エノカマの旅の途中

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岩倉具視幽凄旧宅を表門から入る


先日。表門から入って建屋にも上がれて、学芸員さんの案内を聞けるイベントがあったので再度(→関連記事)行ってきました!
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鄰雲軒(りんうんけん)
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こちらの建屋は一時の尊攘派からの警戒が少なくなり、密かに岩倉具視に会いに来る志士たちも出てきたころに
元々居住していた建物(附属屋・大工藤吉の居宅を購入)に増築して、元治元年に建てられたものである。
来訪客の応対ができるように床の間があり、建物自体の派手さはないものの良質な部材が使われた建屋である。
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天井には「蚊帳吊」の金具がついていて。障子は大宮御所からのしつらいもあって手延べガラスは明治期のもの。
庭は明治から昭和にかけて順次整備されたもので、あの小川治兵衛も関わっている。
岩倉公手植えの松は150年経つ。

今日は「坂本龍馬も通った表門」ってことだったので「何回来たのか?」ってことも聞いてみた。
「岩倉公実記」には慶応三年六月二十五日に中岡慎太郎に連れられて坂本龍馬がやってきている。
その他一件の龍馬の来訪が確認できているとのことでした(僕自身では確認できてません)。
あと六月二十五日以前に龍馬が来ていた可能性も言われていました。
ちなみに慶応三年四月二十一日に初めて会った以降の慎太郎の日記を見ていると六回、慎太郎は具視に会った記述が見られます。

岩倉と言う地域と具視の関係は幼少期には里子に出されるのか慣例だったので、実際に住んでいたことでつながりがあったこと。
幽凄して尊攘派に狙われていた時期には、岩倉の人たちが必死になって守り抜いたこと。
付近には九兵衛宅跡(花園町)具視が避難場所(実相院背後の山中)と言った所にも石碑が残されている。
明治以降に京都及びこの岩倉地域の発展についても、具視は力を尽くしたこともお聞きしました。
そのうちの整備された付近のため池の一つにも石碑が残っているそうです。
また、この地に来る前に滞在した霊源寺にも石碑があります。

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by enokama | 2017-07-27 05:50 | 私の好きな京都 | Comments(0)