エノカマの旅の途中

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関西の鉄道を作った実業家たち

少し前になりましたが堺の中もずまで足を延ばして
「京阪電鉄の創業と渋沢栄一」「南海電鉄を作った企業家たち」と言う講演に行ってきました。
「西の五代」「東の渋沢」の話でもあります。




まずは京阪のお話で、こちらの創業には渋沢が関わっているんです(東洋大学 坂口誠氏)
渋沢自身のことはあまり詳しく知らないのですが、京都で志士活動をしていたころに徳川慶喜の側近である平岡円四郎の引きで一橋家に仕官しやがて幕臣に、そして「パリ万博」へ兄慶喜の名代として赴いた徳川昭武に随行し、こちらで株式会社・経済は何ぞやと言うことを学んでくる。
幕府瓦解後は徳川家と共に静岡に移るも、大隈重信の引きで新政府に出仕し大蔵官僚となる。しかし数年で仲の良い井上馨とともに退官。
ここから民間で会社設立や銀行設立と言ったことに携わり、自身の第一国立銀行から資金を貸し出すと言った流れで「株式会社」財閥の育成に取り組み、東京商工会議所・東京株式取引所と言った設立にも関わる。
事業計画が「官尊民卑」と呼ばれていたころ、民間の活動に活力を与え実業家の地位向上にも取り組み、札幌ビール、大阪紡績を初めとする多くの企業の設立に携わる。
大阪紡績ではそれまでの動力の水車から、蒸気機関の導入で生産の安定(水車は渇水期には落ちてしまうので)と大規模な事業に成功する。
その一つが京阪電車であり、紹介された史料では決して名前だけでなく、本人が直接開業に向けて積極的に動いていたことが知れる。
最初の申請から10年ほど開通に時間がかかっており、途中に恐慌があったりして資金が集まらず苦労したこともあった。

宮本又郎さんの講演では大阪の実業家たちの話がありました。
五代友厚は南海鉄道の設立には直接関わっていないが(多くの鉄道の敷設が始まる頃には亡くなっていた)
多くの影響を受けた資本家が関わり、その中心が松本重太郎(丹後半島の間人出身)で「東の渋沢」に対して「西の松本」と呼ばれる時期があったほどの人物であった。
鉄道は敷設から開通まで時間がかかり、すぐに儲けが出ない仕組みでもあり巨大な資本が必要で「投資家集団」の協力が必要不可欠であった。
投資は株式等にもあり、その株価の上下にも影響され、投資家たちは鉄道事業からすぐ引くこともあるなど安定しない面もあった。
そう言った鉄道に投資した実業家は酒造家が関わることが多かった(阪神電車など)
松本重太郎は大阪の呉服商で丁稚奉公のあと、文明開化で独立した洋反物商から、毛布ラシャと言った軍への用向きで財を成す。
そして繊維事業から銀行、鉄道へと公的な事業に展開していく。
たたし前述のように鉄道はすぐに結果の出る事業ではないので長期金融が必要で、松本が設立した百三十銀行では長期金融のシステムを作るも、下手をすると「資金の焦げ付き」につながってしまい、やがて銀行を手放さざるを得ないこととなる。
盟友の外山脩造は越後出身で河井継之助の薫陶を受け「商人になれ」と励まされ、大蔵省から日本銀行~民間銀行に勤める。
日銀大阪支店時代には一般向けの金融を行う動きに対し「普通銀行の営業を妨げてはならない」とし「銀行の銀行」に徹するよう主張し、上司と対立し辞職したこともあった。
欧州への留学体験があり、そこで融資先への信用調査の重要性を学び、担保物件を預けることから「倉庫会社」を作り、さらにその倉庫が火災にあうことに備え「保険会社」が生まれた。

他にも大阪のいろんな実業家の話がありましたが宮本さんはやはりすごく詳しいし、各項目の時間配分も絶妙で分かりやすかったです。
また機会があったら聞きに行きたいものです。

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by enokama | 2017-04-07 01:24 | 大坂発見 | Comments(0)