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エノカマの旅の途中

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山村竜也の中岡慎太郎と板垣退助の記事について

雑誌「歴史人」のネタは何度か書いてきたけど
ライターによっては間違いがあって、突っ込んだ記事も書いてきたわけですが
今回の2月号もまたまた出ていたので、書かずにはいられずになったので
買うつもりはなかったんだけど、結局買ってしまいました・・・



よりにもよって、山村竜也が中岡慎太郎のことを書いているんだけど(あてつけか?)

(中岡慎太郎と陸援隊)
まず、禁門の変後に再編成されたものの長州俗論派政権下の影響もあって解散状態となった
忠勇隊のことだけど
 中岡のみは長州に残留し、高杉晋作らが俗論党政府を打倒するのを支援した
と書かれています。
確かに実際に長谷川鉄之進は脱走してるし、離脱もあっただろう。
ただ忠勇隊の浪士らは、こちらも浪士が多かった遊撃隊に合流している者も多い(→こちらこちら
元忠勇隊士が俗論党政権を倒すのに貢献したと言うのは確かだけど、中岡慎太郎自身は元治元年12月
「五卿動座」の動きで筑前藩士らと行動を共にすることが多かったし、年が明けてからは諸隊の中には
いたようだけど共に戦ったようにはないし、この書き方はどういう意味があって書かれたのだろうか。

慶応3年6月の三本木・料亭「三樹」での薩土盟約については
 両藩の間で武力討幕を目的とする密約を締結した
とあるけど、これは間違いで「土佐が大政奉還を藩論として押し進めるけど、慶喜が飲まない場合は
武力討幕の大義名分となる」こと→こちら

別に乾と西郷の「出兵盟約」はあります→こちら

陸援隊を白川の藩邸に入れた理由も「藩邸は現代の外国大使館のように治外法権になる」
(庄内藩が中心となって「薩摩藩邸焼き討ち」をしたような行動は戦争状態と言ってもいい)
と書いてないと、意味が通らないんじゃないかな(僕も陸援隊屯所の説明するときはいつも説明する→こちら
あと「摂津住吉」(神戸の住吉を指す)の屋敷を移築ではなくって(たぶん引用の平尾先生が間違っているんだが)
大坂の住吉陣屋(外国船の侵入に備えて、吉田東洋が中心となって建てたが「開国」により必要性が
無くなっていた)のことであります。

(板垣退助と迅衝隊)
退助の先祖が武田信玄の重臣・板垣信方と言い切ったように書いてあるけど
「(乾家に伝わる伝承では)先祖が板垣」と書いたほうがいいし、僕もそう書いてあるのを読んでいる。
戦国時代とのつながり(または、それ以前の「源氏・平氏」と言った具合)はまず「家系図」って偽造も
できてしまうようなものだから、この手の話は「断定調」になっていることは少ないと思うんだけどな。

あと伊地知正治は「まさはる」じゃなくって「しょうじ」と読む(この号の桐野作人先生の文章では「しょうじ」)
これはいくつかの文献を突き合せたら、わかることです。

あいかわらず甘い文章ばっかりですね。この御仁は・・・て言うか。
たぶん「陸援隊始末記」の内容を端折っただけで、背景なんて全然知っていないように思う。
つなぎ合わせただけの記事なんて意味ないやん。
ほんまに「プロ」の書き手って言えるのか?
by enokama | 2015-01-29 20:48 | 中岡慎太郎関連 | Comments(0)