エノカマの旅の途中

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2017年 11月 16日 ( 1 )

岩倉へは今年(→こちらこちら)も度々行ってますが
先日、いつもお世話になっている中岡慎太郎館の豊田さんがこちらで講演されるということで行ってきました!

やっぱり着いたら岩倉は寒いなって感じですが、紅葉がきれいでありました!
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会場は対岳文庫で定員いっぱいで嬉しい限り。
こちらの学芸員さんと豊田さんが古くからの知り合いってことで「岩倉具視と中岡慎太郎」の仲もあって実現したそうです。

記録に残るもので慶応3年4月21日に初対面してから、7回二人は会っているそうです。
日記上では岩倉のことを「岩翁」とか「烏公」とかいろんな名前に置き換えてあるので、そんなに会ってるとは思わなかった。
そんな歴史的な場所が今も残っていることはうれしい限りですね。
対面のきっかけは度々書いてきてますが、やはり岩倉の持つ「国家ビジョン」と言うものに触れたことがきっかけで
のちに陸援隊には従来から岩倉に近かった香川敬三や大橋慎蔵(三)も加入しています。
講演では二人が残した論考を紹介されて、お互いに意見を戦わせて「公卿に人がいない」と語ることも多かったとされる慎太郎も、人材を得たりとしてその議論は充実したものであっただろうと思われます。
岩倉の論考では海外への大使派遣や県令の任期制(世襲ではない)など、新しい国家への先進性のある提言がされており、よく岩倉と慎太郎は「武力討幕派」と言うくくりにされてしまいがちですが「政令二途」と言った状態の解消もある「王政復古」(廃幕)への動きがこのころの早急な課題であり、その形態をどうするのか。
岩倉においては朝廷内での佐幕派への対応と割拠しつつあった西国雄藩勢力への支持者の獲得、慎太郎においては抗幕雄藩勢力の一致した行動や政変が起こることで予想される「武力衝突」への対応と幅広く議論をしたのではないでしょうか。
慶応三年内では岩倉に関しては「武力討幕派」ではないですしね。慶喜の議定就任も想定していたんだから。
慎太郎の書簡の癖や、そこから実際に会うまでの説得の方法ってのもたくさん聞けて、なるほどと思ったことも多かったです。


墓前祭>>
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by enokama | 2017-11-16 22:11 | 私の好きな京都 | Comments(0)