エノカマの旅の途中

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知恩院の史跡

今年の11月15日は泊まり明けで八坂神社10時集合で、大阪龍馬会の墓前祭イベントに参加してきました。
今年はあったかいし、まだ紅葉もまだまだだなって感じでした
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しゃも汁が供えられたところです!
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慎太郎、龍馬、藤吉に手を合わせてきました。
恒例のしゃも汁が11時過ぎに振る舞われて、いただいてから出発です。



今回案内いただいた知恩院は三門は上ったことあるけど、境内は初めてでした。
坂が結構きついところもあり、ずんずんと登っていきます。
本堂は修復中で画像はないが、徳川に所縁の深い寺院であります。

大鐘楼
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「ゆく年くる年」で有名な鐘楼で、かなり大きいものである。

この東北側に殉難志士之墓がある。
改元してまもない明治元年九月二十四日に建立されたもので
鳥羽伏見の戦いから一年もたたない時期で、この種の殉難碑としては最も早期のものと言える
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淡海槐堂(板倉筑前介)の墓
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龍馬・慎太郎と縁がある
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珍しく慎太郎が略されずに書いてあることはうれしいものであります。
龍馬との縁はあまり知らないので、慎太郎との関わりを紹介しておきます
(関連記事→こちらこちら) 
慎太郎の日記では慶応二年十二月七日に板筑を訪う(松原通木や町糸亀伊)と出るのが始まりで、廿日にも会い、廿一日に又板倉に至り金周旋のことと書いている。
翌三年は薩摩など西国を回った慎太郎が入京した直後の四月九日、十日と会う。十四日には海援隊士と同道した翠紅館で千三百両と言う大金を借りている。
五月三日、十八日にも会っており、十月十一日にはまた三百両を借りており
慎太郎の記録からは、有力なスポンサーであったように見えます!

近くには湯川秀樹博士や千姫の墓もあります。

黒門
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伏見城から移築されたもの

塔頭の一つ、良正院は備前藩池田家所縁の寺
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こちらには鳥取藩(池田家)藩士で本圀寺事件後、彼ら二十二士の宿舎であったこの地で自刃した奥田万次郎の墓がある。

前田正名
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こちらは前田正名の記念碑で奥にある駐車場山麓に顕彰碑がある。
顕彰碑は山の斜面にある真四角で大きく黒いもので、撮りにくかったので撮っておりません。
前田正名は幕末薩摩の開明派で明治期は政界・実業界で活躍した人物。
今回の朝ドラにも出てきた英和辞書「薩摩辞書」を編纂した一人でもある。

瓜生石
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説明はHPを見てくださいって書いてあった(笑)→こちら

この後は二条城周辺も案内いただきました。。。
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by enokama | 2015-11-24 21:00 | 私の好きな京都 | Comments(0)