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エノカマの旅の途中

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明治維新の結果が軍国主義に至ったとする老害たち

ちょっと正月から話題になっていた記事だけど→こちら(福井新聞)

まあ、あくまで初夢(仮定)の記事で福井の方が喜べたらいいやと取る人もいるかもしれないけど
「坂本龍馬研究の第一人者」とされている方で、例の新書簡で年末にドラマ(あくまでフィクション)の原案を作られたようですが、おそらくここ数年の「越前藩で大河ドラマを」の流れが今の動きになっているのだろうけど、なんか無理くり坂本龍馬であれば多少のフィクション(イメージ)でいいだろうと作ってるように感じる部分も気になるんですよね。
この文からするとこの方は当時の通史で例えば薩摩・慶喜あたりには通じていないってことがちょっと感じられるし、二つ前の記事にも少し書いたけど、鳥羽伏見の戦いが起こらずに薩摩藩強硬派の大久保・西郷が退けられて、慶喜が議定の筆頭になったとする(こうなったらこうなったで会桑の処遇も紛糾してそうだが)
これも仮定にすぎないけど何かの責任問題ができて慶喜が転けてしまったら、やはり例えば小松帯刀(龍馬自身は小松を首相格にと思っていたことは十分考えられる)をもってでもそのころの経緯から薩摩から代表は出せないだろうし、その時は春嶽の出番がある可能性はきたのかなとは思います。
また慶応三年十二月あたりは「公議派」が実を結ばなかったことで知られることは無くなったけど、中根雪江は結構大事な仕事をしてるのですが(年齢がもっと若くって後藤ぐらいの年だったら、十分新政府に出仕して参議にもなれたかもしれない)ある程度の役目は回ったかもしれない。

歴史に「もしも」はないが、龍馬が暗殺されず、春嶽が国のかじ取りを行っていれば、武力ではなく、話し合いで物事を決する国家ができていたかもしれない。戊辰戦争から日清、日露、太平洋戦争へと続く「戦争の70年」に突入しなかった可能性があるように思う。少々、想像を膨らませすぎたが、大国が覇権を争う現在の世界情勢や日本が置かれた立場を顧みるとき、龍馬の新国家構想に立ち返ることは意義がある。

問題はこの最後の四行が引っ掛かりまして、龍馬が大人物になりすぎですね。
藩単位であったり、江戸からも幕府軍も出兵してきているのに龍馬がそれらを抑えて「言論」で解決なんてできるんですか。
大政奉還に反対する会桑や幕軍、薩摩の強硬派や上洛を目指す長州軍や芸州軍と有力諸侯を差し置いて、どうやって話し合える。
大政奉還は龍馬の手柄を後藤が取ったとか言うくだらない意見も、後藤の実行力を軽視しすぎだし「龍馬の存在だけで当時の政局が回った」とかありえん。
個人が動くだけで何が成るのだ、それができるのは将軍ぐらいで鳥羽伏見の戦いも慶喜がある意味、想像以上の行動を起こしたおかげで収束に向かったのですよ。
何度も書いてきましたが、当時の世界史では黒船来航にしろ、ロシアの南下にしろ、清における列強の勢力争いも当然「兵力」をバックに外交を行うんです。ある意味、現代の中国もそういう考えでしょう。
明治以降も国を富まして、徴兵制も取り軍事力を整備することでようやく「条約改正」と言った列強と対抗できるようになった。例えば軍艦の隻数あたりで兵力を以ての抑止力だったり、時期に応じたお互いの軍縮ってのもあったのです。
なんだか、これだけの文章で明治以降をくくってほしくはないのです。




毎日新聞がちょっと「明治百五十年」でなにやら怪しい記事を書いていて、これも理解できないんですわ。何で当時と現代は世界の認識も違うのに、現代の考えをそのままあてはめようとするのか。(以降 毎日新聞のネット記事より)この内容でSNSで平気で拡散する人がたくさんいて、それが「歴史を知った」つもりでいるから、たちが悪いのです。


今年は明治元年(1868年)から150年。政府は「近代国家への第一歩」を踏み出した年と振り返り、さまざまな記念事業を予定している。しかし、誇れることばかりだったのだろうか。「富国強兵」を推し進めた明治時代と、集団的自衛権の行使を容認する現代。時代の空気感はどうも似ているようなのだ。

