紀尾井坂と清水谷
大久保利通が暗殺された(明治11年・紀尾井坂の変)場所あたりを回ってきました。
上智大学前(地図・赤印)
尾張藩中屋敷跡
ホテルニューオータニ前(オレンジ印)
彦根藩中屋敷跡
迎賓館前の門(青印)
紀州藩中屋敷だった広大な敷地が現在の迎賓館となっていて、当時の門の一つが
東門として残されている。
紀尾井坂
ニューオータニ側から下がる坂となる。
紀尾井坂を下りると清水谷
清水谷公園(紀州藩上屋敷跡・黄緑印)
清水谷公園に大久保公哀悼碑が建っている(高さは約6m)
上記のように、紀州・尾張・井伊の各屋敷に囲まれた坂なので「紀尾井坂」と呼ばれた。
本当に大久保が暗殺されたのは清水谷だが、行列の先頭が紀尾井坂に差し掛かっていたために
「紀尾井坂の変」と呼ばれるようになったと言う。
かつて、この地に清水が湧いていたことから「清水谷」と言う地名となった。
ニューオータニから迎賓館へ行く途中、江戸城外堀の手前にあるのが「喰違見附」でかつては
門の一つが置かれていた
ここでも岩倉具視が襲撃され(明治7年・赤坂喰違の変)負傷した場所である。
このあたりは外堀が残されている
迎賓館(紀州藩中屋敷跡)のあたりは「紀之国坂」
少し外堀沿いを南に行くと、地名としても残っている赤坂見附がある