エノカマの旅の途中

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カテゴリ:緒方洪庵と適塾( 37 )

人物叢書「緒方洪庵」

今年二月に刊行されました。著者は大阪大学名誉教授の梅渓昇氏
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梅渓さんは(執筆時)なんと94歳。高齢もあって数年前に大阪を離れられて、東京の息子さんのところで生活され
隠居されたとお聞きしていて、もう引退されたのかなと思ってたんですが、集大成ともいえる「緒方洪庵伝」を
まとめられていたんですね。

先月ですが、北浜の適塾に行って受付の方に梅渓さんの近況を聞いたんですが
もうこちらの方にはよく本人を知っておられる方がもうおられないということでしたが
(もちろん待兼山の方ではもちろんご存じでしょう)
その翌日に訃報が報道されました。。。びっくりしました。

(産経新聞)
江戸時代後期、大坂に「適塾」を開いた蘭学者、緒方洪庵研究の第一人者として知られた
梅渓(うめたに)昇・大阪大名誉教授(日本史学)が18日、肺炎のため死去した。95歳。
通夜は21日午後6時、葬儀・告別式は22日正午、東京都小金井市梶野町5の8の29、
多摩式典小金井会館で。喪主は長男、巌(いわお)氏。
大阪大文学部長などを務め、適塾の保存にも尽力。平成7年に勲二等瑞宝章、8年に大阪文化賞。

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by enokama | 2016-03-17 22:03 | 緒方洪庵と適塾 | Comments(0)

緒方家と有馬温泉

先日、神戸に行く用事があったので帰りに有馬温泉に行ってきました!
兵庫県民ですが、有馬の湯に入ったのは二年ほど前の添乗で行った時が初めてで
その芯から温まる効能に感激したもので、それ以来何度か行くようになりました。。。

今回は金泉(外湯・金の湯)に入ってきました
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外湯ですが、石鹸・洗面器もあってタオルだけで入浴することができました。
ロッカーは一人づつ鍵付きだったから、混雑時は待たないと行けないのかもしれないな。

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by enokama | 2014-12-23 18:37 | 緒方洪庵と適塾 | Comments(0)
何度か紹介してきましたが、福沢諭吉の自伝「福翁自伝」は
適塾在籍時について書かれた中でも一級の史料であって、そのエピソードから
在りし日の適塾の様子がありありとわかるものです。

その中から今までに書いてきた適塾関連記事に関する部分を中心に紹介していきたいと
思います! →関連記事

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by enokama | 2014-01-05 22:07 | 緒方洪庵と適塾 | Comments(0)
12日に阪大の適塾記念会から案内が来てまして
「大坂洋学事始」と言う講演を豊中・待兼山キャンパスで聞いてきました。

そのうちの一つのテーマが「緒方洪庵の薬箱」でして
伝えられてきた洪庵先生手持ちの6段に分かれた薬箱で
内部には丸薬や生薬の状態(茎や花・根)で当時の薬が残されています(蘭方も漢方もある)
この解析の作業を進められてきた経過の報告でありました。
まず丸薬・生薬には包みに名が書いてあり(丸薬には●●丸、生薬は二文字の名)
この名前は使用する洪庵本人にさえ、わかればいいので正式名でもなく、いったい何の成分かっていう
わからない面があって、内部の成分も調べておられます。
洪庵は蘭方医ですが、患者の症状に合うと思ったら漢方も勧めており(この面で後述の合水堂との交流も
あった)その蘭漢方の割合は当時でも理想的だったのではとのことでした。
また適塾は今も薬の町である道修町の中にあるので、薬室っていうものがなく、散歩がてらに手に入るような
環境でした。

和歌山へ>>
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by enokama | 2013-12-25 21:18 | 緒方洪庵と適塾 | Comments(2)

