福井の幕末史跡~2008訪問・丹厳洞から瑞源寺(2017再訪。追記あり)
バスで幕末史跡めぐりに参加。。
丹厳洞(たんがんどう)
福井市街地の西側2キロほどのところ。
当時、福井藩の藩医だった山本瑞庵が薬草園を開くべくこの地(笏谷・しゃくだに)を訪れ(1864年)
静かな環境を気に入り、庵を立て丹厳洞(洞は山の懐ろの意)と名付けた。
土蔵造りの二階建ての庵は当時のままで、現在は同地で料亭を経営されている方が管理されていて
事前に連絡の上で、見学をさせていただくようになっているようです。
画像は笏谷石の洞と庭園で、洞内は祠となっていました。
この庭にも、かなり古い松平春嶽像がありました。
笏谷石は古くからの福井名産の足羽山麓で産出された石で、青緑色の良質の凝灰岩
です(きれいですが、滑りやすかったです)
市街地とほど近いのですが、ほんと静かな落ち着いた雰囲気でした。
と残しています。
庵
1階は医療器具の展示や茶室。2階はいかにも密談の場と言った感じでした。
少し郊外で足羽川の水運も使える便もあって、訪れる著名人が多かったようです。
山本瑞庵が春嶽の侍従長になった関係でしょうか。春嶽、松平主馬、中根雪江と言った藩高官から、横井小楠、小原鉄心(大垣藩の開明派家老)も訪れています。
あと、医業つながりで日本でも早い時期に種痘を広めた福井藩医の笠原白翁、橋本左内ら。
瑞庵を慕っての文化人のサロン的な面もあって橘曙覧ら俳人・茶人らの姿も。
まあこちらは密談の場と言っても、藩トップ自らが来てますんで「謀議」を図るような切実感
はなかったかもしれませんが、やはり彼らの一連の改革には当然、保守派からの抵抗も
あったでしょう。そういった場所となっていたのは、うなずける気がします!
少し市街地寄りに戻って
瑞源寺(→こちら)
福井藩五代藩主・吉品公(母)の菩提所となっています。
江戸中期、寺の老朽化が進み長年改築を望むも、ご多分にもれず藩も財政難だったと言うことで
150年忌の時、福井城内にあり使われなくなった御殿の一部が下賜され、やっとのことで移築が行われています。
すなわち、現在の福井城は石垣のみとなっているので、当時の遺構として残っているのはこちらのみと言うこととなります。
書院(福井城・大奥御座の間・・・藩主夫妻の寝室を移築)
たのか番号で印をするような書き方で「大奥の間」の墨書がしてあった)
本堂(福井城・本丸御小座敷を移築)
建材は部分部分新しいものに交換して行きます。
城からの移築が3ヶ月と短かったので、それに伴う傷みも大きいとか。
柱等には当時の落書きもあって面白い!