情報は聞いていたんですが
京都・金戒光明寺の赤松小三郎墓所の墓石の風化が激しいために
故郷の信州上田にて引き取られたそうです。
実際行った方はみなさん感じられるでしょうが、側面が剥がれてしまって
(碑文を書くため柔らかい石にすると風化しやすい面もあるそうです)
残念だなと思っていたんですが、京都の墓石は新たに建てられるとのことです。
(信濃毎日新聞より→
こちら)
上田出身の幕末の洋式兵学者で、議会政治の確立を提唱した赤松小三郎(こさぶろう)の古い墓が7日
京都市内から上田市へ運ばれ、同市常磐城3の丸山邸敷地内にある土蔵に置かれた。
墓は砂岩でできていて劣化し、放置しておけば崩れてしまう恐れもあったため、上田市民有志らでつくる
「赤松小三郎顕彰会」が関係者の承諾を得て移した。土蔵は赤松小三郎記念館として来年3月に開館し
墓を記念碑として公開する予定だ。
赤松は1831(天保2)年4月、上田藩士の家に生まれた。江戸へ出て勝海舟に師事。「英国歩兵練法」を
翻訳し、薩摩藩士に洋式兵学を教えた。議会政治の確立を幕府側に提唱したが、67(慶応3)年
倒幕を目指した同藩士桐野利秋らによって京都で暗殺されたとされる。37歳だった。
墓石は京都市の金戒(こんかい)光明寺の墓地にあった。7日午前9時ごろ、トラックで到着。
京都市の石材業者がクレーンで慎重に降ろし、2時間近くをかけて土蔵に設置した。高さ1・25メートル
重さ700キロほど。薩摩藩の教え子たちが建てたとの趣旨が石に刻まれている。側面や背面には
赤松の経歴や薩摩藩士を指導した功績も記されている。顕彰会の伊東邦夫会長(77)=上田市緑が丘=
によると、赤松が強盗に襲われて殺されたといった記述もあるが、本格的な解読は今後行うという。
顕彰会ができた2003年、同寺側から墓石が劣化していることについて相談があり、同会は「上田の人に
赤松をもっと知ってもらうために活用しよう」と、移設と保存を決めた。同寺の墓は新しい御影石を使って
近く復元するという。
記念館にする土蔵は、明治期建築の2階建てで約60平方メートル。1階に記念碑を置くほか
赤松の等身大の写真や佐久間象山から届いた手紙の写しなどを並べる予定。11月20日に開館する
予定だったが、同月8日未明に丸山邸の別の土蔵から出火する火災があり、延期になった。
今回の土蔵は火災の被害はなかった。
上田で記念館ができるんですね。墓の文字の解読も楽しみにしています!
それでは論策の続きです。。。
中岡慎太郎年表→
こちら西郷さんのことも書いている>>