エノカマの旅の途中

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戸田造船郷土資料博物館とロシアとの交流

御浜岬近くには旧戸田村によって昭和44年に開館した戸田(村立)造船郷土資料館があります
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館の周辺には海中に沈んでいたディアナ号の碇。後年になって引き上げられた!
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上田寅吉の顕彰碑
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プチャーチンの曽孫マリーナさんによる記念樹
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安政三年(1856)プチャーチンの副官だったポシェットとが日露和親条約の批准書を携えて日本にやってくる。
その際にヘダ号も艤装をし直し砲も整備され、下田に回航されて幕府に返された。最終的には江川家で管理されたそうである。
プチャーチンの子孫も度々訪れていて、戸田村への寄付も行っており
この館の開館時にもソ連から寄付金を受け取るなど、150年以上たった現在でもロシアとの交流が続いている。
明治24年にロシア皇太子ニコライの来日時にも来訪が予定されたが、この事件のために実現しなかった。
もしプーチン大統領の次回の来日が実現すれば、戸田で日露首脳会談を行うのもいいんじゃないでしょうか、
(150年の時はこんなイベントもあった→こちら
館内の見ものは大阪万博で展示され、のちソ連から戸田村に寄贈されたディアナ号の模型。
カムチャッカの海岸に近づくヘダ号や下田で遭難するディアナ号の画。
地元に残されていたヘダ号の設計図や当時の船大工の大工道具。
プチャーチンらが戸田村に残していったロシアの絨毯、トランク、椅子、花形テーブル。
川路聖謨の掛軸と言ったゆかりの品々が展示されています(→こちら
こちらには村内のゆかりの地の案内図があるので、それを見ながらさらに散策します。。。

プチャーチンら上官が宿泊した宝泉寺(黄緑印)
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士官クラスは近くの本善寺が宿舎となり、ロシア兵のために周辺に長屋も作って収容した。

この地で亡くなったロシア人2名の墓
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日露交渉の修正協議が行われた大行寺(オレンジ印)
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当時の建物は火災で失われ、史料も残っていないとのこと。
この地に川路が訪れて、ロシアと協議を行った(→こちらこちら


松城邸
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豪商の松城邸(緑印→こちらこちら)明治初期に建てられた擬洋風建築で独特な外観。
ヘダ号建造にも携わった当時の当主・松城兵作は明治時代に戸田で造船所を営んだ。
明治15年にロシアのポシェットは戸田を再訪、この松城邸で歓迎を受けている。

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by enokama | 2017-05-09 01:54 | 歴史連載 | Comments(0)