エノカマの旅の途中

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一乗寺の歴史史跡~梅田雲浜ゆかりの地と曼殊院の幽霊

(2015年9月4日・訪問 関連記事→その1その2その3
再度、泊まり明けに一乗寺に行ってきました!
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一乗寺・修学院の地はいわゆる鬼門の方向にあたり、都の喧騒や圧迫から逃れてきた人たちの
隠棲の地でもあった(新撰組と幕末の京都 ユニプラン)
詩仙堂を造営した石川丈山や金福寺の尼僧となった村山たか、今回訪れた梅田雲浜もそうである。
そういった背景もあって「反骨の風土」が一乗寺にあるそうだが(それが関係あるかはわからないが)
歩いてみて、京都でも「これだけあるの」ってぐらいに異常なぐらい某政党のポスターが
多いのには閉口した。
剥がしながら行ってやろうかと一瞬(あの人たちの言うことが理解できず大っ嫌いなので)思ったけど
犯罪になるよな・・・(苦笑)

一乗寺跡
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平安~南北朝時代にかけて天台宗の「一乗寺」と言う寺院があったが廃寺となり
このあたりに地名だけが残った。



梅田雲浜の碑を見に行こうと思ったら、こんな惨状だった・・・
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葉山馬頭観音(一燈寺)
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梅田雲浜旧跡碑
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梅田雲浜(→関連記事)が若狭小浜藩に意見書を出して藩主の忌諱に触れ「藩政批判」ととられ
浪人となって、高雄山から一乗寺へと一時期移り住んだ場所(嘉永五年 三十八歳)
この観音堂の堂守小屋に住んで、妻子と困窮の中で暮らした。
翌年にはペリー来航があり、尊攘派の重鎮となっていく前の時期である。

それにしても出入りもできない状態ってなんだろう。
土砂崩れのおそれかもしれないけど、工事もしてないようだし(ネット情報もなし)
ほんとに崩れたら、堂も無くなってってしまうぞ・・・


曼殊院(→HP)にも足を伸ばしてきた。
泊まり明けの急坂はちょっときついが、とにかくここは傍まで行くバスもないし歩かないと
いけない・・・(タクシーで来てた人も多かった)
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皇室だったり、有名な武将の文書も展示してある(撮影不可)
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有名な幽霊画は順路の最後の方にあった(二編あって、右側は金福寺に墓のある呉春作)
「撮った人は後々に差障りな事が起こる可能性があります」と注意書きが。
まあ堂内の宝物は今はどこも「撮影禁止」として撮れない時勢だけど昔は撮った人も多くって
災いがあった人も多く有名になったようで、ネガごと送り返されてきたそうだ!
二枚のうち左はとてもうまい劇画チックでもあり、右の呉春の絵も足のない典型的な(?)幽霊で
そんなに僕は恐怖はなかったんだけど、惹きつけるものはあった。


帰りは一乗寺駅の西側まで25分ぐらい歩いて、東大路通沿いの「ラーメン激戦地」に行った。
久しぶりに「高安」に行ったけど、平日の12時40分で20分待ちで席につけた。
ラーメンも洋風っぽいだしがいいんだけど、カレー風味のから揚げもとてもおいしい!
周辺を一回りしたけど、一番並んでいたのは「極鶏」だった。
また平日に時間見て行ってみたいと思う。
また一乗寺付近はラーメン以外にもよさげな飲食店も多いし、散策もおすすめです!
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by enokama | 2015-09-08 21:30 | 私の好きな京都 | Comments(0)