渉成園・枳殻邸
東本願寺・枳殻邸に初めて行ってきました(4月13日撮影)
河原町通側からずっと塀は見てたんですが、入り口がわからず
結果的に(西側の)烏丸通からの方が近く、普通に京都駅から10分ほどで歩けばよかったようです。
東本願寺の別邸でかつて枳殻(からたち)を生垣として植えたことから、こう呼ばれるようになった。
幕末期には西本願寺とは違い、東本願寺は徳川幕府に近い立場を取り
有名なところでは最後の将軍となる徳川慶喜が「若州屋敷」に居を構えるまで、上洛時に度々宿泊した。
慶喜が「渉成園」と揮毫した扁額も残されている
ただ「禁門の変」により、当時の建物は失われ、現在の建造物は主に明治以降に再建されたものである。
臨地亭と滴翠軒
桜はもう盛り過ぎ
傍花閣と回廊廊
ろう(門がまえに良)風亭
慶応元年の再建で、書人の石川丈山の扁額が残されている。
明治天皇やロシア皇太子の休憩所ともなった。
この池の水源は琵琶湖疎水が引かれている