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エノカマの旅の途中

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旅と歴史と競馬のお話をします

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今年も高知へ行ってきました! 北川村 その2

向学の道。野友側入口
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慎太郎は片道1時間半かけて烏カ森の山を越え、野友の漢方医・島村策吾の私塾へ通っていた。
こちらでの学問を修了したのち、片道三里の藩設の田野学館(武市半平太と出合った)や高知の間崎哲馬の元でも学んでいる。

もっと詳しい写真はji5islさんのブログに載ってます。




向学の道。柏木側入口
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生家から少し登った顕彰碑の脇に登り口がある。

巻ノ淵
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展望台がある。右岸の道、慎太郎館の少し手前。

巻ノ淵から奈半利川
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少年時代の慎太郎が飛び込んで泳いだと言う。橋はバイパスの「高規格道路」 

中岡慎太郎館
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今回は「土佐勤王党」展。
奈半利での「野根山二十三士」の事件についての記述が興味深かった。
それにしても、慎太郎の幕末の行動範囲は龍馬以上にすごい。
また、郷士で容堂の護衛のため結成した「五十人組」が江戸へ行った際、改めて藩命(容堂の指名もあったとされる)で
水戸藩や松代の佐久間象山の元への視察を命じられている。
この時、同行することとなったのが長州の久坂玄瑞。
水戸藩士らとの交流もあって、今後の行動についてかなりの糧になっただろう。
去年の記事もごらんください!

生家の額
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いかにもですね・・・
生家は慎太郎館を少し下ったところ。昭和42年の再建。

松林寺跡
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中岡家の菩提寺であり野友に通うまで、幼少期はこちらで学問を学んでいた。
寺はもうなく、縁者の墓と慎太郎の遺髪塚が残されている。
慎太郎館から徒歩3分ほど。

柚子
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慎太郎が幕末期、栽培を勧めたと言われる。

ほんとは学芸員さんに話を聞きたかったんですが、ちょうど行われたツアーの
添乗をされてたようで。ちなみにこの日は安芸で、次の日は歴民で二アミスし
てます・・・

このあとは二十三士の墓、室戸方面へ。

by enokama | 2007-09-03 00:30 | 土佐藩 | Comments(0)