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エノカマの旅の途中

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  • 適塾見学会~緒方洪庵墓所他
    [ 2011-10-31 23:14 ]
  • 歴史秘話ヒストリア 「幕末スーパードクターズ ~緒方洪庵と江戸の名医たち~」
    [ 2011-05-27 23:45 ]
  • 所郁太郎に会いに行く~井上馨の思いと西方の記念碑
    [ 2011-05-13 23:12 ]
  • 所郁太郎に会いに行く~岐阜県大野町編
    [ 2011-05-11 23:38 ]
  • 緒方洪庵生誕200年 市民公開講座
    [ 2010-07-14 23:37 ]
  • まとめてGWの日記・2010 その2~適塾講演会感想など
    [ 2010-05-06 01:24 ]
  • 緒方洪庵先生のこと・適塾記念講演会(11月28日講演内容追記)
    [ 2009-11-27 23:40 ]
  • 肥前佐賀早回り~佐賀藩と適塾
    [ 2009-09-20 23:37 ]
  • 「福澤諭吉展」と「吉田松陰の足跡」の講演
    [ 2009-09-02 23:56 ]
  • 適塾特別展示のお知らせと更新情報
    [ 2009-06-11 23:10 ]

semスキン用のアイコン01適塾見学会~緒方洪庵墓所他semスキン用のアイコン02

  

2011年 10月 31日

適塾記念会の会員向けの見学会があって、日曜日に行ってきました!
場所は南森町(大坂天満宮)付近の緒方洪庵墓所あたりで、与力町・同心町と言った
(ずばりそう言う場所です)あたりを回ってきました。
ちょうど大塩平八郎の乱ですっかり焼けてしまったあたりですね。

前にも一通り回ってるんですが(→こちらこちら
今回は適塾の研究員さんの案内だったので新しい発見もありました。。。
前回の記事で触れなかった部分を中心に紹介します。

与力町あたり>>

by enokama | 2011-10-31 23:14 | 緒方洪庵と適塾 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01歴史秘話ヒストリア 「幕末スーパードクターズ ~緒方洪庵と江戸の名医たち~」semスキン用のアイコン02

  

2011年 05月 27日

今日は、先日から言ってました「緒方洪庵と適塾」の特集。
途中に「華岡青洲」の紹介も含んで、見応えありました!

洪庵先生の生涯から紹介されてましたが
体が弱く、武士には向かないとして
置手紙を残した「欲志医者」「不孝旦不肖の愚子 章敬白」には、17歳にして立派な手紙に
医者になる、決意のほどが感じられます。

まだ、そのころは医術の進歩もままならず
薩摩での「疱瘡祭り」が紹介されてましたが、治癒には祈祷やまじないに頼ることも多く
科学的療法は、まだまだの時代だったようです・・・

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by enokama | 2011-05-27 23:45 | 緒方洪庵と適塾 | Trackback | Comments(2)

semスキン用のアイコン01所郁太郎に会いに行く~井上馨の思いと西方の記念碑semスキン用のアイコン02

  

2011年 05月 13日

万延元年(1860)長州出身で適塾の塾頭も務めた、大野藩洋学校・伊藤慎蔵の紹介で
適塾に入った郁太郎は、緒方洪庵先生の幕府奥医師就任に伴う江戸行きまでの約二年間学び
西方の実家に帰って、父・伊織の実子・たつと正式に結婚し家業の医家の後継者として
平時であれば、地域にも期待される人物に行く行くはなるはずでした。

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by enokama | 2011-05-13 23:12 | 緒方洪庵と適塾 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01所郁太郎に会いに行く~岐阜県大野町編semスキン用のアイコン02

  

2011年 05月 11日

所郁太郎の講演会があると情報をいただき
先日の日曜日、2年ぶりに西濃・大垣方面に行ってきました!
(関連記事はこちら→その1その2その3
今回の講演でもらった資料などで、過去記事も一部訂正しております。。。

今回は美濃赤坂で生まれた郁太郎が、11歳の時に養子に入った先の西方(現・大野町→HP
に近い場所での講演ですが、講演場所の地図に最寄駅がない(!)のがちょっと心配でした。。。
(名鉄黒野駅ってのが、5年ぐらいまであったのだけど廃線になってしまったそうです)
調べてみたら、大垣からの路線バスで約30分と言うことで
朝9時始まりでもあり、前日に大垣に入って行ってきました!