名塩と紙漉きと岩倉具視

名塩を歩きます。

まずは教行寺で別名・名塩御坊と言う通り、本願寺派・蓮如上人の留錫の際にできた
道場が始まりで、その実子・蓮芸が僧侶として入ってから教行寺となったものです。
実は蓮如なので北陸とのつながりも強いのですが、その際に越前より「和紙」の製法が伝わったと言い
江戸時代の最盛期には「名塩千軒」と呼ばれるほど(実際にはそんなになかったそうだが)繁栄し
この地は天領(尼崎藩預みたいな時期もあったそう)となって、自治も行われていたのです。
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また江戸時代の住職・安養院摂観が公卿・岩倉具選の孫であって、明治維新時には本願寺の最高職として
宗主を支え、西本願寺から朝廷への財政的援助と皇居の護衛にもあたり
あの岩倉具視も、この名塩の地を訪れ(京を逃れ、隠れていたような時期もあったそう)ています。
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紙漉き>>
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by enokama | 2013-11-01 22:56 | 緒方洪庵と適塾 | Comments(0)
まず、阪大のホームページで「適塾の最新情報」が更新してありました→こちら
北浜の方は来年3月まで休館となりますが
その間、阪大の待兼山キャンパスで関連展示がされています。
また12月に講演が二回あります(7日のプチャーチンは聞きたいとこだが、すでに予定が・・・
14日の方には行こうかな!)


先日20日に適塾記念会の西宮「名塩ウォーク」に参加してきました。
ちょうど越前大野にも行きましたので、伊藤慎蔵のその後も知ることができました。。。
(名塩の前回記事→こちら

名塩はちょうどお祭りでした。だんじりが出ます!
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伊藤慎蔵の生涯>>
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by enokama | 2013-10-28 23:12 | 緒方洪庵と適塾 | Comments(0)
お城の南西方向で寺町ではありませんが、古刹の洞雲寺です。
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こちらには内山良休さんのお墓があります(内山家住宅で教えていただけました)
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by enokama | 2013-10-20 18:16 | 緒方洪庵と適塾 | Comments(0)
七代藩主・土井利忠の蘭学との出会いは、江戸藩邸に杉田成卿(小浜範医)を招いたことから始まる。
あの「蘭学事始」杉田玄白の孫である。
丹後田辺・宮津、越前福井と言った、この地域の諸藩で蘭学熱が強いのは小浜での見聞があったの
かもしれない。
利忠は自ら蘭書を読むことができるまでとなり、ここまで実践した殿様は他に薩摩の島津斉彬ぐらいしか
いないとも言う。

天保13年(1842)利忠は「更始の令」を出し、抜本的な藩政改革に乗り出す。
そこで重用されたのが「武士にあるまじき商才を持つ」と呼ばれた内山良休・隆佐兄弟であった。
良休はまず「鉱山方御用掛頭取」として、面谷鉱山を始めとする藩内の各鉱山の経営改善を行い
利益を生み出し、文字通り「宝の山」とする。
また海にも目を向けた。大野藩は「信長ゆかりの地」ともされる織田、佐々生と言った地域から日本海側に
かけて「西方」と言う飛び地があって、この西方浦でも「西廻り航路」の一端として、大坂商人とのつながりも
持った交易が行われて、遠い蝦夷地の情報も入ってきていたのだ。
そして兄弟はその事業を拡大する形で藩営商店の「大野屋」を開設し横浜・箱館に拠点を
海外との交易も視野に入れた長崎にも拠点を持つようになった。。。
この功績で良休は万延元年(1860)家老にまで出世する。
弟・隆佐は佐久間象山門下生でもあり、その知識を生かし蝦夷地開拓や兵制改革等の実務を担当した。

旧内山家住宅(建物自体は明治期以降のもの)
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この兄弟を偲び、その旧家を改修されて内部は資料館となっている
(行ったときが大雨で外観の画像はないです・・・)
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洋式帆船・大野丸の模型や建造時の資料、当時にピストルや書軸類が展示されている。
また川本幸民や木戸孝允(手紙が残っている)あたりとの付き合いもあったそうだ。

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by enokama | 2013-10-19 22:08 | 緒方洪庵と適塾 | Comments(0)
7月に行った越前大野のレポートです。
こちらに行った理由は「適塾とのかかわり」が、主眼ですので「緒方洪庵と適塾」のカテゴリとします。

奥越から三国港まで流れる、九頭竜川に沿った山間の盆地に開けた城下町大野。
アクセスとしては福井からJR越美北線で約50分ほどだが
列車の本数がかなり少ない(例えば福井発9:08の次が12:49)ので注意いただきたい。
そのかわり並行して京福バスも30分毎(日中で60分毎)であって、こちらだと約1時間で990円。
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by enokama | 2013-10-17 22:03 | 緒方洪庵と適塾 | Comments(0)
FBではたまに経過は書いてきたんですが
幕末の二人の丹後出身の蘭学者(むしろ英学者かな)について、ちょっと調べています。
中締めってとこで(あんまり思うように進まないけど・・・)まとめておきたいと思います

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by enokama | 2013-06-06 23:20 | 緒方洪庵と適塾 | Comments(0)