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天誅組と五條 その2~天誅組本陣と五條代官所跡

文久3年。朝廷における長州勢力と結び付く三条実実を中心とする尊王攘夷派は
主導権を握りつつあった公武合体派に対抗すべく、孝明天皇の奈良・春日大社及び
神武稜・伊勢神宮における攘夷祈願(大和行幸)を企て、反幕・攘夷の態度を鮮明にしようとした
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この機を見た各藩脱藩浪士らを中心とする勢力は挙兵し、討幕の魁と成らんとした。
天皇より大和行幸の詔は8月13日に出、土佐脱藩・吉村虎太郎を中心とし結成された
天誅組は19歳の青年公卿・中山忠光を立て行動に出る。

8月17日、彼らは五條代官所を襲う。五條は幕府直轄の天領で代々、代官が置かれていた。
しかし泰平の世が続き、警備はないと言っても過言でもなく、数人の役人が詰めているだけの
状態で、その地は討幕の狼煙を上げる格好の標的だった。

五條代官所跡(現・五條市役所)
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代官・鈴木源内と部下5名は殺害され、その首級は須恵の路傍に斬奸状とともに晒された(櫻井寺内)
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平和な里で起こった衝撃的な出来事に、地元の人たちは恐怖に震えた。
ただちに地元役人に対し、挙兵の趣旨と年貢の半減、この領地は他国に先立って朝廷に
渡される旨を伝えた。
代官所は焼き払われ、櫻井寺と言う古刹の大寺院に天誅組本陣が置かれることとなる。
(この寺の前の交差点が「本陣」と言う表示になっている)
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吉村と同郷の田中光顕の著した「維新風電録」や半田門吉「大和戦争日記」と言ったこの乱
を著した戦記には敗者の常と言うべきか、代官・鈴木源内は当然のごとく「悪代官」とされている
(田中は那須信吾の甥と言うこともあるが)
しかし、彼は温厚な人柄でむしろ領民からは慕われていたと言う。
前任地は十津川で元来勤王の気風の強い地でもあったが、郷士たちの行動にも理解を
示して十分な配慮さえしている。
だから「話せばわかる」人物だったわけだが、性急な結果を求める彼らには伝わらず
強引に領地返上を迫られても、当然代官として拒否をするわけであって残念な最後となってしまった。

殺された人たちは当然、同情され地元の人たちが金を出し合い祀られた。
墓石はさすがに古くなっているが、代々世話人もおられるそうで花もまだ新しいものでした。。
合掌・・・
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by enokama | 2008-08-26 22:52 | 歴史連載 | Comments(0)