エノカマの旅の途中

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広寿山福聚寺~小倉藩・小笠原家の菩提寺

昨年秋に小倉に行った時のレポを書きたいと思います。
まずは小笠原家の菩提寺である福聚寺(ふくじゅじ)へ、交通は小倉駅から西鉄バスに乗った郊外となります。
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慶応二年(1866)の長州藩との戦い(小倉戦争)で諸堂の大半を焼失するが、中央に見える一番大きな仏殿(本堂・1822年再建)・不二門・鐘楼等が残されている。
仏殿の右背後にある祠堂(歴代藩主らの位牌を安置)の裏を流れる小川の周辺には歴代藩主ら小笠原家墓所が広がっている。
仏殿の左手にも大きな墓域がある。




小倉戦争(関連記事→こちらこちら)で長州征討軍に加わっていた肥後兵は、福聚寺を中心とした陣営に一万二千人と言う大軍が布陣し、境内には陣小屋も建てられた。
ただし本格的な戦闘は赤坂での戦いのみであり。将軍・家茂の死が伝わると肥後兵は直ちに撤兵している。
総督・小笠原長行も逃亡し孤軍となった小倉藩は城を捨て城下に火を放ち、藩領南部の香春に落ちて行き
以降は長州兵とのゲリラ戦の様相となっていく。
その城下からの撤退の際、福聚寺にも火が放たれたが前述のとおり全焼は免れ
奇兵隊を中心とする部隊を指揮する山縣有朋が福聚寺を長州兵の主力陣営として入り、続いた小倉兵との戦いの拠点ともなった。

残った仏殿
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炭鉱労働者の供養碑(小笠原の名が見える)
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仏殿左手の墓域にある
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家老・島村志津摩の墓所(→関連記事
みやこ地区で亡くなったが、のちにこの小笠原家菩提寺に改葬された。

そしてここは日付に注目ですが(文久三年七月二十七日)
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長崎丸事件で非業の死を遂げた河野四郎墓所

小笠原家墓所はしっかりと鍵がかかっておりました。
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by enokama | 2017-07-07 19:37 | 長府藩・小倉藩 | Comments(0)