エノカマの旅の途中

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カテゴリ:歴史連載( 69 )

鞆は寛文12年(1862)に河村瑞賢が西周り航路を整備してから、北前船などの商船も立寄るようになり
商家が立ち並び、隆盛をきわめた。
(庄内・酒田に銅像があったように、河村瑞賢と言う人は江戸時代の港には必ず話が出てきますね。
また、機会があれば調べたいです)
また、鎖国の時代の「朝鮮通信使」「長崎・オランダ商館長の江戸参府」も必ず、ここに立ち寄り
海外の文化も入ってきた。

福禅寺(向こうに見えるのも、古刹の円福寺)
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by enokama | 2009-06-24 21:33 | 歴史連載 | Comments(5)
5月28日(木)
新大阪6:50発のひかりで、福山には8時に到着。
目的は、かつて賑わいを見せた港町・鞆の浦で
往時は潮待ち・風待ち(潮の流れが変わる地点であり、満ち引きのタイミングを利用して船は航行していたため)
の地として、必ず瀬戸内を航行する船舶は停泊し、商家が軒を連ね、独特の天然の円形港湾にはかつての
常夜燈・雁木・波止場と言った当時の港湾施設等が、今も手付かずで残っています!

最近は「坂本龍馬・いろは丸談判場所」として
ガイドブックには必ず載るほどの龍馬のゆかりの場所として知られ、その関連の住宅・寺院は
ほぼ当時そのままの姿で残っている場所であります。
また中世には、政治の地となっていた時期があり(福山に移るまで)その流れを汲む古寺も
多数残っています。
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by enokama | 2009-06-23 23:55 | 歴史連載 | Comments(4)
歩いて楽しい龍馬通り(ブーツ像)
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>>鳴滝塾跡(シーボルト記念館)
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by enokama | 2009-06-09 23:26 | 歴史連載 | Comments(0)
2日目は龍馬ゆかりの地を訪ねます!
風頭公園→亀山社中→<龍馬通り>→シーボルト記念館(鳴滝塾跡)と歩きます。。。

このコースを路面電車から降りて、風頭山に登っていく行程だと、ほんと「山登り」になって(結構急坂)
しまうのですが、今日はバスで風頭の山上まで連れて行ってもらって(路線バスも入っている)
ひたすら下りて行く一方ので、比較的楽に回れます!

港が見下ろせる
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昨日から散策している所は、ほとんど寺町でお墓をたくさん見ることになったんですが
長崎は、写真の様な中国っぽい異国風の物や(やや派手さがある)墓標の文字が赤かったり
墓の周りの仕切りの入り口に、家に入るような苗字を書いた「表札」があったり、特徴がありました。
このあたりには上野彦馬の墓もありました。。。

>>龍馬像から亀山社中へ
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by enokama | 2009-06-08 23:11 | 歴史連載 | Comments(4)
長崎港の集合場所に合流。
今回はさすがに「龍馬人気」なのか、定員一杯の42名!
去年の西郷さんとは、少し年齢層が違って若い人が多かったです

まずは「出島」に向かいました。
以前、行った時は完全に埋め立てられた風情で「残ってるのは地名だけやん」って
わずかに地形に面影が残ってるのを感じたぐらいしか、印象が残ってないんですが
「出島復元計画」(→ココ)ってのが、進んでいるのはまったく知りませんでした・・・
ゆくゆくは四方に水路を通して、完全に扇形の「出島」を長期計画で復元するようです。

函館・五稜郭の「函館奉行所復元計画」などの例もありますが、最近の各地の歴史文化遺産への
取り組みは目の見張る物がありますね・・・
「開発一辺倒」からの政策転換でしょうが、これからの変化が楽しみです。
さすがにバス停車のスペースも確保されていて「ツアーでも寄ってください」ってことでしょうね。
この後訪れた場所でも感じましたが、準備は進んでいるな。。。

1636年に鎖国政策(異教禁止)の一環として出島完成。
1641年のオランダ商館の平戸からの移転後(→過去記事)後、江戸時代218年間、鎖国日本の唯一の海外への窓口
(従来の史観。今は長崎以外の交易もあったと教科書でも改められている)としての使命を担いました・・・
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by enokama | 2009-06-04 22:25 | 歴史連載 | Comments(2)
順番は入れ替わりますが、先に長崎の報告をします!
こんな新聞記事も載りましたので、ご覧ください→(長崎新聞ウェブサイト

長崎を個人的に旅行するのは15年ぐらいぶりになるかもしれません・・・
それこそ「竜馬がゆく」を読んで、歴史に興味が湧いてきたころでした。
グラバー園には、そのころ「グラバー邸」内のテーブルを囲むように、グラバーと海援隊・近藤長次郎が
長州の伊藤俊輔・井上聞多との会談の様子を再現した人形が置かれていたのが印象に残っています。
シーボルトの「鳴滝塾跡」(資料館は、まだなかったかもしれない)に行った後、寺町の急な階段を登って
残っているとは思わなかった「旧亀山社中」の建物に入って、龍馬がよくもたれていたと言われる柱
で写真も撮っています。
まだ、今ほど知られていなかったのかゆっくり見学できて、港の眺望も十分できていたころでした。

その後は添乗の仕事で幾度も訪れています。
バスとなるので、寄れるのは(バス駐車場のある)グラバー園・平和公園・眼鏡橋が定番。泊まりは稲佐山。
今回はそう言ったツアーでは行けない、史跡を実際に歩くコース(→行程)となるので楽しみにしてました!

