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エノカマの旅の途中

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安保法制に賛成の者は好戦者なのか?

あまり政治的なことは上げない方がいいのかもしれないけど・・・



今思えば新聞等の報道で「TPP」やら「秘密保護法」に関しては「国民の大多数が反対」だったはず
なんだけど、現在の妙にTPPの交渉あたりにマスコミが理解したような対応は何なんだろうね。
秘密保護法も平成の治安維持法で「言論の自由を奪う」ものだったんでしょう(苦笑)

今の安保法制に関しては方針は賛成だけど、議論の進め方には不満がある。ただ反対派が
「徴兵制」とか「違憲」とか的外れなことを言うのは閉口する。なんで国防に関して現実的な建設的な
議論ができないんだろうね…それを勝手に「戦争法案」とかレッテル貼りしやがって。
国会も見られる時は見てるんだけど「あの発言はなんだ」とか揚げ足取りだけじゃないか。
まあ、地下鉄で敬老パス使ってしょっちゅうデモとか行ってる人、それが生きる活力なんだったら
止めろとは言わないけどね。

一般庶民ってのは時の政権の改革ってのには「拒否反応」を起こすものだ。
江戸時代の鎖国(厳密には違うけど)でも普通に生活ができていたのに「なぜ開国なのか」
それが幕府を倒す一因となってしまった。
庄内藩は酒井氏のそれなりの民政で普通に生活できていたのに、領主が変わることでの不安が 
国替え反対運動につながった。
今まで「平和に普通に暮らせてきた」その思いから、変化を嫌うことでの運動ってのはわかる面もある。
ただ50年前と現代では世界情勢も変化している。
当たり前のように、日本は「憲法9条」がどうたらこうたらって言うけど
正直、米国の傘の下で言えるのであって、世界の勢力図ってのは現代でも「武威」(=抑止力)抜きでは
語れないと思う。今の中国に代表されるようにね。
「戦力」があったとしても、持ってたから必ず「戦争」になるとかありえない。
戦力をバックにして圧力をかけて降伏させるのは「権力を取る者」の常道でしょう。
全部ことごとく力で押さえ込むにしても、兵力を損ねることはできるだけ避けようとするものだ。
逆に「言論」だけで覇権を取って、国際問題を解決できた例ってあるんですかね?

お金の問題で、日露戦争あたりも「戦債」で戦費調達に苦労している。投資する者も「どっちが勝つか」
賭けみたいなもんだろうね。
兵を派遣するだけでもお金はかかる。
幕末の「長州征伐」がうまく行かなかったのにも、金の問題で兵を出したくない(出したふりしたり)
消極的な藩が多かったからだ。
戦争する(に至るには)には戦費もあるし、ただでさえ国の借金がたくさんあるのにそんな余裕もない。
さらに今は労働人口が減って行くからって「移民を入れる」って時代でしょう。
そこに中国人とか(帰化ってのも多いし)増えてるのに・・・
まず「自衛特化」でしか無理であって、今回の法案もまだまだ制約が多すぎの状態で
おっしゃる「戦争」になったとしても、まず勝てません。
「負けるのがわかっている」戦争などするわけないでしょう。

「徴兵制」も今の教育が「愛国心」とか「国防意識」が皆無の者が「戦力」になるわけがない。
ただ「我が国の国民の安全と国益を守るため」の備えと言うものは不可欠だろう。
話合いや日本流の「武士道や情け」だけで外交が通用するものではない。
「抑止力」は歴史上から見ても、現代でも不可欠なものだと僕は思っている。

あと国が一新される時は民意で変化するものではない。
近世では大きく「豊臣秀吉」「伊藤博文」「吉田茂」この三人の時代で日本の大きな変化・流れが
定まっていただろう。
その民意では決められなかった「独裁に近い」新たな社会構造の枠組みが何百年も続いて
その構造が機能不全となって変革するときは、また「独裁」でしか起こりえないものなのだ。

中岡慎太郎は「言論よりも戦による変革」を唱えていた。一部だけを取り出すのではなく
その論文のすべてを読むことで、説得力が出てくるものなのである。
ただ、それと大差がない考え(って言うか当時では当たり前)だった坂本龍馬が
明治維新後の一連の内戦を経て、言論による土佐の「民権派」。また第二次大戦後の「平和主義」によって
平和主義者とされたが(慶応3年後半に龍馬が「絶対戦争回避」で動いていたと言う証拠はあるのか)
現代の価値観で「一連の戊辰戦争が防げていた」とか、直ちに国会が出来て話し合いで国家像が
できていたことはありえないことだ。
急速な近代化は当初は専制政治で制度設計をし、然るべき時期に国会を開くことで実現した。
明治政府の大久保~伊藤の流れは理想的ではなかっただろうか。
第二次大戦の遠因が「明治維新」から発するものだと言う評者もいるが、穿った見方にすぎない。

あと「民主主義の否定」としてデモのプラカードに書く者がいるが
国民の選挙で選ばれた国会議員(間接民主主義)によって議論された法案の議決は尊重されるべきであり
デモをした運動によって「法案を廃案」に追い込むことは、逆に「民主主義の否定」である。
ただその運動によって「解散風」を起こして、選挙となって「与野党逆転」とすることは目指せるものである。
まあ、その運動の抽象的なスローガンの数々は僕には到底賛同できないものである。
今国会では「国防」そのものについての真摯な議論が行われることを願いたい。
by enokama | 2015-07-30 23:55 | 総合 | Comments(0)