エノカマの旅の途中

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樫原と勤王家 その1

霊山歴史館の史跡巡りで桂駅周辺に行ってきました。
このあたりは初めて行ったところです。

旧山陰道を歩きます。現代の国道9号線は遥か北方向を通っております。
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冷聲院(孝子儀兵衛之碑)

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このあたりは川島と言う地区の一画。
貧しいながらも親孝行に努め、鷹司家からも褒賞を受けた人物(→こちら)第二次大戦前にはたいへん有名だったそうで、一定の年齢以上の方は誰もが知っていたそうだ。

その儀兵衛を称え、あの東郷平八郎が碑を建てている
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勤王家の墓
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山口直(なおし・薫次郎)はこの地の庄屋で勤王の志篤く春日潜庵に学び、その開いた私塾・立明館には大和五條の儒者・森田節斎を招き
梅田雲浜、鵜飼吉左衛門、頼三樹三郎と言った人物とも交流ができた。
安政の大獄では嫌疑を受け因幡へ逃れ、のちの公武合体策による和宮降嫁に反対、長州尊攘派全盛時は行動を共にし七卿落ちに随行し
その間に財産は幕府に没収され、禁門の変敗走後は大和に逃れた。
維新後には新政府に出仕し東京で亡くなり、友人であった江藤新平によって墓が建てられている。
この地の墓は遥か後年に建てられたものである。


狭い旧街道だが20分おきぐらいにバスが通ってた。
京阪京都交通と市バスも走っていて、遠くは亀岡行きもあった!
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古い街並み
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樫原札の辻
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桂から2キロぐらい歩いただろうか。このあたりが樫原(かたぎはら)の中心である。
物集女街道との交差点を西側から見る。西の京都の入り口で「丹波口」と呼ばれた。

往時は物産の集積地でもあり大変賑わい、今も大きな蔵を持つ屋敷がいくつも残されている。
この樫原の地は公家の領地で、高札もこのあたりに建てられ、本陣もこの西側にあった。
かつて山陰道を来た各藩の参勤交代の行列はこの道を直進し、洛中に行くことはなく
物集女街道へと右へ折れて京都の南側へ向かっていた。
武家が直接、洛中の公家と接触することが法度で禁止されていたためである。

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by enokama | 2015-10-27 17:17 | 私の好きな京都 | Comments(0)