エノカマの旅の途中

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筑前赤間宿と五卿の滞在

小倉・常盤橋を起点とする長崎街道は直線的なルートで内陸の筑豊を経由して鳥栖から佐賀へと至る。
現在の鹿児島本線沿いから博多を経て、唐津まで海側を通るのが唐津街道である。

黒崎宿に三泊した五卿は一月十八日に長崎街道を木屋瀬宿まで進み、ここから渡し船で遠賀川を越えて赤間宿に入った。
ここでは赤間宿本陣(御茶屋)に入ることとなる。
赤間宿は木屋瀬宿への分岐点であり、バックに筑豊の産炭地や玄界灘に面した各漁港からの程よい距離から「物資の集散地」として、当時は商工業が栄え、大いに賑わったと言う。
しかし明治になって鉄道が開通してからは、この地域の中心地が東郷(宗像市役所の所在地)となり
赤間駅もこの宿場から離れた場所に設置され、寂れて行った。
現在は宿のほど近くに教育大前駅(福岡教育大学)が設置されたが、昭和63年とかなり後になってのものである。
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駅にほど近い法然寺のそばには「五卿西遷の碑」がある
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御茶屋跡
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場所は少し高台の城山中学校の敷地となっている
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この地で五卿は二十五日間、八畳一間に押し込められると言う冷遇を受けたと言う。
前年末に小倉の越前藩征長副総督、薩摩藩、福岡藩と言った間で「五卿動座」の筑前での受け入れについてはまとまっていたが
あくまで早期の「征長軍解兵」を進めるための一時的なもので、五卿についてはそれぞれ違う藩(福岡・久留米・佐賀・肥後・薩摩)に預けると言う意見も佐幕勢力が強い福岡藩ではあり、薩摩藩や五卿付きの望む「五卿揃っての引き受け」の件については、長州とのラインも強い月形洗蔵らの勤王勢力を抱える面で幕府からの嫌疑を受けるリスクもあって抵抗が出ていた。
この事態に赤間には西郷隆盛、早川勇、石川清之助(中岡慎太郎)と言った人物が入り、博多にも大久保利通が入って福岡藩への働きかけを行った。
そして大宰府での五卿揃っての滞在が決まり、五藩から警衛士を出すこととなり、ようやく赤間を出発することができた。

この地には古い商家も残っている
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出光興産の創業者・出光佐三生家
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赤馬館
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こちらで観光案内と少し展示があります。
中岡慎太郎とも交流も深い早川勇はこの近くの吉留の出身で、当地には銅像もあります。

スタッフの方ともお話したんですが、もう少し早くに文化財や街並みの保存が始まってたら当時の建物ももっと残っていたのにともおっしゃっていました。

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by enokama | 2017-07-20 06:00 | 福岡藩 | Comments(0)