エノカマの旅の途中

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樫原と勤王家 その2

辻の向こうに小川(用水)が流れている
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「明智川」とも呼ばれ、丹波を治めた明智光秀がこのあたりの農業用水として開いたと伝わる(→こちら






この川のたもとに「勤王家殉難の地」
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そしてすぐ横にはこちらの油壷があり、駒札がある。
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かつてこの地で油商を営む小泉仁左衛門の屋敷があって、山口直との縁で梅田雲浜ともつながり
ここを拠点に長州と京との交易を行い、尊攘派らの資金作りも行っていた。
禁門の変の日の朝には、小泉の屋敷で久坂玄瑞や真木和泉が朝食を取ったと言うほど
長州とのつながりが深かった。

当時からある郷倉
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嘉永三年に建てられた
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物産の集積地であるこの地には近郊の年貢米等を収めるこの種の蔵がいくつもあったが
現存するのはこちらだけだそうだ。

樫原本陣
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参勤交代で大名の宿泊があった。京都で現存するのはここだけ。

さらに西側へ、坂を上って竹藪の中
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さきほどの「勤王家殉難の地」で命を落とした者の墓である(元治元年七月十九日)
長州藩士・楳本僊之助と、元薩摩藩士と言う相良頼元・新八郎兄弟の三士の墓がある。
禁門の変で敗走し、天王山へ向かう真木和泉の隊に合流するつもりであったが
この付近を警備する若狭小浜藩士に阻まれ、斬殺された。
三人の遺骸は周辺の村人によって、村はずれの共同墓地に葬られた。

この後は三ノ宮神社へ
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三士の画
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葵の御紋と菊の御紋
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by enokama | 2015-11-01 23:46 | 私の好きな京都 | Comments(0)