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by enokama | 2011-05-11 23:38 | 緒方洪庵と適塾 | Trackback | Comments(2)

semスキン用のアイコン01緒方洪庵生誕200年 市民公開講座semスキン用のアイコン02

  

2010年 07月 14日

少し更新が開きました・・・
最近、残業して仕事をこなしてますので疲れてるんですよね(苦笑)
ですが、アクセスは多くいただいてまして
特に「中岡慎太郎」関連が増えているようです。。。
今年度後半、もっと慎太郎を推して行きたいと思っていますんで
引き続き、ご贔屓よろしくお願いします!


雨がたくさん降りました。。。
なんとか私の住んでいる地域は警報が出て、公民館に詰める等のことはなく
被害はなかったんですが、被災された方にはお見舞い申し上げます。
それと残念だったのが、四国・松山でも豪雨があってこちら(→四国旅行の記事)でも取り上げた
愚陀仏庵が残念ながら、裏の城山が崩れて全壊となってしまいました(→新聞記事
近接した萬翠荘も閉館中のようです。
どこも財政は厳しいようなので再建も困難な面もあるでしょうが、前向きな再建の方向になればいいですね。
それにしても水害がほんとここ数年、多いですよね。
地球規模での対策に、本腰入れて考えないとだめでしょう。
復旧も税金でするんですからね・・・このあたりの科学研究費は惜しまずに使うべきだと思います!


先週土曜日>>

by enokama | 2010-07-14 23:37 | 緒方洪庵と適塾 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01まとめてGWの日記・2010 その2~適塾講演会感想などsemスキン用のアイコン02

  

2010年 05月 06日

5月1日(土)
午前中は添乗準備の残り。
昼からは豊中の阪大・待兼山キャンパスにて「司馬遼太郎と適塾のあった大坂」講演。
司馬遼太郎記念館館長の上村洋行さん(義弟で司馬夫人・みどりさんの弟)

内容的にメインは「江戸時代の大坂」で
お上の整備した町・江戸に対して「民」で町を盛り立てていった大坂。
官立のエリート校「湯島聖堂」に対して、民で作った「懐徳堂」は貴賤貧富を問わず入門できたこと。
洪水対策で大和川の流れを変える工事ができて、大坂の「木綿」(河内)などの商品経済が発展
必要となる肥料のにしんが北前船で北海道から運ばれるようになった話など
司馬流の数字・経済学・大阪学を交えたわかりやすい話でした。
また司馬さんの駆け出し新聞記者の京都時代で学んだ伝統文化からの影響も(西本願寺の国宝内に
司馬さんの昼寝した椅子があるとか・・・新聞も今ほどページがなく、暇だったとか言ってたらしい)
面白い話でした。

最後に「坂の上の雲」のドラマ化について。
ずっと司馬さんが拒んでいたのは、画像になる事で戦争に勝った出来事が中心になってしまう事を
危惧していたこと。本人が亡くなってからのNHKの申し出・交渉には10年ほどかけてきて
昭和の時代と現在の映像技術の進歩の様子と、もう戦争を知る世代が少なくなってきたことで
今後に映像化できる人間もいなくなってしまうだろうとの理由もあって
最終的にみどり夫人が決断したそうです。
3分の1が終わっただけなので、まだ評価はできないと言われてました。。。
だから三部での戦争の部分の描き方がどうなるかでしょうね。
ちなみに生前の司馬さんはあまり、ドラマ化された作品には口出しはしなかったそうです!

構内の待兼山修学館では「えがかかれた適塾」(→こちら)として、適塾の特別展示が行われています。
適塾で学んだ手塚良庵は、漫画家・手塚治虫の先祖であって「陽だまりの樹」と言う作品で
適塾生や洪庵先生を描かれていて、その関連展示は今回が初めてじゃないでしょうか・・・
あと「洪庵と1000人の若ものたち」(洪庵没後100年記念・1963年作品/60分)と言う映画の上映が
常時行われていて、知ってる役者は八重夫人の市原悦子しかいなかったけど
武田鉄矢より全然いい洪庵先生や、福沢・長与・大鳥らの(大村はある意味、最高でした 笑)塾生が
あの適塾の大部屋で真夏に下帯一枚で、勉学に学ぶ生々しい雰囲気が良く伝わってきて
(むっちゃリアルな動物の解剖シーンはびっくりした・・・)
この映画を見るだけでも一見の価値があります(6月26日まで)


GW連休中>>

by enokama | 2010-05-06 01:24 | 緒方洪庵と適塾 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01緒方洪庵先生のこと・適塾記念講演会(11月28日講演内容追記) semスキン用のアイコン02

  

2009年 11月 27日

今年の初めにNHK「浪速の華」そして今放映中のTBSドラマ「JIN」と大坂の至宝であり
幕末期に現在の免疫(ワクチン)に通ずる天然痘やコレラの研究に心血を注ぎ
その撲滅のために海外からのワクチン(牛痘菌)を仁術によって全国に広め
一方、開いた蘭学塾・適塾では、のち明治期に活躍する多くの人物を育てた緒方洪庵。

