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エノカマの旅の途中

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  • 土佐・長宗我部めぐり~岡豊城跡と正二位のあの方
    [ 2012-03-29 23:17 ]
  • 土佐・長宗我部めぐり~浦戸城跡あたりと龍馬の姉の碑
    [ 2012-03-23 23:14 ]
  • 龍馬暗殺の黒幕は歴史から消されていた
    [ 2012-01-22 23:31 ]
  • 板垣退助のヴィトン
    [ 2011-09-17 22:07 ]
  • 武市半平太「恨無限」と慎太郎の死を伝えた手紙
    [ 2011-07-18 23:19 ]
  • あの銅像騒動のその後
    [ 2011-03-15 22:09 ]
  • 武市先生と慎太郎と虎太郎にも失礼
    [ 2011-03-02 22:44 ]
  • 野中太内の切腹
    [ 2010-12-09 23:31 ]
  • 土佐の博物館めぐり 2010
    [ 2010-11-21 23:03 ]
  • 梼原・脱藩の道を歩く~その3
    [ 2010-09-29 23:34 ]

semスキン用のアイコン01土佐・長宗我部めぐり~岡豊城跡と正二位のあの方semスキン用のアイコン02

  

2012年 03月 29日

こちらは浦戸にも近い場所にある若宮八幡宮です。

戦国武将・長宗我部氏が一番勢力を伸ばし「四国の雄」となったころの元親が初陣祈願をした場所で
見事に勝利を飾り、その後は「出陣祈願の社」とされ現在はゆかりの場所として立派な像が建てられています。

八幡宮


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by enokama | 2012-03-29 23:17 | 土佐藩 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01土佐・長宗我部めぐり~浦戸城跡あたりと龍馬の姉の碑semスキン用のアイコン02

  

2012年 03月 23日

お城めぐりのレポが3件ほど溜まってますんで、少しずつ紹介して行きます!

「龍馬伝」の年に高知に行った際は、混雑を避けて(?)長宗我部めぐりをしてきました。
この時は車で行ったので結構回れたものです。

まずは浦戸城跡からです。
一時期、長宗我部氏が本拠とした所で、場所は現在の国民宿舎と坂本龍馬記念館の建っているあたり
なので行かれる方は多いでしょうが、ツアーのバスで行かれる方は施設内を見るだけで時間が
済んでしまうと思うので、気づかれないかもしれません。
遺構も建物がいっぱい建ってますので、わずかばかりの石垣程度になっています。。。



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by enokama | 2012-03-23 23:14 | 土佐藩 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01龍馬暗殺の黒幕は歴史から消されていたsemスキン用のアイコン02

  

2012年 01月 22日

著者の中島さんとは以前からメールのやり取りを、させていただいてたのですが
いよいよ坂本龍馬・中岡慎太郎暗殺にまつわる考察本が刊行されましたので
早速、書店に並んでいたのを買ってきました!


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by enokama | 2012-01-22 23:31 | 土佐藩 | Trackback | Comments(2)

semスキン用のアイコン01板垣退助のヴィトンsemスキン用のアイコン02

  

2011年 09月 17日

「板垣退助のヴィトン」→こちら

高知市出身の自由民権運動の指導者・板垣退助の遺品が、都内在住の子孫から同市立自由民権記念館(松岡喜一館長)に寄託され、16日報道関係者に公開された。寄託されたのは、板垣が外遊先のパリで
購入したルイ・ヴィトン社製のトランクや百円札の肖像画に使われた写真、皇室から贈られた銀製の器など
41点で、同館では「どれも貴重な遺品」としている。一般公開は来月26日から。

今回の遺品は板垣が没した後、娘2人に受け継がれ、戦前は板垣の四女・千代子が嫁いだ浅野泰治郎
(旧浅野財閥)の自宅地下倉庫に収蔵されていたものの一部。東京大空襲で浅野宅は全焼してしまったが、地下倉庫の遺品だけは奇跡的に傷一つなく残っていたという。その後、子孫が大事に遺品を受け継ぎ
昨年5月に板垣のひ孫に当たる小山朝和さん(東京都稲城市在住)が、板垣の生まれ故郷である高知で
遺品を活用してもらおうと同館へ打診していた。

当時から欧州貴族に親しまれていたヴィトンのトランクは木製。現在のような「LV」のモノグラムではなく、縦じま模様になっているのが特徴だ。板垣は1882年から元土佐藩士の後藤象二郎と欧州を外遊中に購入し、帰国する際にはトランクに政治思想にまつわる書籍を積み込んでいたという。

松岡館長は「自由民権運動という歴史的な事実だけを知るのではなく、数々の遺品から板垣の生きていた時代を想像してほしい」と話した


日本でヴィトンを初めて使ったのは後藤象二郎ってのはちょっと有名ですが
板垣も持ってたんですね・・・
まあ、この後藤と行った外遊もその旅費を巡って疑惑が起きてしまった因縁もあるんですけど(苦笑)

