エノカマの旅の途中

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パークス襲撃事件 襲撃犯と陸援隊士と高野山挙兵

鳥羽伏見の戦い後、神戸事件の勃発で「無政府状態」の危機を乗り越え
新政府では元首となる天皇の下で「万国公法」を以て政権運営を行う態度を示すため
(天皇を押し立てた朝廷の下、旧幕府軍と戦っていることを各国に認知させる)
同日に各国外交官がまとまって入洛する方針となり、慶応四年二月十四日に英・仏・米・露の各国
外国行使が京都での天皇との謁見が決まる。
天皇が元首であると言う実際の証拠を見せるべきと慎重論の親幕派の仏国公使に対しては
外務事務局補だった伊達宗城が公使館に入り「幕府が以前の機能を回復することがあろうとも、将軍はその代理に過ぎない」と説得し、その辞去の時に堺事件の一報が入った。



事件の影響で各国公使の謁見は二月末日となり、英国公使は知恩院を宿舎とし尾張藩が護衛・接待をし
(尾張は外国人の接待には不慣れで不手際が多かったと言う)
仏国公使は薩摩藩の護衛で相国寺を宿舎に、蘭国公使は加賀藩の護衛で南禅寺に入った。

攘夷の吹き荒れていた京都への外国人の入洛は前代未聞のこととあって、沿道は人々で満ち溢れ
参内する行列はなかなか進まなかった。
仏国公使の接待役となっていた五代才助はその群衆に向かって馬に一鞭を入れ群衆に割って入り
通路を開けた上で行列を進めたと言う。
仏国、蘭国公使と相次いで謁見を果たし、英国公使の到着を待つが一向に到着の気配がない。


三枝蓊は大和出身の僧侶であって、藤本鉄石や伴林光平にも学んだ天誅組の生き残りである。
思想的には強硬な攘夷論を主張していた長州が開国論に転じていた時代でも
一世代前の外国排斥、攘夷論であった。
鷲尾隆聚を奉じた、紀州藩へのけん制を目的とした慶応三年終わりの「高野山挙兵」には
陸援隊出身者を中心とした集団とともに行動した。
朱雀操(林田衛太郎)も同様に参加した人物である。
陸援隊出身者では武蔵出身の剣客・川上邦之助、伯耆の神官だった大村貞助、備中松山出身の
松林織之助。
陸援隊に水戸出身者が多かったのは、慶喜の一連の開港方針に反発した本圀寺党から脱けてきた者も
多いと見られるし「攘夷思想」の強い人物が隊士として合流していたとも言える。
この五名が事件に関わることとなる。

(五代友厚関連)
五代友厚連載→その1その2その3その4その5その6その7その8その9
神戸事件→その1その2その3  
堺事件 その1その2その3その4
パークス襲撃事件→その1その2
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by enokama | 2015-12-29 23:48 | 歴史連載 | Comments(0)