今のドラマ「JIN」では武田鉄矢がどうかな~、ちょっと僕からしたら軽すぎかなと思ったりしたんですが
洪庵先生を知って興味をもってもらうには、いろんな方の感想を見ててもよかったみたいですね。
僕は橋本左内を調べるところから適塾と洪庵先生に興味を持つようになって、北浜に現存する適塾に通うようになり
会員にもなって3年ほどになります。
それから記事もちょくちょく書いてまして、おそらくこれだけ書いている人はいないだろうと自負しています(笑)
だから脚光を浴びるようになってとてもうれしいです。。。
もし一連のドラマで興味を持った方は、このカテゴリをお暇な時にでも遡って見てくださいね!

そして先日(16日)京都で北川村の方と別れた後、大阪に移動して
適塾記念講演会(→こちら)に行ってきました。
元々はこの講演会の時間の始まりが微妙で、仕事を午後休にしようと思ってたんですが
結局1日休むことにしました。


適塾記念講演会>>

by enokama | 2009-11-27 23:40 | 緒方洪庵と適塾 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01肥前佐賀早回り~佐賀藩と適塾semスキン用のアイコン02

  

2009年 09月 20日

幕末佐賀藩の明君で知られる鍋島閑叟(直正)は十七歳で家督を継ぎ、藩主になるために
初めての国入りの途上、一時その藩への借金返済の催促を求める商人らによって行列が止められた
と言う逸話があるほど藩財政は危機に陥っていた。

以降、衝撃を受けた閑叟は藩政改革を行い役人を五分の一に削減、農民の保護育成、陶器・茶・石炭
などの産業育成・交易に力を注ぎ藩財政を、一代にして立て直した。
一方地理的に長崎に近いため、従来より幕府から福岡藩と1年交代での長崎警備を命ぜられていたが
フェートン号事件(→こちら)等もあって外様ながらも外国警備を名目に、長崎での海外情報や技術の習得に努めて
藩内でアームストロング砲に代表される、近代兵器を作れるほどの技術力を持つようになって
軍事力の増強を図り、のちの討幕・戊辰戦争にもその動向でかなり局面を左右するほどの影響を持った。
その財源は長崎からの輸出貿易によってもたらされたと言う。
一般に開国により景気が悪化したと言う世論の多い頃(だから攘夷論も高まった)に実際に開国による
産業振興・貿易にて、その効用を実践した優れた先進性を持っていた。
このあたりは同じように開国政策で財政を立て直した福井藩にも通ずる所もある。
藩は精錬方という科学技術の研究機関を創設し、鉄鋼・加工技術、大砲、蒸気機関などの研究開発を行い
幕末期における最も近代化された藩の一つとなった。

その精錬方跡地(城の城西・長瀬町。築地反射炉が復元されている)



もっと見る>>

by enokama | 2009-09-20 23:37 | 緒方洪庵と適塾 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01「福澤諭吉展」と「吉田松陰の足跡」の講演semスキン用のアイコン02

  

2009年 09月 02日

この夏に行って見たかった京阪神の三つの展覧会(→こちら)報告の最終回です!

大阪市立美術館(天王寺公園内)


まずは福澤の家族についての展示。ここにもありました「迷子札」(息子・一太郎の物)
これは完全に小判の形をしていて、片面が「住所 ~倅」 裏面が「猪」の絵が入っているものでした・・・
最近まで「迷子札」って存在は知らなかったけど、なんか親の子に対する愛情って伝わってくるようで
いいもんですね!(僕らだったら、小学校の名札を付けろって言われてましたが)
なぜ裏の柄がわかるかって言うと展示に工夫がしてあって、反射鏡で裏面を見えるようにしてあったからです。
先日は伊庭八郎の迷子札を見てきましたが、次回展示される際はぜひ裏面も工夫してもらって
見られたらいいなと思います!

