エノカマの旅の途中

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カテゴリ:歴史連載( 61 )

少し前ですが岩国へ行った時のレポをしたいと思います!
表題は「岩国藩」とはあえてしません。
藩が正式に成立したのは、もう明治と改元する直前の慶応4年となってからの話で
江戸時代の大半を吉川家は「岩国領主」として、萩本藩・毛利宗家から「大名として認めず」
陪臣の扱いとされ、正式な藩ではなかった。
これは関ヶ原の戦いからの流れで、吉川家が「防長二州」を毛利家の所領として死守すべく
運動した結果でもあったが、関ヶ原の不戦と言う吉川広家の行動に対して、一方の毛利の将・秀元は
元来主戦論を唱えていて、批判的な者が多かったからだと言う。
毛利秀元は支藩・長府藩の初代藩主であるとともに、まだ歳が若かった萩本藩初代藩主・秀就の後見となり
本藩にも影響力を持ったが、秀就の成長ともに不仲となり「長府藩の独立」も画策し(実現せず)
萩本藩と長府藩・岩国藩の不仲と共に、長府藩と岩国領の不仲という流れが幕末まで続いていたのである。
(→関連記事

一方で幕府・徳川家は事実上、吉川家を「大名」(藩主)と同様な扱いとし
定期的な参勤交代こそないものの、将軍家の代替わりや吉川家の継承等、一連の儀礼と言った際には参勤し
江戸には屋敷を構え、大坂には蔵屋敷を持ち、内実は一諸侯と変わらない体裁となっていた。

江戸時代の中ごろにはさらに、岩国は他の三支藩よりも冷遇されるようになるが、幕末になって尊攘運動に伴う
相次ぐ国難に関して、支藩との結束を望む萩藩主・毛利慶親は岩国領主・吉川経幹に「大名取り立て」を
以て、融和に努めている。
だが毛利本支藩間の不仲については、そこに幕府も付け込む動きもあって
慶応元年になっての「本支藩の一致」が実現しなければ、長州藩はそれこそ潰れていた可能性もあったのである。

岩国への行き方>>
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by enokama | 2015-02-10 21:14 | 歴史連載 | Comments(0)
安政元年(1845)9月。ロシアのプチャーチンが軍艦ディアナ号で摂海(大阪湾)に突如侵入
天保山沖に停泊し、日本に通商を求めると言う出来事が起こった(関連記事→その1その2
京都にも近い地でのこの事件には幕府も危機感を持って「摂海防禦計画」を進める(→こちら

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by enokama | 2014-10-16 23:50 | 歴史連載 | Comments(0)
一般的には「えべっさん」と言う名前で通っている西宮神社は「福の神」で知られる
えびすさんをお祀りする神社の総本社であります。

赤門は桃山時代のもので豊臣秀頼の奉献とも言われる
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赤門に連なる大練塀
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by enokama | 2014-10-13 16:57 | 歴史連載 | Comments(0)
先日、いつもお世話になっている長谷さんのガイドで西宮の史跡巡りをしてきました!
あまり歩いたことのない地域だったので、新しい発見がいくつもありました。

まずは阪神本線の打出駅からスタートです(もちろん来たのは初めて・・・)
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by enokama | 2014-10-11 20:49 | 歴史連載 | Comments(0)
外国人居留地の北を通る西国街道は、幅二間ほどと当時はまだ狭い道であった。
この街道を東へ向け、家老・日置帯刀の率いる備前池田家藩兵400は縦隊で進む。
三宮神社の前を通り過ぎる頃、山手の商家から浜手の居留地へ行こうとしたフランス水兵が
その行列の前を横切ろうとした。一旦は藩兵らに制止されたものの、それを振り切って強引に横断して
しまったのである。
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よく似た事例は生麦事件でもあったが「供割」は当然無礼であり、攘夷の感情がまだまだ強いころでもあり、藩兵らは憤慨した。
隊長の瀧善三郎はその水兵目がけて、手槍の一撃を加えた。そのことをきっかけに発砲も始まる。
この一報を聞いた英国公使パークスは英国の警備兵、そして碇泊中だったアメリカ・フランス軍艦の兵士を上陸させて応戦、この場で銃撃戦となってしまった。
それを見た家老・日置帯刀はただちに発砲を停止させ、藩兵を山手の方に引き上げさせた。
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by enokama | 2014-02-24 23:14 | 歴史連載 | Comments(0)
神戸事件についての記事です。
参考文献は以前、NHKの教育テレビでやっていた「さかのぼり日本史」の番組本で
独立を守った”現実外交”←これ大事な事 です。
出てくるのが、幕府外交官の岩瀬忠震・井上清直、幕府老中の水野忠邦・阿部正弘
薩英戦争での五代才助・松木弘安、そしてこの「神戸事件」と4つ取り上げられています。
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1858(安政5年)日米修好通商条約を皮切りに、諸外国と次々に「開港・貿易」につながる
条約が結ばれた(→関連記事
神奈川(実質は横浜)・長崎・箱館の開港(安政6年6月)に次いで、12月に新潟(実際には大船を碇泊させるには水深等の問題があって、代替地の検討(酒田・七尾あたり)もされたことがあり、かなり遅れた開港となる)
太陽暦で1862年1月1日にあたる、文久元年12月9日には江戸開市。
1863年1月1日(文久2年12月7日)には大坂開市・兵庫開港と定められていた。

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by enokama | 2014-02-13 23:23 | 歴史連載 | Comments(0)
こちらからの続きです。。。

列参は下級公家中心の行動で、従来の朝廷秩序を乱す行動ではあったが
「天皇の意に沿う」ものとして大義名分も立ったことから、咎めもなかった。
岩倉の凄味は、ただ単に通商開国条約に「反対」したことで、攘夷論に凝り固まることではなく
直ちにこれからの諸外国との付き合い、ゆくゆくの条約まで構想した意見書を天皇に提出する。
反対だけでなく、ちゃんと対案的な事案も考えての行動でもあったのだ。

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by enokama | 2014-01-22 23:25 | 歴史連載 | Comments(0)
少し前の放送ですが、まとめてみました。

例のT○Sだったら、加治将一のくだらない妄想でまとめられてしまうところなんですが
今日の放送では初めて知ったことも多くって、いい内容でした。

まずお札の顔での岩倉ってことで(私も知っている世代でありますが)なんか怖いな~って印象は覚えています。
それにしても伊藤博文・岩倉具視・板垣退助の並びは、僕としては実によかったですね。
(逆に嫌いな人も多そうだけど 苦笑)
伊藤なんて今も札になっていたら「韓国の反日」対象の象徴になっていたかもしれません。。。
札になりえた時代が長らくあったってことは、今の韓国の連中に火をつけた人間がいるってことかも
しれませんね。おかしな人たちも多いですからね。
伊藤は調べれば調べるほど、あれだけ時代を先取った偉人はいないのですが・・・

本題>>
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by enokama | 2013-12-20 23:54 | 歴史連載 | Comments(0)
五條から30分ほど走ったあたり、賀名生(あのう)の里です。
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by enokama | 2013-11-09 23:07 | 歴史連載 | Comments(0)
井上院・乾十郎墓
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by enokama | 2013-11-07 23:46 | 歴史連載 | Comments(0)