高知で置かれるのは非常にいいことだと思います!

by enokama | 2011-09-17 22:07 | 土佐藩 | Trackback | Comments(2)

semスキン用のアイコン01武市半平太「恨無限」と慎太郎の死を伝えた手紙semスキン用のアイコン02

  

2011年 07月 18日

先週金曜日に霊山歴史館に行ってたんですが
その時に学芸員さんから、武市半平太の発見の話をお聞きしました。

こちらも佐川・青山文庫名誉館長の松岡司さんの発掘です。
ニュース記事→こちら

幕末の土佐勤王党盟主・武市半平太(瑞山・1829~65)が、切腹直前に「恨(うらみ)無限(かぎりなし)」
などと無念さをつづった漢詩の書。獄中で記したとは思えないほど立派な書は、信頼していた
牢(ろう)番に贈られたものだった。1世紀半を経て初めて世に出たことに、14日発表した
高知市立龍馬の生まれたまち記念館や専門家らは「よくぞ残ってくれた」と驚きを隠さない。

武市は獄中で漢詩を詠み始め、約50首を「メモ書き」した雑記帳が残されているが、作品としての書は現存
しないとされていた。贈られた牢番・門谷貫助(1843~94)は武市に心酔し、武市も信頼していたと伝わる。

書を保管していた高知市の植田夏彦さん(故人)が残した由来書によると、門谷が
「一生の記念、一家の宝に何か書きて給(たま)はらぬことを乞ふ」と武市に頼んだという。
夏彦さんの父、重治さんは、門谷と同じ同市春野町西分に住んだ富農で、門谷と交流があり
何らかの形で家蔵したらしい。

夏彦さんに受け継がれた後も、奇跡的に残った。戦前、単身で朝鮮半島に渡った際には書を持参し
日本人学校で教師を務めた。終戦後の引き揚げで、食料や衣類を手放しても、この書だけは
「危急の折といへども放棄するに忍びず、表装を外し一巻となしてリュックサックに負ひて帰るを得たり」と
辛うじて守り抜いたという。

書を鑑定した松岡司・前佐川町立青山文庫館長は「改革を果たせなかった無念さは、武市が
何よりも言いたかったこと。最も信頼した門谷だから託せたのだろう。海を越え、代々大切に
されるに足りる、残すべき作品」と感慨深げだった。


高名な政治犯に対して、心酔した牢番がなにかと便宜を図ったと言う話は
幕末でも結構あるわけですが(牢番自身が身分の低い者が多いため、境遇の近い彼らを遇した)
半平太に対しても、牢では比較的恵まれていたそうで、その礼として彼らに得意の絵を送ったり
このように書を送っていた。
それにしても牢で書いたとは思えない、確かに立派な書です。
そして、この文言を選んだのも、長い獄中での壮絶さを感じます。。。

「主君の命に従う」とは表向きであって、左向き右向きの藩方針のぐらつきで犠牲になった家臣らは
結構、長州などを見ても決して納得して「死を賜る」ってことはなかったようです。
「~の獄」で切腹などど、あっさり文章で片付けてしまいがちだけど
一つ一つのその犠牲にもドラマがあったんだろうし、そんな面の伝わる今回の発見はとても貴重な
物だと思います。。。
この書の残った経緯を見てもドラマチックですね!

それと未だに、去年の大河を引きずってる人やら(あんなデタラメ話を)
相変わらず半平太をテロリスト呼ばわりする輩がいるけど
結果論だけで物を言うなってんだ。
その道が間違ってなかったって思いがあるし、結局は主君に受け入れられなかったんだ。
「わしがまちがっちょった」そんな思いで死んだのではないってことは、はっきりわかるでしょう。。。

今回の記事はたくさんの新聞に載っていたようです。
松岡さんのこれからの活動も期待しています!

慎太郎の死を伝えた手紙>>

by enokama | 2011-07-18 23:19 | 土佐藩 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01あの銅像騒動のその後semスキン用のアイコン02

  

2011年 03月 15日

地震の後、土曜日は梅田に
日曜日は京都にいました。。。

もちろん地震の話はしますが、まったく普段通りで
「阪神・淡路大震災」の時も、ほんと目と鼻の先の出来事だったのに
変わらない生活がありました。

今週の仕事も表向きは影響なし。
でも車関連では、打撃を受けています。
株安はもちろん、さらなる円高ともなり(ちょっと、なぜだかわからないけど)
容赦ありません…
もうほどなく影響も、こうむるでしょう。。。

関東の方、交通混乱の中の通勤も大変でしょうが
経済活動もがんばって行かないと、復興も進みません。
我々は日々の生活を必死になって、頑張るしかないんです!

