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エノカマの旅の途中

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  • 憧れの庄内フレンチ
    [ 2011-10-28 23:16 ]
  • この方だったら庄内をどう書くのだろう
    [ 2011-10-27 23:24 ]
  • 庄内本と映画「小川の辺」
    [ 2011-07-17 21:53 ]
  • 庄内藩・酒井玄蕃と七星旗
    [ 2011-05-19 23:40 ]
  • 庄内藩・薩摩藩邸焼き討ちの真相
    [ 2011-05-18 23:02 ]
  • 庄内本~「七星旗 白雲の間を動く」刊行します
    [ 2011-05-15 22:55 ]
  • 本間郡兵衛~幕末の庄内と薩摩のつながり
    [ 2011-04-04 21:32 ]
  • 幕末特別展示情報と佐藤政養の馬町の碑
    [ 2011-03-19 09:37 ]
  • 「新徴組」単行本と「藤沢周平と鶴岡」
    [ 2010-10-05 23:25 ]
  • 庄内藩を知る参考文献 その4
    [ 2010-09-21 23:26 ]

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2011年 10月 28日

先日の京都国立博物館の記事にも、関連記事画像(→こちら)を追加しましたが
京都・馬町の佐藤政養顕彰碑のことで(→詳細)動きがあったようです!
もう京都新聞のサイトでは一月以上前の記事だったようで、落ちていましたので
文章が残っていた所(47なんとかってとこ)からコピペしました。

京都市東山区にある、明治政府の官僚佐藤政養(せいよう)(1821~77年)の招魂碑が存続の危機にある。
国内初の鉄道敷設に尽力した功績があるが、先人の足跡が忘れられ朽ちつつあるのは忍びないと
故郷の山形県遊佐町が再興に乗り出した。

政養は幕末に勝海舟の塾で蘭学や測量術を学んだ。明治維新後は新橋―横浜間の鉄道敷設の測量や
設計を担い、鉄道技術者を指揮する民部省の初代鉄道助を務めた。京都勤務も経験し、京都―敦賀間の
鉄道建設の建白書を政府に提出した。

招魂碑は東山区の馬町商店会の路地奥にある。1878年に政養の遺族が建てた。政養が祖先とあがめた
中世の武将ゆかりの石塔があり、政養が生前に土地を買ったという。
招魂碑は長らく放置され、高さ約1・8メートルの表面は大半がはがれ落ち、碑文も判読が難しくなっている。周囲は防空壕(ごう)を掘った際に出たとされる盛り土で一部が埋まり、雑草が茂るなど荒廃が進む。

遊佐町は以前から顕彰会を通して地元で先人をしのんできた。しかし昨年、大河ドラマで勝海舟門下の
坂本龍馬の先輩として登場して注目が集まったことから「碑復活のラストチャンス」と判断した。

本年度は政養の顕彰経費として前年度比2倍の20万円を予算計上、6月には町職員が現地調査を始めた。

招魂碑のある土地は現在、国が保有する。町は購入を申し出たが、財務省京都財務事務所は
「遊佐町は法的に碑とは無関係」とし、町に碑の所有者の特定を求めた。そこで町は、東京都内の
政養のひ孫に修復への協力を頼み、ひ孫の同意を得て土地を買い受け、修復を始める構想だ。
町の村井仁企画課長は「政養が持つ一族への誇りと京都での活躍の証しを、京都に何とか残したい」と話す。

確かに行った時は荒れてるなって感じでした。。。
遊佐の顕彰会は毎年、行事もされているし昭和50年ごろには「佐藤政養書簡集」も発行されています。
今回の動きも実を結んでほしいもんです!
正直、昨年の大河はあんまりな出来だったけど、政養さんが注目されるようになったことは良かったと思います。
調べたらまだ何人か海舟門下に庄内出身者はいるんですけどね。。。


本題に入りまして、今日は庄内藩のカテゴリですが「現代史」の紹介です!
それにしても、この本の題名は長すぎる(苦笑)

