵談」であります!

生き残りの旧土佐勤王党幹部・大石弥太郎(円)は、討幕を決意した乾退助を支えるべく
彼の進める「兵制改革」を共に進めていました。

内容>>

by enokama | 2012-01-11 23:47 | 中岡慎太郎関連 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01これからの中岡慎太郎の顕彰semスキン用のアイコン02

  

2011年 12月 28日

クリスマスの3連休は・・・街が大賑わいとかイルミネーションがきれいとか
そんな華やかな事とは無縁でありまして、仕事づくしでありました。。。

天皇誕生日が平成になって、12月の休みが増えた訳ですけど
まともに休めたことないんですよね。
どうしても「年内にけりをつけてくれとか、年内に納めてくれ」とかになるんで・・・

今日が仕事納めで、年賀状も休みがとれなかったのでなかなかしんどかったけど
やっと終わってほっとしたところです。
明日は正月明け久しぶりに目一杯、旅行の仕事があるんで3本分の準備をして
30、31は1日だけでも大掃除らしいことをして、DVDの整理をしてHDの容量を開けて
正月番組の予約をしっかりしておきたいと思います(「山田顕義」は楽しみであります)
かき集めた史料の整理とか読書もしたいし、映画も1本ぐらい見ておきたい(「山本五十六」が見たい)
ところですけど、なかなか時間が取れそうにないのです・・・


顕彰のこれから>>

by enokama | 2011-12-28 23:45 | 中岡慎太郎関連 | Trackback(1) | Comments(2)

semスキン用のアイコン01中岡慎太郎論策~愚論窃かに知己の人に示す(慶応二年十一月)semスキン用のアイコン02

  

2011年 12月 21日

情報は聞いていたんですが
京都・金戒光明寺の赤松小三郎墓所の墓石の風化が激しいために
故郷の信州上田にて引き取られたそうです。

実際行った方はみなさん感じられるでしょうが、側面が剥がれてしまって
(碑文を書くため柔らかい石にすると風化しやすい面もあるそうです)
残念だなと思っていたんですが、京都の墓石は新たに建てられるとのことです。

(信濃毎日新聞より→こちら
上田出身の幕末の洋式兵学者で、議会政治の確立を提唱した赤松小三郎(こさぶろう)の古い墓が7日
京都市内から上田市へ運ばれ、同市常磐城3の丸山邸敷地内にある土蔵に置かれた。
墓は砂岩でできていて劣化し、放置しておけば崩れてしまう恐れもあったため、上田市民有志らでつくる
「赤松小三郎顕彰会」が関係者の承諾を得て移した。土蔵は赤松小三郎記念館として来年3月に開館し
墓を記念碑として公開する予定だ。

赤松は1831(天保2)年4月、上田藩士の家に生まれた。江戸へ出て勝海舟に師事。「英国歩兵練法」を
翻訳し、薩摩藩士に洋式兵学を教えた。議会政治の確立を幕府側に提唱したが、67(慶応3)年
倒幕を目指した同藩士桐野利秋らによって京都で暗殺されたとされる。37歳だった。

墓石は京都市の金戒(こんかい)光明寺の墓地にあった。7日午前9時ごろ、トラックで到着。
京都市の石材業者がクレーンで慎重に降ろし、2時間近くをかけて土蔵に設置した。高さ1・25メートル
重さ700キロほど。薩摩藩の教え子たちが建てたとの趣旨が石に刻まれている。側面や背面には
赤松の経歴や薩摩藩士を指導した功績も記されている。顕彰会の伊東邦夫会長(77)=上田市緑が丘=
によると、赤松が強盗に襲われて殺されたといった記述もあるが、本格的な解読は今後行うという。

顕彰会ができた2003年、同寺側から墓石が劣化していることについて相談があり、同会は「上田の人に
赤松をもっと知ってもらうために活用しよう」と、移設と保存を決めた。同寺の墓は新しい御影石を使って
近く復元するという。

記念館にする土蔵は、明治期建築の2階建てで約60平方メートル。1階に記念碑を置くほか
赤松の等身大の写真や佐久間象山から届いた手紙の写しなどを並べる予定。11月20日に開館する
予定だったが、同月8日未明に丸山邸の別の土蔵から出火する火災があり、延期になった。
今回の土蔵は火災の被害はなかった。


上田で記念館ができるんですね。墓の文字の解読も楽しみにしています!



それでは論策の続きです。。。

中岡慎太郎年表→こちら

西郷さんのことも書いている>>

by enokama | 2011-12-21 23:00 | 中岡慎太郎関連 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01中岡慎太郎論策~知己に示す論(慶応二年十月)semスキン用のアイコン02

  

2011年 12月 19日

11月ごろから、クリスマスソングが流れるこの頃ですが
いよいよ押し迫ってきた感じです。。。

まあ、個人的には有馬記念が締めくくりって感じにもなるんですが
今週号のブック巻末の馬体チェック見てたら、ブエナビスタがさらに良くなってるんやね。
牝馬の引退って「買いではない」と思うんだけど、最近は一概にも言えなくなってきてるし
やっぱり逆らえないかな・・・
まあ、でも今年世話になった馬や、好きな馬から買う予定でいます。
外れても、小倉の最終レースでお目当てがいますしね・・・


さて本題で
中岡慎太郎の論策を何回かに分けて書いていく予定の第一弾です!

中岡慎太郎年表→こちら

高杉晋作の考えも書いてある>>

by enokama | 2011-12-19 23:33 | 中岡慎太郎関連 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01中岡慎太郎の命日としし座流星群semスキン用のアイコン02

  

2011年 11月 17日

今年もこの日がやってきました(まあ旧暦ではないんですけど)
書こうと思っていたことがあったんですが、過去記事を遡ったら同じ様なことを書いてましたので
(よくあることなんですが 苦笑)今日は短くしておきます。。。

今晩が一番、しし座流星群が見られるそうです。
天を見て、慎太郎を偲びたいと思います!


by enokama | 2011-11-17 19:33 | 中岡慎太郎関連 | Trackback | Comments(0)

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2011年 11月 08日

昨日のBSTBS歴史番組「NO2」で、大岡越前をやっていたんだけど
解説があの童門さん(一人)やった。。。
案の定、目新しいこともないし知った話ばっかり(苦笑)
BSの歴史番組ってコアな人が見るもんだろうし、あの程度だったら地上波のぬるい番組に回せばと
思うんですけどね。
この人だったら知識の限界が小さいし(無駄に範囲は広いけど)話は広がらないですわ。
鈴木健二氏以来の歴史番組を見続けている人だったら、誰でも務まるわな・・・

先週なんか徳川四代将軍のころの話だし、その前は石田三成の側近・島左近!
ようマニアックなところって・・・
たいがいその時は加来耕三さんだけど、今まではぬるいような著書が多い印象でどうかなと思ってたけど
ようさすがに知ってはるなと感心してたんですが、すごい対照的に今回は落差を感じました。。。

それにしても磯田さんを含めたこの3人で歴史番組は回ってる印象なんですけど
もっといろんな人に出てもらって、いろんな多様な意見も聞きたいと思うんですが
テレビ向きにしたらしたで、研究にも差しさわりが出るかもってことがあるのかな・・・

連載の最後です>>

by enokama | 2011-11-08 23:25 | 中岡慎太郎関連 | Trackback | Comments(0)