    外圧の高まりとナショナリズム高揚

    まず、政府の各府省庁連絡会議が「『明治150年』関連施策の推進について」(A4判3ページ)と題してまとめた文書の概要を見てほしい=表参照。

    「基本的な考え方」の一つは「明治以降の歩みを次世代に遺(のこ)す」。もう一つは「明治の精神に学び、更に飛躍する国へ」。作家の半藤一利さんは「これではトランプ米大統領の発想と同じで『ジャパン・ファースト』。ナショナリズムを鼓舞するのは非常によくない」。

    「昭和史」などの著作を通じ、第二次大戦に至る歴史を検証してきた作家は、やがて明治維新を迎える幕末と、第二次大戦に向かう時期には共通点があると言う。外圧とナショナリズムの高揚だ。そして「口当たりのいいスローガンを掲げ、国民の熱気をあおった」ことも指摘する。

    幕末期は長州藩士らが外国人排斥思想の「攘夷(じょうい)」を掲げた。明治政府は「脱亜入欧」へと方針を180度転換し、「富国強兵」に突き進む。陸軍=長州(山口県)、海軍=薩摩(鹿児島県)という軍閥が形成され、日清、日露戦争を戦い、第二次大戦で国土を焦土にした。

    では、現代の日本は? 半藤さんは「政府は、中国や北朝鮮の脅威をことさら強調し、ナショナリズムをあおっており、戦争の芽が育っている」と警鐘を鳴らす。

    明治時代の庶民の暮らしについて、半藤さんは「税金を払うのにどれだけ苦労したことか」と思いをはせる。1873年実施の「地租改正」では、地価の3%(後に2・5%)の税金を納付することが義務づけられ、払えない農民は小作人に転落した。「格差の拡大」である。反発した農民による一揆が各地で起きた。半藤さんは「国家をつくってきた庶民の暮らしぶりは、政府の明治150年に関する『基本的な考え方』に全く反映されていません」と話す。

    薩長史観を批判的に検証した「明治維新という過ち」の著者で、国会議員の勉強会にも招かれている作家の原田伊織さんは、1868年の「神仏分離令」をきっかけに「廃仏毀釈(きしゃく)運動」が全国に広がり、貴重な仏像や寺院が破壊された史実を指摘する。「過激派組織の『イスラム国』(IS)やタリバンがやっていることと変わりはない。『基本的な考え方』には、そうした負の歴史を検証した形跡が見られないのです」

    なぜ、明治のところを「軍事国家」だけでくくろうとうとするのか?
    資本家が生まれていろんな産業を生んだ面も重要だし、工業化が進んだのも。一方で失業した士族あたりは各地に入植したりしたよね。
    新しい西洋文明もうまく交えてまた違った文化も育てた。幕末期からも問題だった領土問題も近代国家として重要ですよ。
    廃仏毀釈も水戸から始まって違う地域に広がった結果だし 「薩長だからそうなった」ってことはないし。
    中国や北朝鮮の脅威も当然じゃないですか、軍事力をどれだけ伸ばしているっていうんだ。あれだけ国境に迫ってきて。
    こちらは歴史問題にいつまでも縛られて謝罪しろだし「我が国は兵力は持ちません」と言う理屈で外交をするのなら、相手を納得させ兵力を持たせないぐらいの覚悟でこそ現状の憲法が生きるのではないのですか? 
    それを言うなら、あなたらが中国に行って言えよ。北朝鮮には話し合いで解決っていう政党も実際に動いてから偉そうにものを言えって言うんだ


    「敵」と「味方」を区別した靖国史観

    明治以来、いまだに尾を引いている問題がある。政治家による靖国神社(東京都千代田区)の参拝だ。討幕運動で命を落とした人を顕彰する国家施設として、前身の東京招魂社が創建されたのが1869年。「靖国史観」の著書がある東京大大学院の小島毅教授(思想史)が解説する。

    「靖国神社は万世一系で神聖不可侵の天皇が国家の元首であるという思想に立っています。まつられるのは、天皇のために命を落とした人であり、国家のために死亡した人ではない。そのため維新の立役者だった西郷隆盛は、西南戦争で賊軍として亡くなったのでまつられていません」

