エノカマの旅の途中

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カテゴリ:歴史連載( 61 )

文久3年(1863年)3月に平野国臣は釈放された。
平野についてはエピソードも多いんで、別口で調べてみたいとも思ってるんですが
福岡藩「筑前勤王党」の首魁・月形洗蔵の考えも「土佐勤王党」の武市半平太と同様に
「挙藩尊王」と言った、あくまで藩を軸とした組織だった行動であり
文久~元治と言った時期に、各地で多くの尊攘志士が倒れ、命を落とした中でも
その勢力は比較的温存され、窮地に至った長州救済~薩長同盟へと重要な動きを示した。

そんな中で早くから脱藩を繰り返した平野は異端な存在とも言え、大藩・薩摩を「公武合体論」から
「尊王攘夷」へと動かそうと、薩摩脱藩士・伊牟田尚平らと盛んに暗躍し
西郷隆盛には勤王僧・月照の保護を依頼されるなど、信頼関係にもあった。
思想的には彼の論文から見ても「討幕」の態度を早い時期から鮮明に示したものであり
先鋭的な活動家で、幕府側から見れば最も警戒すべき人物の一人であった。

挙兵へ>>
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by enokama | 2012-02-22 23:18 | 歴史連載 | Comments(0)
いわゆる「討幕」って言う気運がいつから具体化したっていうのは
それぞれ議論はあるだろうし今回の中村武生氏の本でも、いろんな解釈で触れられていて
興味深かったんですが、僕としては慶応三年の四候会議の後かなと思っています。
「薩長同盟」は薩摩から言えば、幕府とも一線を画して独立性を保ち
その再度の勢力増長を警戒しながら、有力雄藩との連携による動きも引き続き模索し
と言えばきれいに聞こえるけど、ある意味どの勢力とも組むことができるフリーハンドな立場を求めていた
面もあったかと・・・まあそれが「したたか」って言われる所以でもあるけど。
幕末の薩摩は西郷・大久保の主導って思われがちだけれども、慶応3年10月に「討幕の密勅」が出て
藩論を以て挙藩出兵が実現するまで、完全に藩を掌握できる立場にはなかったんじゃないかと思う。
ずっと公武合体で来た両高崎らの勢力や、もちろん幕府寄りの保守派もあって、一致した藩論ってのが
この時まで出すのにいたらなかったのだ。

藩主でもない島津久光が藩政を掌握した際に「精忠組」を懐柔して取り込んだ時に
個人行動(突出したテロ活動等)は止して、藩ぐるみで行動すると言い納得させたと伝わるが
その過渡期にあったのが、文久二年(1862年)のいわゆる「寺田屋騒動」に至る動きだった。
年明け早々に和宮降嫁を推進し「公武合体」を推し進めた幕府老中・安藤信正が江戸城坂下門外で
水戸藩士に襲撃され失脚するなど、井伊暗殺で世が動いた事実から「天誅・テロ行為」が幕府に対して
尊王・攘夷を迫る手段として最も激化した時期であった。

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by enokama | 2012-02-21 23:12 | 歴史連載 | Comments(0)
天保13年(1842)朝廷の長年の宿願であった、公家子弟への教育機関「学習院」が創設される。
教育内容は一般的な儒学(朱子学・陽明学)・国学と言った学校であったが
桜田門外の変後、再び直接深く朝廷と結びつこうとした、諸藩との折衝の場としての役割も持ってきていた。
「安政の大獄」は幕府の許可なしに、諸藩が朝廷から勅命を以て幕政改革を図ろうとする勢力を弾圧
再び幕威を高めようとする側面もあったが(元来の「法度」の遵守と言う面で、一方的な弾圧とは取れない)
井伊直弼の死により「尊王思想」また、孝明天皇を始めとする朝廷の大多数を支配する「攘夷論」と
結びついた「尊王攘夷派」が京都を中心において、さらに台頭してきた。

この勢力は「学習院出仕」と言う名目で名だたる志士たちが集結し
学習院内は「尊攘派」によって固められ、中下級の公家たちにも彼らに感化され、同調した行動を取るものが現れた。
その代表的な尊攘派公卿が三条実美、姉小路公知。その周囲には久坂玄瑞・真木和泉・平野国臣と言った
そうそうたる尊攘志士メンバーがいた。
(八一八政変後、三条ら「七卿」は長州三田尻に落ち、そちらが一時的に拠点となった)

久坂は文久2年終わりごろから学習院に出仕し、朝廷内での尊攘勢力拡大を目指す一方で
翌3年2月になって、久坂らは「航路遠略策」を掲げた政敵とも言うべき、長井雅楽を切腹に追い込み
長州藩論を「即今攘夷」に向かせ、学習院はそれらの志士に牛耳られていた現状だった。