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by enokama | 2011-10-28 23:16 | 庄内藩 | Trackback | Comments(2)

semスキン用のアイコン01この方だったら庄内をどう書くのだろうsemスキン用のアイコン02

  

2011年 10月 27日

別のネタを書くつもりでしたが
色の違う話で長くなってしまったので、本題はまた次にします。。。



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by enokama | 2011-10-27 23:24 | 庄内藩 | Trackback | Comments(1)

semスキン用のアイコン01庄内本と映画「小川の辺」semスキン用のアイコン02

  

2011年 07月 17日

庄内本「七星旗 白雲の間を動く」(→こちら
たくさんの方にお読みいただき、ありがとうございます!

今月の霊山歴史館の会報にも、関連記事を載せていただき
ご意見もいただきました。
これからも、もっと「庄内藩」を普及して行かねばと、改めて思った次第であります。。。

後、出したからこそわかった問題点も出てきまして
これからの参考にさせていただきます。。。
その他感想ありましたら、お気軽にお寄せくださいね。

また私の受け持ち分は残部些少になってきましたので、まだ申し込まれていない方は
早めにお願いします!


藤沢周平映画>>

by enokama | 2011-07-17 21:53 | 庄内藩 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01庄内藩・酒井玄蕃と七星旗semスキン用のアイコン02

  

2011年 05月 19日

今回の庄内本、光夢世宇留(せうる)さんは関東の方で
僕とは去年の顔合わせで、一度お会いしただけなんですが
三人の中では一番、現地・庄内に足を運んで各所回っていまして
HP・ブログでも、そのレポートを詳しく書かれています(→こちらこちら
今回の僕の執筆では、地元でしか手に入らない貴重な書籍も貸していただき
大変、参考になりました!

今回はその現地写真・レポも交えた「酒井玄蕃と戊辰戦争」を中心に書いています。
正直、僕の庄内へのアプローチって言うのが、お二人とは違っていて
常勝・庄内藩の「戊辰戦争」は、まだまだ勉強中なんですが
(そのアプローチの違いがあるので、それぞれが得意分野で分担したら
いろんな角度から幅広い目で見た、庄内藩を紹介できるのではと今回の共著となりました)
純粋に強くってかっこいいし、戦場ではついて回る卑怯な振る舞いや残酷な話ってのが
ほぼ皆無であって(→こちら)その本来あるべき武士道と言うものがしっかり根付いた
庄内の教育にも見どころがあったわけなんです。

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by enokama | 2011-05-19 23:40 | 庄内藩 | Trackback | Comments(2)

semスキン用のアイコン01庄内藩・薩摩藩邸焼き討ちの真相semスキン用のアイコン02

  

2011年 05月 18日

今回の本では、Akiさんが「薩摩藩邸焼き討ち事件」を中心に書いています。
最初は大山庄太夫の一件(→こちら)にしようかなとも、お話してたんですが
大山らを粛清した佐幕派の菅・松平体制が、戊辰戦争後に東北の多くの藩首脳がその首謀者として
死罪とされたことも多い中で、庄内は領国も安堵され、その藩体制がほぼ引き継がれたと言う事情があって
西南戦争直前に至っても、薩摩とその影響を受けた庄内のみが旧藩体制で残ると言う
異例な状況が残っていました(→こちら
また西南戦争後も旧藩主・酒井家は庄内に留まり
(ほとんどの旧藩主が、政策もあって東京に移された中でこれも異例なこと)
旧士族や本間家と組んで、士族救済を名目に手がけていた松ヶ岡開墾を始め
多くの事業を展開、なおも彼らは庄内で実力を持ち続けていました(→こちら


維新によって体制が大きく変わった地域では当然、大山のような人物は「勤王殉難志士」として
顕彰して語り継がれるはずですが、その体制が残っていたのですから
タブーとなって忘れ去られるようになり、語ることも憚れたのは必然の成り行きでしょう。
昭和になって、阿部正己「荘内藩幕末勤王秘史」によって、ようやく広く知られるようになったそうですが
そのころだと維新当時を知る人も少なくなってしまってたでしょうから
史料と言うのが、根本的に少ないと言う事情があったのです。。。

薩摩の陰謀>>

by enokama | 2011-05-18 23:02 | 庄内藩 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01庄内本~「七星旗 白雲の間を動く」刊行しますsemスキン用のアイコン02

  

2011年 05月 15日

いつもお世話になっている
庄内スキー仲間のAkiさんと光夢世宇留さんとの共著で
「七星旗 白雲の間を動く」が完成いたしました!