    靖国神社とは対照的に、明治以前から日本には、敵味方の区別なく戦没者の菩提(ぼだい)を弔う「怨親(おんしん)平等」という伝統がある。例えば、神奈川県鎌倉市の円覚寺。鎌倉時代の蒙古襲来で犠牲になった敵味方双方の霊を慰めるために建立された。敵と味方を分ける靖国神社の考え方について、小島さんは「日本古来のものではありません」と強調する。

    閣僚らが、靖国神社に参拝する度にアジア諸国から「歴史を美化するのか」などと批判の声が上がり、友好関係にヒビが入る。

    「歴史を学ぶ意味は正負の両面を多角的に検証し、同じ過ちを繰り返さないことにあります。明治元年は戊辰戦争という内戦があり、多くの命が失われた年です。この150年を振り返るなら、今も内戦で苦しむ人たちが世界にいることに、思いをはせる年にしたいものです」。小島さんは、歴史を現代に生かす視点こそ重要と説く。

    靖国は戦後30年ほどは何にも外交問題ではなかったのです。勝手に日本から火をつけて外交問題化させた。
    「歴史を美化」って誰がそう判断すると言うのか。

    靖国には「賊」とされた方も祀られている社もあるのですが、ご存知ないのかな

    「良妻賢母」主義に傾いた女性政策

    明治を生きた女性の立場はどうだったのか。同志社大大学院教授の佐伯順子さん(メディア学)は「明治前半までは女子教育の発達や女性解放論の台頭などプラス面がありますが、後半に女性の役割を家事、育児に限定するいわゆる『良妻賢母』主義が強まり、活動範囲はせばめられました。前半と後半の違いを注意深く見る必要があります」と説明する。

    佐伯さんによると、1872年の学制公布で男女とも義務教育を受けられるようになったのは大きな前進だった。政府は、後の津田塾大を創立する津田梅子ら女性を留学させるなどの施策も取った。女性誌が多く発刊され、世間は「女性も活躍する社会に」と盛り上がった。しかし、政府が女性教育に力を入れた目的は、男子の立身出世を支える母親になるため。高等女学校令では、良妻賢母を育成するとの目標が明記され、裁縫、家事など女性だけのカリキュラムが導入された。

    佐伯さんは「この背景に国民皆兵制があります。政治、経済、社会を動かす公的領域が男性中心となり、女性に『銃後の守り』を求める発想から、女性が活躍できる職業は教職や看護職などに限られるようになっていきます」と話す。つまり、男女平等の考え方に基づいた政策ではなかったわけだ。

     「『明治が良かった』と言う女性は少ないはず」と考えているのは、敬和学園大の元教授で女性史研究家の加納実紀代さんだ。実例を次々と挙げた。「集会及(および)政社法」では、女性の政治活動や政治結社への参加が禁止された。新聞紙条例改定で女性は新聞を発行してはならないとされた。明治民法には「夫は妻の財産を管理す」などの規定が設けられた--。女性の地位の向上を阻むものばかりだ。

    翻って現代。安倍政権は「女性活躍」を盛んにアピールする。だが、加納さんは「明治を参考にするなら、女性は輝けません」と言い切る。少なくとも女性政策は「明治時代から学びたい」と単純に礼賛できる時代ではなさそうだ。

    明治って本当に悪い時代だったのかな。
    この人たちは現代が素晴らしいっていうのだろうか。現代でも「格差がー」って言ってるんじゃない、、、どうすればいいんだ。


    自由民権運動を弾圧、東北を軽視

    明治時代と安倍政権との類似性について、評論家の佐高信さんに尋ねた。「明治政府は自由民権運動をつぶすなど、異論から学ぶ姿勢がなかった。安倍政権も批判には耳を貸さない姿勢が目立っています」。佐高さんは、明治政府側が戊辰戦争で「賊軍」とされた奥羽越列藩同盟の諸藩を「白河以北、一山百文(ひとやまひゃくもん)」と軽視したことを問題視する。自身の故郷は山形県酒田市、「賊軍」とされた旧庄内藩だ。

