この夏に行って見たかった京阪神の三つの展覧会(→
こちら)報告の最終回です!
大阪市立美術館(天王寺公園内)

まずは福澤の家族についての展示。ここにもありました「迷子札」(息子・一太郎の物)
これは完全に小判の形をしていて、片面が「住所 ~倅」 裏面が「猪」の絵が入っているものでした・・・
最近まで「迷子札」って存在は知らなかったけど、なんか親の子に対する愛情って伝わってくるようで
いいもんですね!(僕らだったら、小学校の名札を付けろって言われてましたが)
なぜ裏の柄がわかるかって言うと展示に工夫がしてあって、反射鏡で裏面を見えるようにしてあったからです。
先日は伊庭八郎の迷子札を見てきましたが、次回展示される際はぜひ裏面も工夫してもらって
見られたらいいなと思います!
思想面では早くから「男女同権」を謳っていて、結婚後は両方の姓から一文字ずつ取って「新姓」を
作るって提案もしていたそうです。
「慶応義塾」設立も、仲間「社中」と言う精神であった。
留学関連は、咸臨丸関係では代表の木村摂津守の「英文名刺」
上海に行った際の清国人が英国人に奴隷のように扱われている報告(高杉晋作も書いていたことですが)
「学問のすすめ」の初版本は、師・緒方洪庵先生や蓮如「御文庫」に習って平易な文体を心がけた
と言うことで非常に読み易いものとなっていました。
明治の文部行政の草分け的な存在だった薩摩出身・森有礼は非常に気に入って、大久保利通に読むこと
を勧めたと言う書簡。
偽造写本が出回り「著作権の確立」の設定を求めた書簡も興味深かったです。
「明治政府とのかかわり」
明治政府の出仕命令を辞する願書。
日本での国会開設・憲法設定が現実味を帯びたころ、伊藤博文・井上馨・大隈重信ら政府主流派は
英国流の国会開設を目指し国民に周知させるため、福澤に「官報」的な新聞の発行を依頼し
彼自身も大いに共鳴し協力を約束しますが、やがて井上・伊藤はそれを反故にし、プロシア流の
憲法設定を目指し大隈を追放してしまいます(明治14年の政変)
そして政府に多くいた大隈・福澤らの門下生も追放されて行きます・・・
その井上・伊藤に対する抗議の書簡や、三島通庸による警視庁機密探偵報告書
(激しく密偵が付回していたらしい)
のちに設定される「保安条例」による福澤・後藤象二郎に対する退去命令文など。
ここでも井上・伊藤の悪事が出てきます(苦笑)どこまで悪なんや・・・
この確執は後年にも残って、ある出版パーティがあってその招待状がくるんですが
そこでの挨拶の最初の順番が直接出版に関係ない、政府の要人ってことで呼ばれた伊藤になっていた
のに対し、自分の名前を墨で消して送りかえした文(苦笑)もありました。
最後には有名な「痩我慢の説」があって、今日の展示は旧幕臣が「その通り」(笑)と文を書き入れた
ものでした。
勝海舟がそれに対して反論したのも知られた話ですが、その書簡もありました。
感情的でなく淡々とした文面が印象的でした・・・
じっくり70分ほど見てきました!
思ったより貴重なそれも実物がこれだけ、たくさん見られたのはとてもいい展示だったです。
まあ前にも書いたけど根本的に、この人はあまり好きではないんで(苦笑)それが変わるまでも
行かなかったですけどね・・・
土産は「福翁自伝」を買ってきました。大村の悪口(!)とか結構面白いネタも多いので、また紹介したいです!
この後は大阪龍馬会(HPは
こちら)の講演で「吉田松陰の足跡」を聞いてきました。
現地取材を交えた(下田の異国船への乗り組みの様子は、とても感心するぐらい調べておられました)
話はとてもよくわかりました!
「部屋で書物を読むだけでは世の中はわからないので旅に出る」での遊学の話や
佐久間象山との関わりは興味深かったです。
大阪の方とは去年秋の福井以来でしたが、楽しくためになる話をいろいろ聞かせていただきました。
ありがとうございました!