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by enokama | 2011-05-15 22:55 | 庄内藩 | Trackback | Comments(10)

semスキン用のアイコン01本間郡兵衛~幕末の庄内と薩摩のつながりsemスキン用のアイコン02

  

2011年 04月 04日

ようやく、庄内についての原稿が一区切りとなり
長くお借りしていた本も、もうそろそろお返ししなくてはならないので
今回、原稿には入れませんでしたが、最後に幕末の一人の人物についてこの本を参考に
記事にしておきたいと思います!(→こちらも参考にしてます)

本間郡兵衛は、酒田・本間家分家の廻船問屋の次男として生まれ
17歳で江戸に出て蘭学を学び、勝海舟の下で蘭学教師を務め(勝門下には庄内人が多い)
さらに長崎のフルベッキ塾で英語を学んだ。
また葛飾北斎に絵も習っていて、号を「北曜」とも称している。
ちなみに、この分家・本間新四郎家はすでに本家とは縁が切れていて「アンチ本間家」のスタンスとなり
代々、教育や文化の面で人材を出してきたと言う。。。



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by enokama | 2011-04-04 21:32 | 庄内藩 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01幕末特別展示情報と佐藤政養の馬町の碑semスキン用のアイコン02

  

2011年 03月 19日

先週日曜日は京都に行っていたんですが、新装なった霊山歴史館(→HP
に行ってきました!
現在「幕末外交展」をやっていまして、フランスの文書などの外交資料
久里浜のペリー開国交渉の絵図、「矢嶋戦争図」なども久しぶりに出されていました。
印象的だったのはHPにもあるように、3Dのシアターで「ペリーの生涯」「幕末の外交交渉」
それぞれ10分ほどだったんですが、この内容が非常にわかりやすくって出来がよかったです。
今、あの童門氏のよく書いている歴史月刊誌が今回「勝海舟特集」なんですが
「幕府は時代遅れ、守旧」みたいな論調が全体的にされていて、非常に憤慨していたのですが
このシアターでは、幕府や対立関係にあった薩摩と長州なども同じ目線で
それまでどんな鎖国だったのかや、開国への取り組み方も、偏りなく作られていて感心しました!
4月3日(日)までで、2日(土)の講演はまだ受付が行けます!

中岡慎太郎館(→HP)から案内がきました。
6月12日(日)まで「中岡慎太郎と陸援隊」展が行われます(4月以降は毎週火曜休館になります)
陸援隊資料は寄贈で増えているそうで、佐川町の青山文庫からも慎太郎や大橋慎三の手紙が
借りられています(慎太郎から本山只一郎への手紙はいくつかありますが、一番緊迫した内容に見えます)

また関西では、4月に私も企画(→こちら)もしていますのでよろしくお願いします!

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by enokama | 2011-03-19 09:37 | 庄内藩 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01「新徴組」単行本と「藤沢周平と鶴岡」semスキン用のアイコン02

  

2010年 10月 05日

NHKの「10年先も君に恋して」(→HP)が最終回でした。
う~ん、久しぶりにいいドラマを見ました。。。

上戸彩も、こんなにいい女優だと思わなかったし
もちろん内野聖陽さんの好演(怪演?)も最高でした!
脚本はまあ、ありふれた内容かもしれないけど
笑えるし普通に夢を見て恋をして、親近感あるようで深い所もあって…
二人を見守る、先輩や恩師にあたる藤竜也や高島玲子もすごく温かい。