思想面では早くから「男女同権」を謳っていて、結婚後は両方の姓から一文字ずつ取って「新姓」を
作るって提案もしていたそうです。
「慶応義塾」設立も、仲間「社中」と言う精神であった。
留学関連は、咸臨丸関係では代表の木村摂津守の「英文名刺」
上海に行った際の清国人が英国人に奴隷のように扱われている報告(高杉晋作も書いていたことですが)

「学問のすすめ」の初版本は、師・緒方洪庵先生や蓮如「御文庫」に習って平易な文体を心がけた
と言うことで非常に読み易いものとなっていました。
明治の文部行政の草分け的な存在だった薩摩出身・森有礼は非常に気に入って、大久保利通に読むこと
を勧めたと言う書簡。
偽造写本が出回り「著作権の確立」の設定を求めた書簡も興味深かったです。

「明治政府とのかかわり」
明治政府の出仕命令を辞する願書。
日本での国会開設・憲法設定が現実味を帯びたころ、伊藤博文・井上馨・大隈重信ら政府主流派は
英国流の国会開設を目指し国民に周知させるため、福澤に「官報」的な新聞の発行を依頼し
彼自身も大いに共鳴し協力を約束しますが、やがて井上・伊藤はそれを反故にし、プロシア流の
憲法設定を目指し大隈を追放してしまいます(明治14年の政変)
そして政府に多くいた大隈・福澤らの門下生も追放されて行きます・・・
その井上・伊藤に対する抗議の書簡や、三島通庸による警視庁機密探偵報告書
(激しく密偵が付回していたらしい)
のちに設定される「保安条例」による福澤・後藤象二郎に対する退去命令文など。
ここでも井上・伊藤の悪事が出てきます(苦笑)どこまで悪なんや・・・
この確執は後年にも残って、ある出版パーティがあってその招待状がくるんですが
そこでの挨拶の最初の順番が直接出版に関係ない、政府の要人ってことで呼ばれた伊藤になっていた
のに対し、自分の名前を墨で消して送りかえした文(苦笑)もありました。

最後には有名な「痩我慢の説」があって、今日の展示は旧幕臣が「その通り」(笑)と文を書き入れた
ものでした。
勝海舟がそれに対して反論したのも知られた話ですが、その書簡もありました。
感情的でなく淡々とした文面が印象的でした・・・

じっくり70分ほど見てきました!
思ったより貴重なそれも実物がこれだけ、たくさん見られたのはとてもいい展示だったです。
まあ前にも書いたけど根本的に、この人はあまり好きではないんで(苦笑)それが変わるまでも
行かなかったですけどね・・・
土産は「福翁自伝」を買ってきました。大村の悪口(!)とか結構面白いネタも多いので、また紹介したいです!


この後は大阪龍馬会(HPはこちら)の講演で「吉田松陰の足跡」を聞いてきました。
現地取材を交えた(下田の異国船への乗り組みの様子は、とても感心するぐらい調べておられました)
話はとてもよくわかりました!
「部屋で書物を読むだけでは世の中はわからないので旅に出る」での遊学の話や
佐久間象山との関わりは興味深かったです。
大阪の方とは去年秋の福井以来でしたが、楽しくためになる話をいろいろ聞かせていただきました。
ありがとうございました!

by enokama | 2009-09-02 23:56 | 緒方洪庵と適塾 | Trackback | Comments(2)

semスキン用のアイコン01適塾特別展示のお知らせと更新情報semスキン用のアイコン02

  

2009年 06月 11日

適塾特別展示「緒方惟準(これよし)の生涯」
(→こちら
6月14日(日)までなんで、もう時間はあまりないのですが
大阪・北浜の適塾にて、緒方洪庵の次男で洪庵先生の死後に緒方家を継いだ惟準
の特別展示があります。
明治維新後、適塾を発展させた「大阪医学校」を名蘭医・ボードインと共に創設し
大阪医学の基礎を築きました。
適塾出身の大村益次郎の遭難時は、惟準とボードウィンで手術(足を切断)したことが知られています。
ボードイン関係のノートや、惟準の翻訳書など普段見られない展示がされています。
僕も土日のいずれかに行きたいと思っています!

(2009年6月14日 追記)
行ってきました。
通常の展示より100%増しの内容だったので 、大変充実していました!
案内にはなかったんですが、大村益次郎が亡くなる20日前に三条実美に書いた手紙
(ボードインに払う給金に困るほど現状「大阪医学校」が窮していること。東京での政府への出仕が求められている
惟準がいなくなると、ボードインは辞めるだろう)
があって、その字体のなぐった(ちゃんと座した状態で書いていない?)感じが印象的でした。
後一通は郷里の父宛の手紙で「彰義隊殲滅」~「会津落城」を淡々と彼らしく書いていました。

今でも通用しそうな「緒方病院」の開院案内。
惟準の翻訳した医学書や、北陸へ遊学中に母・八重からもらった手紙など、いい展示を見れました!


更新情報(画像追加)
(2008年6月 一心寺・会津藩士墓所
(2008年6月 安居神社・真田幸村
(2008年9月 大阪松屋町・ぜんざい屋事件
 

by enokama | 2009-06-11 23:10 | 緒方洪庵と適塾 | Trackback | Comments(4)