    「戦死者を葬ることさえ許されなかった旧会津藩をはじめ、明治政府に対する恨みは今も受け継がれています。それなのに明治150年事業を進める安倍政権は、歴史に鈍感すぎるのでは。自治体レベルの事業なら理解できますが、国として進めるのは無理があります」と語る。

    なお、「明治150年」事業を進める安倍晋三首相と、「明治百年」事業を進めた当時の佐藤栄作首相は、同じ山口県出身だ。

    安倍首相に近いと見られている国会議員の中には、憲法が公布された11月3日の「文化の日」を「明治の日」に改めようとする動きもある。佐高さんは「明治に西洋列強の仲間入りをして行き着いたのが、太平洋戦争での敗戦。あの戦争を間違ったものと認識できず、明治から現代まで、ひとつながりと考える人が明治を礼賛しているのです」と批判する。

    違う、明治維新と大正期、第二次大戦はそれぞれの目線で見ないと判断できない。
    庄内で恨みってそう聞かないけどな、西郷さんへの敬慕は受け継がれているけど。
    明治維新が悪いって語って「ひとつながりで考えている」のはお前の方。
    地域で差別するなと言いながら、山口の地域ひとくくりで同じような人間ばかり生まれるって思っているの?
    それこそ差別だろうが・・・

    政府は今後、「明治150年」に向け(1)明治期の文書・写真などのデジタルアーカイブ化の推進(2)美術展開催など当時の文化や技術に関する遺産に触れる機会の充実--に取り組むという。「負の側面にどう向き合うのか」との質問に、内閣官房の施策推進室は「具体的な関連施策は関係省庁などが検討を進めている。日本各地で多様な取り組みが進められるよう努める」と回答した。

    この時代をさまざまな角度から見つめ、あるべき将来像を描けるか。一人一人の問題意識が問われる「明治150年」になるだろう。


    「明治150年」関連施策の推進について(抜粋)

     ◆基本的な考え方

    1「明治以降の歩みを次世代に遺(のこ)す」

    ・日本は近代化に向けた歩みを進めることで、国の基本的な形を築き上げていった。

    ・立憲政治・議会政治の導入、技術革新と産業化の推進、義務教育の導入や女子師範学校の設立など女性を含めた教育の充実等、近代化に向けた取り組みは多岐にわたる。

    ・過去を振り返って見えるものは、未来へのビジョンでもある。近代化の歩みが記録された歴史的遺産を後世に遺すことは極めて重要。次世代を担う若者に、これからの日本の在り方を考えてもらう契機とする。

    2「明治の精神に学び、更に飛躍する国へ」

    ・明治初期から中期を中心に、若者や女性、学術や文化を志す人々が、海外に留学して貪欲に知識を吸収したり、国内で新たな道を切り開いたりした。

    ・外国人から学んだ知識を生かしつつ、和魂洋才の精神によって、単なる西洋の真似(まね)ではない、日本の良さや伝統を生かした技術や文化が生み出された。

    ・明治期に生きた人々のよりどころとなった精神を捉えることにより、日本の技術や文化といった強みを再認識し、現代に生かすことで、日本の更なる発展を目指す基礎とする。


    寛容性のない国になった 原田伊織・作家

    拙著「明治維新という過ち」には各方面からいろいろな反応を頂いた。「ネトウヨ」は私を「左翼の反日主義者」と呼び、一方で「右翼の軍国主義者」とも批判された。中には脅迫状まがいのものもある。今風の言論「テロ」と言えよう。どうしてこうも短絡的になるのか。幕末、政局の主導権争いで問答無用に「天誅(てんちゅう)(テロ)」に走った伝統が今も残っているのか。こんな寛容性のない国になったのは「いわゆる明治維新」以降のことでしかない。

    元凶を作ったのが長州藩士たちだ。長州出身の元老たちによる明治の「長州藩閥」政治は大正以降も今に至るまで「長州型」政治として日本の政治風土の中で続いている。特徴は、憲法をはじめとする法律よりも、天皇を重視し利用してしまうこと。幕末に長州藩は孝明天皇や幼い明治天皇を担いで攘夷(じょうい)、倒幕の御旗(みはた)として利用したが、明治以降はまさに「天皇原理主義」となり、国家を破滅に導いた。それ以前の日本には天皇を神聖化した「原理主義」などは存在しなかった。

