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出石探訪2015~桂小五郎潜伏地の碑

元治元年6月の禁門の変での長州藩敗北後、この地に逃れてきた桂小五郎。
いろんな理由もあるんだろうけど「逃げた」で正解だろうし
長州に戻ってむざむざと殺される可能性もあった中で、長州再征の動きとともに
薩摩との協調路線を取ることができ「反幕」で割拠の体制が確立した藩政に実にいいタイミングで
迎えられることができた彼にとっては「好機をつかむ」幸運を掴んだ地とも言えるだろう。

代表的な潜伏地(荒物屋・広江屋跡)
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禁門の変のあと、小五郎は友好関係もあり親しかった京都の対馬藩邸にも潜伏していた。
幕府の探索や落武者狩りも激しくなる中、その対馬藩士の紹介で但馬出石出身の商人・広戸甚助を
紹介される。
甚助は生国の出石へ小五郎を潜入させることとなる。

出石城下に無事たどり着き、弟の直蔵の庇護を受け広戸家の菩提寺の昌念寺に潜伏させるも
幕府の探索を恐れ、養父市場の西念寺(→こちら)や城崎温泉も小五郎の潜伏地となった。
この動きは広戸家が出石周辺で顔が利き、地域の信用があったことも大きかったという。

城崎温泉・松本屋跡
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宿の娘が小五郎の子を妊娠したとも言う(流産)

さらに出石の狭い城下内でも何か所と潜伏地を変え、そのことごとくに石碑が建てられている
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潜伏地
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約五か月の間、潜伏地を転々するも町人として定住させた方がいいのではと言う広戸兄弟の判断で
広戸家の親戚で広戸孝助として小五郎は荒物屋の主人となり、兄弟の妹が身の回りの世話をした。
このころの小五郎の心境は「このまま静かに過ごしたい」と言うものだったかもと、先生は言われて
いました。

開けて慶応元年三月。長州では俗論派政権が倒れ、伊藤俊輔の意向を受けた愛妓・幾松が小五郎を
迎えに来る。そして四月八日、広戸兄弟とともに出石を旅立った。
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by enokama | 2015-09-10 17:09 | 歴史連載 | Comments(0)