こんなドラマだったら、演じてる役者さんやスタッフも楽しいだろうな!
またDVDが出るようですんで、じっくり見返してみたいです。。。


話、変わって
山形新聞に連載されていた「新徴組」が単行本になりました。
新聞はとても読めませんでしたんで、待ってましたよ!
(新徴組について→こちらも)

庄内本>>

by enokama | 2010-10-05 23:25 | 庄内藩 | Trackback | Comments(2)

semスキン用のアイコン01庄内藩を知る参考文献 その4semスキン用のアイコン02

  

2010年 09月 21日

今回、お借りした本は
・森 藤右衛門…佐藤治助
(板垣退助や河野広中と並ぶ庄内を代表する自由民権家)
・庄内転封一揆乃解剖…黒田伝四郎
(いわゆる天保義民一揆の従来の定説を覆す解説本)
そして、古本屋で買い求めた
・ワッパ一揆…佐藤治助
(ワッパ騒動を農民の目から見た小説)

著者は学校教諭や共産党員の人で
今の学校の運動会とか、順位付けない所もあるって言うじゃないですか。
「平等」とか言ってね…
でも社会出たら今は「評価」「競争」で決まって来る時代。
そら中韓始め、アジア諸国はほんと厳しい競争で子供は育ってくるから
もう負け始めてるんですよ…
それで大阪・京都の繁華街とか教職員OBとかよく演説したり、行進してますわ…
「平和」「戦争の反省」
そして「大企業は利益を労働者に還元しろ」ってよく言ってます。
まあ、それをやろうと求められると、仕事を海外に持って行ってしまうのは目に見えてるんですね。
コストダウンで少しでも安くしないと国際競争力は持てないし
今、国内でもデフレで「安けりゃいい」って時代ですよ。
人件費を上げますから、価格に転嫁するとは到底無理…
普通に製造等の仕事をしていたら、あんな演説は「?」で理解不能なんだけど
まったく違った職種だから、理想を求めることは言えるけど現実はわからないんだろうね。

それに民主党の総裁選挙があったじゃないですか。
マスコミのやったことは「小沢叩き」だし、鈴木宗男さんもドサクサで結局わけのわからんような
罪状で刑が確定してしまった。
それで菅さんに決まったら 家の固定電話に世論調査をして「支持率アップしました」でチャンチャン…
「円高」の介入は外国に文句言われようが国益考えたら、ドンドンやるべきだよね。
ほんまに、これで僕のボーナスもマジで変わってくるんですよ。
利益が全然違ってくるもの…
この問題の方が重要だし、しっかり検証できてるのだろうか?
まあマスコミの人も現実の社会はわかってないし、本当の危機感はわからないんだろうね・・・

話は少し飛んでしまいましたが、今の戦後民主主義が一番ってことで思っておられるのでしょう。
だから江戸時代は高年貢の封建制度の圧政だし、明治になってからの戦争も
すべて「侵略」の認識であり、明治維新も無理やり武力で制圧したことなんでしょう。
それは僕の受けた教育でもありますが。
しかし、織田信長の「士農分離」は身分差を付けるためじゃなくって合理的な理由を持った物だし
江戸時代もそんな苛酷な従属制度で260年も続きますか。
庶民の識字率は世界トップレベルだったし、伝統的な祭り・行事の伝承
村では「講」と言う物があって、みんなでお金を積み立てて交代でお伊勢参りに行ったり
夢を持った若者は江戸へ出て、成功した者は銀座や日本橋に店を持つこともできた。
封建制度と言っても抜け道があって、お金があれば没落した武士の株も買えたし
技術や才覚を持った者は苗字帯刀も許された。
人間らしい生活はできていたのです。
僕もいろんな「藩史」も見てきましたが、庄内はよく治められていた方だと思います。

今は年間3万人も自殺者が出る時代です。
それでも今の時代がいいと言えるのでしょうか?
今まで書いてきた庄内とは違った見方でまとめてみます!

続き>>

by enokama | 2010-09-21 23:26 | 庄内藩 | Trackback | Comments(3)