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エノカマの旅の途中

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足羽山と橘曙覧

昼3時前に福井に到着しました。京都からだと1時間半を切るぐらいで到着
となります。約5年振りの訪問、やはり幕末・雄藩と言われたところは訪れてみたいとの思いが
あってのことです。
まず、駅・お城から見て南西方向、市の中心部・足羽川を渡ったあたりに連なる
市街を一望できる足羽山に向かいました。

足羽山トンネルの上にある、あじさいロード(市花でもある)
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足羽山の北側入り口・愛宕坂にある橘曙覧(たちばなあけみ)記念文学館。
「楽しみは~の時」で歌われる日常のささやかな楽しみを歌った「独楽吟」52首を初めとする
親しみやすい歌で知られる幕末の国学者・詩人です。
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若くして国学を修めた橘曙覧は30歳になる前に、早々と家業の商家を弟に譲り
この愛宕坂「黄金舎」で隠棲し、貧しくとも心豊かに生きようとします。

 「たのしみは まれに魚煮て 児等皆が うましうましと いうて食う時」

 「たのしみは 玉の霞うつ窓に くらふ湯豆腐味のつくとき」 春嶽作

このころ、福井に藩主として入った、幕末四賢候の一人・松平春嶽は数々の書を残していることでも
知られてますが、数多くの和歌も作っています。
そして、幕末3大歌人で知られた橘曙覧にも「安政の大獄」で蟄居のころに、側近・中根雪江を通じて
万葉集の秀歌と彼自身の歌が送られ、のちに師事した形で
この「黄金舎」から引っ越した庵「藁屋」に自ら訪れたこともあります。
ここがほんと、殿様が普通出向くはずにないぐらいの「あばらや」でこの文学館にも
その訪問時の光景が再現されてます
(司馬遼太郎の著書で「あばらやでも人物と見たら自ら出向く」と書かれているのはこのことです)
また、その教養を買い、藩に出仕を求めていますが自分には合わないと固辞されています。
(そのかわり、扶持米10俵が出されている)

熊本の名士で知られていながら不遇をかこっていた横井小楠を福井藩に招き
その理論を十分藩政で実践させ、彼が福井を離れた後も援助を続けた。
一介の浪人だった坂本龍馬に直接、面会した上で勝海舟を紹介してその活動を終始応援したり
人物登用やその恩に報いる(十分に世話を焼く)殿様と言うより一人の人間としての春嶽の姿があります。

愛宕坂
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Commented by ゆずぽん at 2007-07-04 21:26 x
福井藩主・松平 春嶽候・・・理に聡く、情に厚い人物だったようですね。
魅力的だと思います。自藩の財政難がありながらも、国の未来の為、勝 海舟の海軍操練所の建設資金援助もしていましたよね。龍馬の説得「説くところ面白し・・・」と寛大に応対していた藩主、私の中でも評価は高いです!(笑)
Commented by enokama at 2007-07-06 22:28
そうですね!
幕末の賢候と呼ばれた中でもピカ一でしょう。
島津斉彬も優れた人でしたが、先代の財政再建の成功と言った恵ま
れた点もあったんで、一代で財政を立て直し、幕末を広い視野で
駆け抜けた実績はすごいと思います。
龍馬との関係は微笑ましいですね。一介の浪人に耳を傾けてくれる
殿様ってのもある意味、奇跡だと思います!
by enokama | 2007-06-22 01:45 | 福井藩 | Comments(2)