エノカマの旅の途中

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興津宿~明治の実力者たちの別荘地

東海道十七番目の宿場町が興津宿。かつては風光明媚な海岸があり「避暑地」として、井上馨、伊藤博文の養子・博邦、西園寺公望、川崎財閥の創設者・川崎正蔵ら明治の政財界の実力者らが競って別荘を建てた。
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大正天皇も海水浴に訪れている。
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水口屋はこの地を早くから訪れていた後藤象二郎により「一碧楼」と名付けられ、その風聞を聞いた岩倉具視、三条実美、原敬、浜口雄幸、福沢桃介と言った政財界の実力者たち、皇族でも三笠宮殿下、有栖川殿下と言った人物が訪れている。
興津は参勤交代に代表される宿場町から、東海道を往来する商人たちや伊勢詣での宿泊地と変貌し、別荘リゾート地としての名も高くなった。
水口屋は第二次大戦後に至るまで、文化人・政治家の利用や昭和天皇皇后両陛下の宿泊地と言った老舗旅館として続いたが、海岸線は埋め立てられて工業地帯となり、かつての風景は失われて約400年続いた宿屋は昭和60年に廃業。
その後は地元静岡の有力財閥・鈴与が管理し、水口屋に伝わってきた貴重な有名人の什器、書簡、書画が展示されている。
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「坐漁荘」は水口屋にも秘書の中川小十郎と共によく訪れていた西園寺公望がこの地を気に入り、晩年を過ごした別荘である。「元老」に面会する者たちが盛んに訪れて「興津詣」とも言われた。
当時の建物は博物館明治村に移築されて、現在は跡地に模した建物が復元されている。

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海岸線の雰囲気
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井上馨も興津を気に入り、十七万平米に及ぶ広大な敷地に「長者荘」を建てて晩年を過ごしこの地で亡くなっている(→墓所
残念ながら、その邸宅は第二次大戦の空襲によって失われた。
また高さ五メートルに及ぶ井上らしい(→ここここここ)フロックコート姿の巨大な銅像も建てられていた(銅像供出で撤去)
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石碑が二つ残されて長い間放置されてきたが、地域の発展に尽くした井上を慕う地元の方たちによって、現在は緑地として整備され、かつての銅像の作者によって新たに座像が作られている。
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久原、藤田、古河、麻生、渋沢…さすがの人脈
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杉孫七郎の碑文
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by enokama | 2017-02-09 14:42 | 歴史連載 | Comments(0)