エノカマの旅の途中

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慎太郎と龍馬ゆかりの佐賀関~佐賀関の街並と屋号

佐賀関では近年研究が進んで現在の街並と幕末当時の屋号の照合が進められて、現在当該地には駒札が建てられて、わかりやすく散策できるようになっている
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勝海舟らの幕府蒸気船や薩摩藩蒸気船は水深もあって、北の港(上記地図の帆船の絵がある方の佐賀関港。現在も近隣にフェリーが発着する)に入港した
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この場所は佐賀関バスセンターからすぐなのでわかりやすい。かつては「日鉱佐賀関」と言われた大きな工場が見える。
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南の港は佐賀関漁港となっている
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駒札を頼りに引き続き、肥後藩のゆかりの場所を訪ねる。

上浦番所跡
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こちらでは警察・防衛関連の重要な場所だった。

九曜の紋がある福正寺
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関会所・御茶屋跡
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見取図も残っていて、藩主も休憩や宿泊をして立派な建物だったようだ。

勝海舟と坂本龍馬の泊まった(近年、宿泊記録が見つかった)徳応寺
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本堂は工事中だったので門だけです。
近辺では勝らの一行を世話した商売人たちの屋号もかなりわかっていて、駒札もたくさん建っている。


ここからは個人的な本題ですが・・・
中岡慎太郎の「海西雑記」に西郷隆盛らとともに佐賀関に入った記録が記されている。
慶応元年閏五月十五日、上洛する西郷隆盛と家老・岩下方平らとともに慎太郎は薩摩を出航する。よく知られるようにその途次で馬関に立寄り、そのころ出石から帰還していた長州藩の実力者・桂こと木戸貫治と西郷の対面をさせると言う思惑があったとされる。
十七日には日州兎の浦(おそらく日向美々津)に泊まり、十八日に佐賀関に入るが、この地で西郷らは上洛を急かす大久保の書簡に接したとされ(長州再征を巡る朝議への対策を優先する)馬関への立寄りを止め、直行することとし太平洋側の航路を取り、船は急いで東へと向かった。
単身で大島屋に泊まった慎太郎は二十日に漁船(おそらく「飛船」のような足の早い船と思われる)を借りて、馬関へ行く。そして木戸が激怒したと伝わる。。。

ただ佐賀関での具体的な話が伝わらず(この地で接したという)大久保の書簡も現物がない。このように薩摩藩の立ち寄りが頻繁にあったのならば佐賀関に関連した記録が残っていてもよさそうなのだが、薩摩藩要人の幕末の佐賀関立ち寄りの記録からして全くなく、唯一この慎太郎の日記でしかわからないとのことでした。
その他の薩摩藩の記録では江戸時代にあった姫の徳川家へのお輿入れのさいに立ち寄ったものがあるとのこと。
ちなみに慎太郎の泊まった「大島屋」ですが、実在したのは確かだが場所が特定できていないとのことで、残念・・・

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by enokama | 2017-08-09 19:02 | 歴史連載 | Comments(0)