     もう一点は富国強兵、殖産興業の名の下で政治と軍部、軍事産業でもあった財界とが癒着する社会を生み出したことだ。これが私が言う「長州型」政治である。明治50年は寺内正毅、100年は佐藤栄作、そして150年は安倍晋三と、いずれも山口県(長州)出身の首相の下で祝典が営まれるのはただの偶然と思いたいが、戦後の自民党政権は一貫してこの長州型から抜け切れなかった。

     最大の問題は歴史の「検証」がほとんど行われなかったことだ。「明治維新至上主義者」である司馬遼太郎氏は敬愛する大学の大先輩ではあるが、「それだけは違いますよ」と言いたい。どれほど無駄な命があの原理主義の名の下に葬られ去ったか。その「過ち」の検証も反省もなく日本は2度目の破滅(敗戦)を迎えたのだが、戦後も検証は行われず、ずるずると今も明確な外交方針すらなく業界との癒着がニュースになる。武家の倫理観はどこに行ったのか。

    「江戸は遅れた貧しい時代だった」という、江戸を全否定する官軍教育の影響も大きかった。私たちは遅れた江戸が文明開化で豊かに、幸せになったと教科書で習ってきたが、これは捏造(ねつぞう)された歴史だろう。250年も平和が続いた「徳川の平和」に今、世界が注目している。平和や人々の倫理観に加えて、日本古来の自然観の中で、世界一の大都市ながら循環型で持続可能な社会を営んできた時代の存在は、世界史上でもみられない、日本の宝と言っていい。

    150年前は私たちの祖父や曽祖父が生きていた時代であり、そう遠い時間の流れではない。まだ手が届く所にあり、検証は間に合う。勝者に都合がいい歴史に洗脳されることなく、さらなる悲劇を繰り返さないために、少々歯切れは悪くとも史実は史実として真面目に向き合う勇気を持ちたい。少なくとも「隠蔽(いんぺい)」と「捏造」を許してはならない。まるで軍国に狂奔した「昭和維新」そのままの発言を続ける現政権はかなり危険だが、「明治150年」を検証の契機とするのなら、意義はあるだろう。

    原田伊織って写真みたけど「くだばりぞこないのじじい」そのものに見える。
    一次資料やその事柄で双方からの視線で見るともなく、自説に沿って偏向して書いている内容は何人も指摘してるし
    専門の研究者でないし、論文なんてないでしょう。なぜ著述家として重用されているのか。
    江戸時代が一方的に明治よりよかったってことはない。それぞれに一長一短ある。
    「老害」って言ったら批判されるんだろうけど、よく討論番組で昔の顔で出ています見たいな評論家が、現代の論客や専門家の話も聞かずに話を遮る、否定するってのがあって、その人たちの30年も40年も前の認識が現代にも通るように喋りまくって、見ていて腹立たしいものだ。
    朝生の田原もいい加減にしろって言いたいけど、あの人たちは失うこともないし暴言もそのまま。
    現役世代ならある程度守るものもあるし、組織内で成果を出さないとダメだからしっかりと考察した上で意見を述べるなりまとめるなりするものだけど、そんなものもないし、ある程度知名度の高い人物が年齢もいって大御所的な存在になったら、そのまま「もっともだ」的なことでそのまま伝えられてしまう。大橋巨泉の亡くなる前の言葉ってのも利用されたものだし。
    新聞の投稿欄も年代も偏り、意見も偏りですね。無茶苦茶な意見も多いけど、その人たちが多いから選挙も世代別で全然違ってくる。
    そしたら若者の考えも頭越しに偉そうに否定する。

    それで意見したら「ネトウヨ」呼ばわりでこんなザマでしょう。
    毎日は原田伊織のこんな記事載せていいの。真実ではないことを自分の憶測と思想に沿って捻じ曲げて書いているだけじゃないですか。作家は書いたら批評を受けるのは当たり前。それを寛容性がないとか、あまりにも勘違いで自惚れすぎ。

    by enokama | 2018-01-10 07:43 | 歴史全般 | Comments(0)