琴平2014~桂小五郎・高杉晋作も来た こんぴら山麓の幕末関連史跡
やっぱり、しっかり登ってお参りしようと頑張って登ってきました。
ただ「真夏は止めたほうがいい」 ほんといつも以上に疲れた!
船の神様でもある
この人、知ってる人いるかな
琴平には幕末史跡が二つある
松里庵は桂小五郎も訪れ、あの高杉晋作もこちらに潜伏していた時期があったとか
料理旅館として営業も続けていたそうだが、十数年前に廃業されたということで今は使われていない。
ちなみに案内マップでは公会堂の下に大きく描かれているが、実際は表通りから細い路地を入った裏道に
あるのでわかりにくい(地元の方に尋ねて、たどり着けました)
こちらから今の金丸座の裏あたりには旧伊予土佐街道が通っている
琴平に入る峠・牛屋口には某有名人の像が立っているそうです。
ただ登るにはこんぴらさんを二回お参りするぐらいの体力を覚悟しておいたほうがよさそう。。。
こんぴら表参道からJR方向に戻る道が旧高松街道(新町商店街)となっている。
踏切を超えたら「呑象楼」の看板に沿って、歩きます。
この「呑象楼」の看板は地元・東條菓子舗の銘菓の名前になっている
画像は撮れなかったんですが、お菓子は白あんで「ひよこ」みたいな感じでした。
東條菓子舗からさらに直進すると古い商家があります
(このあたりは榎井と言う地区になる。緑の看板が東條菓子舗)
勤王侠客の日柳燕石とも交流のあった長谷川佐太郎生家で、今も造り酒屋をされている。
この方も桂小五郎らと交流があった。
少し戻って、東條菓子舗を左折(南方向)すると日柳燕石の顕彰碑が立っている
さらに進んで二車線の道を渡ったところに「呑象楼」が建っている。
元々は今のJR土讃線の旧高松街道踏切沿いにあった(その場所には石碑が建っている)が
第二次大戦後に現在地に移築された。
内部は老朽化で公開されてなくって、地元の方の行事等で使われることもあるとか。
日柳燕石の晩年の居宅であり、森田節斎、桂小五郎、高杉晋作と言った人物も訪れた。
ビックネームの来客も多かったため、いざ逃亡を助ける仕掛けもいくつもあった。
呑象楼の名は楼上「呑象の間」から西面の窓を開けると、金毘羅宮のある象頭山が目前に迫り
これを一気に呑むとの気概があって、酒盃に山容を浮かべると言った風趣もあった。
ちなみに高松へは快速に乗れればJRの方が早く、普通だったら琴電の方が早い(高松~琴平は30分毎)
運賃は200円ほど琴電の方が安い。
榎井に行くなら、琴電榎井駅から旧高松街道沿いを歩くのも雰囲気を味わえていいかもしれません。。。