電気復旧の東北電力・東京電力を始め、インフラ復旧工事に携わる方
「72時間」に迫るなかの救助活動、ボランティアの方・・・
本当に寒い中でしょうけどお疲れ様です。
東京電力に対する批判は容赦ないし、企業体質まで叩く内容も見られます。
神戸の時もそうでしたが「関電」の方は、不眠不休に近い仕事をしていました。
「東電」も現在、多くの人が復旧に携わっています。
そのことも知ってください!

テレビはもうそろそろ、定時放送に戻っていくようです。
後付けの結果論だけの地震評論家や、原子炉についてのよくわからない解説
被災者の方への容赦ないレポになっていますので、もういいのかもしれません。
報道ヘリについても、枝野さんが言ってくれたようで、ちょっとは収まっているようです。
まあ、普段に戻った放送が、くだらないものばかりなのはしょうがないですけど(苦笑)

「原子力」をこの後に及んで、叩いている人は
それがなくなってしまえば「輪番停電」以上のことになるのは、わからないんでしょうか?
「電気使わない」って言うなら別ですけどね。
本当に未曾有の災害なんです。
くだらない揚げ足は取ってる場合じゃない。
復旧に協力して、これからの行く先を、頭出し合って考える状態ですよ。。。
結果的に「命がけ」の作業になってしまった自衛隊員の方のご無事を。
そして救出活動で、一人でも多くの命が救われるように祈っています!

高知のこと>>

by enokama | 2011-03-15 22:09 | 土佐藩 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01武市先生と慎太郎と虎太郎にも失礼semスキン用のアイコン02

  

2011年 03月 02日

土佐についての記事は久しぶりであります。

過去2、3年ぐらいは去年の大河ドラマに備えて、いっぱい調べて記事にしてきて
それこそ大河からのキャストにも漏れてしまった、吉村寅太郎や樋口真吉や小南五郎右衛門まで
書いてきたんですが
肝心なドラマ自体が、正直「龍馬だけで維新がなった」と言うような最悪な内容で
なんだか調べてきたのが徒労のようで、反応もなかったので
ちょっと書く気もなかったんです。。。

このへんの維新の話って、ほんとにデタラメがまかり通ってるし
僕が違うって言ったら言ったで、それぞれの信者に文句も浴びるから
もう最近は記事にも、しにくくなってるんだけど(龍馬と新撰組と会津はNGです)
今、調べている江戸中期とか開国の話なんて、本当に
「江戸時代ってそんなに笑える時代じゃなくって、倒さないといけないほど
民政や外国との付き合いもなってなかったんですか?」って言うのが、決して違うってことが
まだ主張できるような気もするんで、やりがいがあるんです。。。

以下は郷土の歴史がわかっていない、アピールの仕方が下手なただの便乗話のことです・・・
「龍馬けなし」はしてないつもりですが、人によってはそう取られるかもしれませんので
ご了承ください!

新聞記事より>>

by enokama | 2011-03-02 22:44 | 土佐藩 | Trackback | Comments(8)

semスキン用のアイコン01野中太内の切腹semスキン用のアイコン02

  

2010年 12月 09日

まもなく明治と改元される、戊辰・慶応4年(1868)5月27日。
土佐・高知城下、上会所にて一人の男が切腹を命じられる・・・
野中太内、藩政初期の名宰相・兼山の末裔で馬廻の大身。
慶応元年(1865)閏5月の武市半平太切腹に際しては、小目付として容赦ない調べをする一方
豪胆で情を合わせ持った男で、半平太も一目おいていたとも伝わる。

そんな太内も時勢に葬られ、また筋を通した武士であったのだ・・・

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by enokama | 2010-12-09 23:31 | 土佐藩 | Trackback | Comments(5)

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2010年 11月 21日

今日は、淀競馬場のマイルCSには目もくれず
ちょうど対岸の天王山に登ってきました(笑)
300円の参加費で4時間ほど、みっちり現地学習でお話を聞いて来ました!
非常によかったので、のちほどじっくり記事にしたいと思います。。。

そういえば「龍馬伝」もあと二回なんですね。
こんなに最終回に向けて、盛り下がってくるのも(苦笑)
一応、録ってはいるけど「いろは丸」の回以降は、なんかきっかけないと
見る気がしないんですよね…ま、どうでもいいけど。
まだ、裏の「イモト」の方がためになるし面白い!

あと来週は添乗が2日入ってるんで、更新は飛び飛びになってくると思います。
どうせ道も混むだろうから、まともな時間にも帰れないかな・・・
紅葉もぐっと色づいてきましたし。

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by enokama | 2010-11-21 23:03 | 土佐藩 | Trackback | Comments(3)

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2010年 09月 29日

ここから→続きです)

梼原には茶堂という茅葺き・板敷きのお堂があります

古くからあるもので、木像や石像か祀られて「信仰と心情と社交の場」となってきました。
道を行きかう人たちの安らぎの場所にも、なっていたでしょうね!
今は村に13ヶ所残されているそうです。

続き>>

by enokama | 2010-09-29 23:34 | 土佐藩 | Trackback | Comments(0)