「白いかもめ」で長崎入り
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シートが革張りでびっくりした!

長崎駅
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すごく変わったな・・・
それにしても駅は観光客が多かったです。
観光案内所にも立寄りましたが「龍馬伝」のパンフがたくさんあって、長崎は力が入っています!

路面電車で集合場所へ・・・
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by enokama | 2009-06-03 23:41 | 歴史連載 | Comments(2)
乾十郎宅跡(櫻井寺南)
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櫻井寺南の国道24号線を挟んだ一つ目の通りに碑があるが、当時の寺域はかなり現在より
大きくて、門前にあたる場所に住んでいた。

天誅組の地元・五条出身者の中に乾十郎がいる。
司馬遼太郎の短編にもなっているが奇人だったらしく、早くから代官所を襲う思いがあったとかないとか・・・
梅田雲浜にも学んだ憂国の士で(神戸にいたころの勝海舟や坂本龍馬との因縁もあったらしい)
地元を流れる吉野川の分水路計画を立てたり、吉野の木材運搬にかけられる税金問題など
領民側に立った行動もあり、このこともあって反幕尊王の意を強くしていったのかもしれない。

天誅組の結末>>
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by enokama | 2008-08-27 00:10 | 歴史連載 | Comments(0)
文久3年。朝廷における長州勢力と結び付く三条実実を中心とする尊王攘夷派は
主導権を握りつつあった公武合体派に対抗すべく、孝明天皇の奈良・春日大社及び
神武稜・伊勢神宮における攘夷祈願(大和行幸)を企て、反幕・攘夷の態度を鮮明にしようとした
(→関連記事


この機を見た各藩脱藩浪士らを中心とする勢力は挙兵し、討幕の魁と成らんとした。
天皇より大和行幸の詔は8月13日に出、土佐脱藩・吉村虎太郎を中心とし結成された
天誅組は19歳の青年公卿・中山忠光を立て行動に出る。

8月17日、彼らは五條代官所を襲う。五條は幕府直轄の天領で代々、代官が置かれていた。
しかし泰平の世が続き、警備はないと言っても過言でもなく、数人の役人が詰めているだけの
状態で、その地は討幕の狼煙を上げる格好の標的だった。

五條代官所跡(現・五條市役所)
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天誅組の挙兵>>
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by enokama | 2008-08-26 22:52 | 歴史連載 | Comments(0)

天誅組と五條

先週土曜日夜も「維新」で飲んで、幕末話を熱く語ってきました!
初めてお会いした方もおられまして、このブログをご覧になったら「ほんまは、どこに興味
あるねん?」と言われそうなんですが、世界史から戦国まで幅広く好きなんですって
言っときます(笑)

どうも興味が薄いのは、どこの博物館に行っても展示してある、どれもおんなじ様に見える
土器とか石器。全然面白みを感じないんです。。。
それ以外はほぼ興味を持ちますんで、また何なりとよろしくお願いします!


この日は家へは帰らず、そのまま大阪で泊まったので動き易いかなと思って
以前から行きたかった奈良県の五條に行ってきました!

難波から南海高野線50分ほどで橋本まで、JR和歌山線で10分ほどで(電車が無茶苦茶
ぼろいのには閉口しましたが・・・)五條。乗り換え含めたら1時間20分ぐらいでしょうか。。。

電車の本数はこんなもの(大和二見駅)
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ちなみに五條の駅前は寂れてて「柿の葉すし」の売り場と、タクシーの乗り場ぐらい。
案内地図も、観光案内所もありません。
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上の案内図は帰りに乗った「大和二見駅」のもので、市の中心部は2つの駅の間
が市街地となっています。
案内地図は上図の「SLのある史跡公園」に行けばあります。
(こちらは代官所の長屋門を移設した資料館となっていて、市内の史跡の説明があり
ボランティアガイドも頼めるそうです)
市役所のある場所が「五條代官所跡」で、櫻井寺に「天誅組本陣」がありました。
レンタサイクルはないようでしたが、散策は徒歩でも十分でした!
また、市役所のすぐ横が図書館で史料の下調べをしてから散策するのもいいです。

つづく・・・
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by enokama | 2008-08-25 23:44 | 歴史連載 | Comments(0)