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by enokama | 2012-01-19 23:13 | 歴史連載 | Comments(2)
北垣国道(当時は晋太郎) は7歳の時から、八鹿町宿南(現養父市)にあった青谿(せいけい)書院の
儒学者・池田草庵に入門する。
草庵は荻生徂徠の流れを受けた、古文辞学派の儒学者・相馬九方に18歳で上京し入門。
のち京都一条に塾を開き、30歳になって故郷に帰り、天保14年(1843)35歳の時、この地に塾を開く。
草庵は佐藤一斎の影響を受け、朱子学と実学を重んじた陽明学を教えた。
福知山藩や豊岡藩学校でも教鞭を取って、全国各地30か国から延べ673人の門人を集めたと言う。
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建物は二階建で、二階が塾生の宿舎、一階が草庵の居室とされ、当時の貴重な遺構が残っている。
(屋根は老朽化のために葺き替えられている)
隣接して資料館があって僕が行ったときは、ちょうど横のお住まい(池田さんで子孫の方だとか)
に管理人さんがおられたので開けていただき、見ることができました。
中には1153点にも及ぶ県指定文化財が管理されています。
著名な儒学者との書簡が多数、展示されていました。
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農兵構想>>
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by enokama | 2012-01-18 23:58 | 歴史連載 | Comments(0)
まずは最近の歴史番組の感想を。。。

大河「平清盛」は龍馬伝ばりの画像でしたが
それを兵庫県知事が噛みついたってことで話題になっていました。
例のごとく、新聞がその部分を切り取って煽ってるのかなとも思いましたが
ウチで取っている地元紙の表現も、伝えられているものと大差なかったので
こればっかりは知事の言い過ぎじゃないかなと、弁護の余地もありません・・・
こんなことばかりだから、ドラマがつまらなくなってしまうんやろね。。。
NHKは「また華やかなシーンも出てくるから」って受け答えていました。
鮮やかな平安貴族絵巻とのギャップってのも狙いだと思うし
初回は貴一さんやまえだまえだ君の好演もあって、まずまずだったと思います!

今週のヒストリアはその平清盛の一生について
僕もほとんど知らない時代のことなので、わかりやすくまとめてあったと思います。
要するに短期間でのし上がった平家の「出る杭が打たれた」って感じなのかな・・・

今日のBS歴史館は新選組でしたが、特に目新しいことはなかったように思えました。
(て言うか、根本的に自分自身の興味がなくなってるのかもしれない・・・)
あとは解釈の問題ですが、今日の解説者じゃ何の発見も面白さも感じられません。
あのじーさんはまた「坂本龍馬の発想(←な訳ないだろ)で土佐の自由民権が始まって、それに似たような」
って多摩の自由民権運動の事を言ってました。
O石氏は「新選組は国民軍」って表現を使いました。
どっちも全然違うと思うんですが、言った者勝ちなんですね・・・


今日から新しい連載記事を始めます。
但馬は現在、兵庫県北部の地域となっていますが
主にこの地が舞台となった「生野の乱」に関連した史跡と人物を追います!

但馬の史跡>>
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by enokama | 2012-01-12 23:35 | 歴史連載 | Comments(0)
ここここからの続きです)
前にもレポしてますので、今日は補完の内容になります。
十七烈士墓のレポは、今回は天気が悪く写真を撮っていないので
前回記事に追記をしてます。

離宮八幡宮(→関連記事
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元々はこちらが「石清水八幡宮」の始まりでした。。。
しっかり証しが残ってるんですね!
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こちらも禁門の変で、長州藩の陣となったので大半の社域が焼かれてしまいましたが
二つある門は、当時の物が残っています!

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by enokama | 2011-03-05 23:13 | 歴史連載 | Comments(0)
今回のブラタモリは面白かったな~
中々新作が出てこないんだけど、出てきたら中身が濃いです!
特に当時の公衆便所の落書きって、腹抱えて笑ってしまった。。。
ぜひ、見逃した方は再放送をチェックしてください!

少し経ちましたが2月12日に再び、霊山歴史館の行事で
天王山に登ってきました。
前日は大阪に久しぶりに積雪があったそうですが、無事に行くことができました!

まず、集合の前に高槻城跡に行ってきましたんで
そのレポから・・・

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by enokama | 2011-03-04 23:56 | 歴史連載 | Comments(0)
天王山を登る

最初はこの地域らしい竹藪(江戸初期は松の山だったそう)少し急です!
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でも足が慣れたころには緩やかになりますんで、がんばってください。。。

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by enokama | 2010-12-02 23:56 | 歴史連載 | Comments(2)
11月21日。大山崎町歴史資料館の企画で、天王山に登って来ました。

戦国時代は、豊臣秀吉と明智光秀の「山崎合戦」の地。
そして幕末には「禁門の変」で、長州側に付いた真木和泉らの終焉の地であり
三河川が合流し淀川となり、京と大坂の境にあるこの地は、歴史的にも重要な場所であります!
今回は「幕末維新期の大山崎」がテーマで、主に禁門の変を中心とした散策をしてきました。。。

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by enokama | 2010-12-01 23:10 | 歴史連載 | Comments(0)
佐賀城・西の濠
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天守台など一部を除いて土塁作りで、全体に平坦な作りの城郭。
その代わり四方(東の濠は埋め立てられた)の濠は幅広く広い池のようだ。

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by enokama | 2009-09-24 23:27 | 歴史連載 | Comments(0)