エノカマの旅の途中

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カテゴリ:歴史連載( 61 )

天誅組と五條2012~その1

少し前になりますが、昨年秋に大阪龍馬会の「五條探訪」に参加させていただいた時の
レポをします (関連記事・五條2008→その1その2その3

風の森
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御所から五條に行く途中にある峠で、天誅組や五條を訪れたこともある吉田松陰が通った道です。
何か独特の風景と空気が流れる場所でもありました

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by enokama | 2013-11-05 23:23 | 歴史連載 | Comments(1)
こちらからの続きです

こちらも薩摩御用達の船宿(脇屋家住宅)
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普通に幕末当時の建物がいくつも残っているのが御手洗。
呉からも1時間以上かかるし、かなり遠い印象なのも逆に町並みが残された理由でもあるんだろう。
昔はやはり水運の利便性が発展につながったんでしょうね。
どこも今は寂れた感もあるけど、北前船の寄港地ってのも、どこもいい雰囲気ですからね。

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by enokama | 2013-04-03 23:06 | 歴史連載 | Comments(0)
遅くなりましたが、昨年に霊山歴史館の研修旅行で行った広島のレポを書きます。

瀬戸内海の大崎下島の御手洗港に行きました!
こちらも幕末に重要な地となった所であります。

今は呉から橋が何本も架かって、車でそのまま行くことができます。
広域合併で豊町は呉市に含まれるようになっています。
こちらは瀬戸内海の潮待ち・風待ちの港として
西廻り航路の拠点として大いに栄えました。。。
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今は「大長みかん」の産地として全国的にも知られる所です。
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まずは幕末の芸州藩の動きから・・・

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by enokama | 2013-03-31 23:46 | 歴史連載 | Comments(0)
検証と言っておきながら「自分自身はどうなんだ」と言われそうだけど
これだけ多種多様な本がいっぱいあったら、もう麻痺してしまって何を信用していいのか 
冷静な判断の出来ない人も多いのと違う?
僕もなんかいやになって、調べるのも鬱陶しいし・・・
まあ今まで言ってきたように、結論としてはわかりきったことですんで
自分としては「俗説を斬る」ってスタンスで(特に西郷黒幕って言うのを)この記事を書いてますんで
よろしくお願いします。。。

次は有名な中村彰彦氏の説で、歌会がどうのこうのってやつ。
きっかけはわかったけど「どこがどう、つながってるの?」って肝心なことが抜けてるやん。
本人も確信犯らしく、うまく逃げ道を作ってるのもワロタ。
一つの推理ゲームにすぎないね。こんな内容で出させてくれる講談社もなんなんだ・・・

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by enokama | 2012-09-08 22:51 | 歴史連載 | Comments(6)
今日は一次資料を読むのではないので、久しぶりに地元の図書館へ。
歴史書でも「吉川弘文館」の専門書が思ったよりあったし、開架で新しい書籍も見られるので
購入前のチェックとして十分、使えそう!

本当は加治将一の本を、もう一回しっかり読んでおきたかったんだけど
残念ながら所蔵なし・・・
代わりと言ってはなんですが、このテーマ(近江屋事件)で気になっていた書籍をチェックしてきました。

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by enokama | 2012-09-08 21:06 | 歴史連載 | Comments(1)
北川村の中岡慎太郎先生顕彰会から便りが届きました!

今年の北川村での墓前祭は命日(11月17日)と違って、少し早く10月28日(日)に行われます。
17日にも墓前には祭壇がもうけられます。
京都の墓前祭は11月15日(今年は木曜日)で例年通り、北川村の軍鶏ナベがふるまわれます。

また「顕彰会便り」の記事では例のBSの番組(→こちらこちらこちら)への異議が書かれています。
番組の流れを唐突に断ち切るような、ラストでの強引な加治将一の結論(おそらく本の宣伝のため)は
取材にも協力した村民のみなさん、VTR制作で村での十分な考証を経た現地ロケスタッフとの信頼も
壊してしまったかと想像されます。
おそらく厳重な抗議もされたでしょうが、具体的な謝罪も加治本人からされるべきです。
「フィクション作家」の仮説だけで語るような解説者を起用したTBSも「ドキュメンタリー」のカテゴリとしたら
やってはならないことです。
おそらくこの番組自体が「総集編」の連続となっているので、もう今月には打ち切りかと思われます。
TBSは地上波の歴史番組や、お得意の他局パクリ番組群もこの秋で多くが終了となります。
いつぞやの「会津若松城」騒動でも物議を醸しだしましたが
もうこの局は見るべきものはありません、理性のかけらもテレビマンのプライドもないのでしょう。

検証>>
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by enokama | 2012-09-06 23:35 | 歴史連載 | Comments(0)
河上弥市らは北部からの豊岡・出石藩の攻めに備えて
生野から八キロ北の山口・妙見山に本陣を構えた。
元々城跡である岩洲山だが、山頂に妙見堂の祠があるので、地元住民からは「妙見山」と呼ばれていた。
ここに大石を運び上げ、大砲を引き上げ、水・兵糧を蓄えて麓の兵たちを狙い撃ちするべく、陣を築き上げた。

代官所から出た一行が一旦入った西念寺(この後、妙見堂に入る)
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国道312号線から少し入った山口護国神社のバス停
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by enokama | 2012-04-01 10:25 | 歴史連載 | Comments(0)
生野銀山を擁する生野は幕府天領として、また但馬の玄関口として栄えたところ(→詳しく

当時の掛屋(両替商のような場所)や宿屋の一部は当時のままに残されています!
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by enokama | 2012-03-31 22:45 | 歴史連載 | Comments(2)
第一回大会議のころ、京にあった北垣国道は
八一八政変と大和五條の挙兵に苦慮する長州人らと協議を重ねていた。
窮地に追い込まれた在京長州人からは、一日も早く「大和義挙」の応援を図るべきと
農兵を利用した「但馬義挙」の提案がされ、すでにその意思を持った平野国臣は但馬に下っていた。
北垣は「一年は農兵の養成にあてたい」との意見を述べ、但馬有志の大勢も同様だったが
のちに押される形で「烏合の衆」とも言える未調練で寄せ集めの強引な農兵の招集は、その杞憂の通り
「まったくの瓦解」と北垣が述懐するほどの失敗に終わったのである。

九月十九日の第二回大会議では早くも大和義挙に呼応した「挙兵」と決し、平野・北垣らは長州の同志
獲得のため長州に赴くこととなる。

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by enokama | 2012-03-30 23:43 | 歴史連載 | Comments(0)
薩摩出身で美玉三平と言う男がいた。
江戸の昌平黌にも学んだが、清河八郎らの「虎尾の会」に名を連ねて、過激な尊王攘夷活動に入り
薩摩でも強硬な一派だった有馬新七、大山綱良らの画策した
長崎での外国人襲撃計画(未遂に終わる)にも関与していた。
有馬らが上意討ちされた寺田屋騒動では捕われの身となったが江戸へ逃亡し
文久3年(1863)3月に但馬の地へ逃れ、中島太郎兵衛・太田六兵衛らの豪農層と知り合い意気投合し
能座の北垣国道宅にも匿われ、ここで三条実美にあてた農兵組織の建白書を認め
五月下旬、北垣と共に上洛する。

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by enokama | 2012-03-13 23:16 | 歴史連載 | Comments(2)